ヤーラ、実験する
フラスコ、坩堝、蒸留器、柄の長い匙、乳鉢、保温器――
トマスはいかにも錬金術師らしい器具に興味津々だった。
先ほど誤解で麻酔薬をぶち込んでしまったお詫びにと、ヤーラは素人でもできる回復薬の作り方を教えようと提案したのだ。
実際は体よく手伝わせようという魂胆もあったのだが、トマスは喜んで受け入れた。この人レオ先輩と同じくらい扱いやすいな、とヤーラは半ば呆れる。
「知ってるぞ、これは液体を濃縮しているんだろ? 知り合いに錬金術師だった奴がいるんだ」
「そうですね。原理自体は至極単純ですから。でも、理論と実践では大違いですよ」
「任せろ」
ヤーラの丁寧で細かい説明を熱心に聞いていたトマスは、自信満々といった様子で習ったことを再現しようとする。
「まず湯を沸かして――」
「ああああっ!! 待って!! 何やってんですか!!」
「うおっ!?」
びっくりしたトマスは水の入った瓶を落としそうになっている。
「水の量は600ccです!! ちゃんと量ってください!!」
「す、すまん。……それで、粉末状にした薬草を入れて――」
「ちょっと!! 匙で掬った分はちゃんと平らにしてください!!」
「こ、こうか」
「それと、匙は小さい順にしまってあるんです。バラバラにしないでくださいね」
「あ、ああ」
「しまう前に拭いてください! あと……火にかけてから、時間計ってます? きっちり4分30秒ですよ」
「ぬおお……」
この皇子は存外大雑把な性格なのか、ヤーラの持ち前の異様な几帳面さがそう思わせるのか、とにかく完成品が1つできるまでに膨大な時間を要した。
「はぁ……。ど、どうだ」
ヤーラは完成品をじっくり観察する。錬金術師は物質を見ただけで、その成分をおおよそ把握することができる。
「そうですね、飲んでみてください」
トマスはおそるおそる手渡された瓶に口をつける。
「……ぐへっ!! まっず!!」
「濃く出しすぎです。これだと効果も薄い。ただの苦いだけの水ですね」
「……こんなに大変なのか、薬1つ作るのも」
「魔法でやれば1秒もかかりませんけどね」
「君に作ってもらったほうが早いんじゃないか」
「高くつきますよ」
「……君も俺のことが嫌いなのか」
「はい」
「……」
「まあ、冗談ですけど……万一に備えて覚えておいて損はないです。こんなややこしい器具、今時は揃えるの難しいと思うんで、調理器具とかで代用してください」
「君はなんでそんなものを持ち歩いてるんだ? 薬なんて1秒で作れるんだろう?」
確かに、ヤーラは素材に手を触れるだけでポーションを楽々作り出せる。
しかし、わざわざ各種の器具を物体を魔力に変える術で携行し、どんなに手間をかけても、緊急のとき以外は時間をかけてゆっくり作業を行う。なぜか。
「……このほうが、魔力が節約できます」
「なるほど」
嘘だ。
それは同じ錬金術師の父親がそうだっただけで、ヤーラの魔力量はむしろ平均以上だ。腕も良いので無駄な消費もほとんどない。
本当の理由は――そのほうが、安心するから。
正しい法則に従えば、必ず正しい結果が出る。その正確さが精神を安定させるのだ。だから、その過程をゆっくり見ていたい。
これはもはや、迷信に近い。トマスには言っても理解できないだろう。
――エステルさんなら、わかってくれるのかな。
少なくとも、頭ごなしに否定することはない。エステルとトマスの差は、そういうところにあるのではないかという気がする。
ヤーラは少し、トマスを試したくなった。
「錬金術の基本は、素材を分解して必要な要素を取り出し、それを混ぜたり濃縮したりして目的の効果を引き出すことです」
「そうだな。それで、より効果の高いものを作れるのが腕のいい錬金術師ってことなんだろう?」
「――それは、人間にも言えると思いますか」
トマスは虚を突かれたようにヤーラを見る。
突然の問いに、思考する余裕を失っているようだった。
「人間の要素を分解して、悪い部分を削ぎ落して、良い部分を引き出せば、理想の人間になれると思いますか」
「……現実的じゃないな」
「理論上なら?」
「……」
是か非かで言えば、「非」に近いとヤーラは考えている。しかし、ここで即答してほしくはない。言葉に詰まって熟考している時点で、トマスはひとまず及第点だった。
答えは沈黙。それでいい。
「……古の錬金術師は、人間を『小さな宇宙』と考えました。『大きな宇宙』に太陽と月があるように、人間にも太陽である右目と、月である左目があります」
「またスケールの大きな話だ」
「人間を理解して思い通りにしようというのは、宇宙のすべてを理解して動かそうとするのと同じことなんです。――あなたには、それができますか」
――僕には無理だ。自分自身でさえ、ときどき制御不能に陥るほどわけがわからないのだから。
先人たちも世界のすべてを解き明かそうとした。しかし、成功した者は1人もいない。
トマスはどうか。さっき、回復薬1つ作るのにあれほど苦労していたのに。あの薬は慣れれば同じものがいくらでも作れる。でも、人間なら?
「錬金術なら、同じ方法を100回繰り返せば、同じ結果が100回出ます。でも人間だと――同じことを100人にしても、全員違う反応になるでしょうね。なんでこんなに複雑でわかりにくいんでしょう」
それは疑問というよりも嘆きに近いものだった。
そんなことを考えたこともなかったのか、トマスは半ば戸惑いながら考え込む。彼はともすれば、同じことを100人に命令すれば、全員がその通りに動くと思うタイプの人間だった。スレインは、それをぶち壊せと言いたかったのだろう。
「……わからないな。俺は神じゃない」
「ええ、僕もです。だけど、永遠に答えが出ないとしても、考え続けなければならないんです」
「君は哲学者みたいなことを言うな。そんなに若いのに」
かつて、錬金術師は哲学者だった。
万物のすべてを動かす「法則」を見つけ出し、世界の秘密や宇宙の真理を解き明かす。鉛を金に変えるなど、その過程でしかなかった。
今は、そんなことを考える錬金術師は希少だ。いかに効率的にものを錬成するかのほうが大事で、かつては手段だったことが目的となった。技能を「金」に変えるのだ。
しかし、若いヤーラはその類いではない。
彼には、思考を深めるための能力、動機、環境、時間のすべてが揃っていた。
あの何もない閉ざされた部屋で、空腹感と罪悪感を紛らわせるには、どうして世界が自分たちをこんな目に遭わせるのかという問いを反芻するしかなかったのだ。
「……よし。もう1つ作ってみよう。今度は成功させる」
「また失敗したら原料代取りますね」
「やっぱり君、俺のこと嫌いだろ」
ヤーラはさっきの失敗作を地面に廃棄する。
液体は土に沁み込んで、やがて木の根がそれを吸い上げ、養分にして花を咲かせる。そこに虫が集まって蜜を吸い、それを食べた鳥は空へ飛んでいく。彼らにとっては、これ以上ない万能薬だ。
至高の錬金術師とは、この大地なのかもしれない。
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