トマス、決心する

 トマスには、目の前の光景が信じられなかった。


 あの凶悪なヒュドラが、無残な死体となっている。首は綺麗に斬り落とされ、牙は砕け、目には矢が刺さっている。頑丈なはずの胴体は、魚を包丁で切り分けたかのように真っ二つになっている。


 ――これは、本当に俺のパーティがやったのか?


「あ、おーじさま!」


 小さなミアが、嬉しそうに駆け寄ってくる。


「ミアたちねぇ、『ひどら』やっつけたよー!! みんなすげーつよくってね、ミアもたのしかったー!!」


 無邪気で子供らしい笑顔だが、右手にべっとりついた返り血がそれを台無しにしていた。

 ――ヒュドラを切り裂いたのはミアの爪か。どんな威力だよ。化物かよ。



「俺がいない間に、何も問題は起こらなかっただろうな」


「ボクがノエリアに殺されかけたくらいだね」


「何も問題ありませんわね。リーダー、ロキは早めにクビにしたほうがいいと思いますの」


「そうだな。今までありがとう、ロキ」


「冗談ですよね、皇子様?」



 そこに、ドタドタと複数人の足音が近づいてくる。見れば、エステルを含む<ゼータ>の面々だった。


「よかった!! トマスさん、無事でしたか!」


「あ、ああ……」


「何を勝手に単独行動しているんだバカタレがッ!!!」


 スレインの怒声とともにトマスの頬に鋭い痛みが走り、そのまま地面にズシャッと倒れ込んだ。


「このボケ、自分が命を狙われる身であるともう忘れたか!!」


「サ、サーセンっしたぁぁぁっ!!」


「ちょうどいい。今までの狼藉を貴様の仲間たちに謝罪しろ!!」


「はいっ!! わたくしトマス・フォルティスは皆様のことを顧みず、独善的な振る舞いをしましたことをここにお詫び申し上げますッ!!」


 トマスはすぐに立ち上がって反射的にきっちり腰を90度に曲げ、深々と頭を下げている。


 そのらしからぬ格好に、<EXストラテジー>のメンバーたちは噴き出した。


「あはははっ! おーじさま、ヘンなの~!」


「まあ……わたくしにも反省すべき点はありましたわ」


「全部ロキが悪い、です……」


「ちょっとー、シグまでそんな頷かないでよ」


 もっと手ひどく責められることを覚悟していたトマスは、拍子抜けした表情で顔を上げる。


「もう、スレインさんもそんなに怒鳴りつけなくてもいいじゃないですか」


 エステルにたしなめられて、さすがのスレインも引き下がる。


「私はむしろお礼が言いたいですよ! うちのパーティ、私が疎いせいで作戦立てたりチームで行動したりするの、全然できなくて。でも、お陰でちょっと進歩した気がします! トマスさん、ありがとうございます!」


 その一点の曇りもない純粋な笑顔を前に、トマスはこの少女を侮ったことを心底後悔した。


 ミアが元気になっているのも、気の強いノエリアが態度を改めているのも、ヘルミーナが仲間と普通に話せているのも、シグルドの無表情が緩んでいるのも、すべて彼女の力によるものではないか。



「いやあ、これでお互い良い結果になったってことだよね。ボクの提案がうまくいったみたいで良かったよ」


 ロキがわざとらしい笑顔を作って喋り出すときは、たいてい何か企んでいるのだ。シグルドなんて露骨に嫌そうな顔している。


「そこで……みんなを信頼して、1つ重要な情報を明かしておくよ。トマスはうんざりしてるかもしれないけど、カタリナ皇女に関してね」


「……構わない。話してくれ」


 へらへらしているとはいえ、ロキは情報屋としては優秀だ。まったく根拠のない話はしない。仮に悪い噂が立っていたとして、自分が何とかすればいいとトマスは考えることにした。



「カタリナ皇女の裏には、魔族がいる」



 全員の顔が硬直する。


「これに関しては100%真実。ボクが直接見たからね、皇女様と魔人が話しているのを。ただ、彼女が魔族を引き入れたのか、魔族が彼女を操っているのかはわからない」


 トマスは事実が明らかになるまでは、後者の線を信じることにする。


 魔族が皇室を――帝国を内側から破壊しようというのか。卑劣極まりない。絶対に許せない。

 俺が、俺たちが国を守るんだ。トマスは固く決心した。



「さて、この件に関して――魔族に詳しい人の話が聞きたいんだけど、うちにはいないよね。……そっちはどうかなぁ?」


 質問の形を取っているが、ロキの視線はしっかりとある人物を捉えていた。



  ◆



 <EXストラテジー>は無事真っ当なパーティに進化を遂げ、計画は第2フェーズに入ろうとしている。


 順調だが、油断してはならない。ロキは表面上は不敵な笑みを浮かべつつ、1人<ゼータ>のメンバーたちと向かい合っている。


 本命はもちろん、魔族であることがほぼ確定のゼク。



「憎たらしいクソガキが。とっとと知ってる情報全部吐け」


 ゼクは殺気のこもった眼光でロキを睨む。


「あらかじめ断っておくよ。ボクも商売だし、情報には対価を要求する。それに、今から話すことを君たちが知ったら、本格的に皇室のゴタゴタに巻き込まれることになるよ。それでもいいかい?」


「……皆さん、いいですか?」


 仲間たちはエステルに一任するというような、信頼の目を向ける。

 果たして、彼女は首を縦に振った。


 ロキは少し間を空けて、口を開く。


「カタリナ皇女のバックにいる魔族の名前は――サラ」


「あのクソアマ……!!」


 ゼクが憎悪に満ちた顔になる。


 知り合い確定。つまり「サラ」は魔王の子女に当たる。エステルたちもそれはわかっているだろう。


「それで? ロキ、お前は私たちに何を要求する?」


 スレインが警戒心に満ちた目を向ける。



 ロキは筋書き通り、自分の作戦を話した。



 向こうのメンバーたちの反応は、消極的。厄介ごとへの不満、うまくいくかどうかの不安――しかし、最終判断を下すのは彼らではない。


 その決定権を持つ彼女にだけ、ロキは目を向ける。


「……引き受けてくれるかい?」


「もちろんです」


 リーダーの了承を得た。これで誰も文句は言わなくなる。ロキは内心ほっとする。


「じゃ、細かい話はまた帝都で」


「あ……待ってください!」


 エステルに呼び止められて、ロキはイレギュラーな事態は勘弁してくれと思いながら振り返る。



「あの、なんていうか……ロキさんも、普通に頼み事していいですからね?」



 その言葉は、ロキが想定していたあらゆる事態のどれにも該当せず、理解が追いつかなかった。


「え、どゆこと? ボク、普通じゃなかった?」


「今のは頼み事っていうか、取引じゃないですか。ロキさんは自分がしてほしいことを交換条件みたいに出すけど、そうじゃなくて、ロキさんが困ってたら私普通に助けますからね」


 それは、ロキが数百年もの間失念していた考え方だった。


 だからか――彼は一瞬で、笑顔を作る余裕をなくした。



「えっと……一緒に魔族を倒しましょうね」


 ――どういう意味だ? エステルは、自分が魔族を憎んでいることを知っている? 誰から聞いた?


 しかし、彼女の澄みきった笑顔は、ロキの頭に浮かんだ疑念をすべて消し去った。知られたからどうした、彼女が何か企むような人間か? 考えるだけ無駄だ。



 なるほど、彼女は優秀なリーダーだ――と、ロキは心の中で白旗を上げた。

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