招かれざる客

 剣を振るっていたスレインさんが酔い潰れて寝てしまったことで戦火は去り、荒れ果てた戦場には疲れ切ったロゼールさんだけが残された。……まあ、実際はお店にそこまで被害はなかったのだけど。


 疲労困憊のロゼールさんに追い打ちをかけているのは、ヤーラ君だった。


「いいですか? 飲めない人に飲ませるのは危険なんですよ。特にスレインさんは病み上がりなんですから……。わかりましたか?」


「に……二度としません」


 こんなに萎れているロゼールさんなんて、初めて見る。達人の力、おそるべし。


「でも……怒ってるヤーラ君も可愛いわねぇ」


「……」


「ああ、そういうゴミを見るような目も新鮮で素敵よ。うふふふ」


 ロゼールさんはどこまで行ってもロゼールさんだった。

 さしものヤーラ君もそれ以上は無駄だと悟ったのか、黙ってスレインさんの介抱を始める。


「スレインさん、大丈夫そう?」


「ええ、それほど量を飲んでないようなので。でも、それでこんなに酔い潰れてしまうのなら、本当にアルコールはやめたほうがいいですね」


 家系的に弱いって言ってたから、家族全員そうなのかな。あの近衛騎士団長のお兄さんも? なんて。


「ゼクさんのほうは……」


 案の定飲み比べに負けたゼクさんは大爆睡を決め込んでいるが、ヤーラ君の冷めきった目がそちらを向くことはなかった。


「いいんですよ、いつもああなんですから。冬以外だったらもう路上に寝かせます」


「そ、そう……」


 心の中で幾千もの文句が渦巻いていそうなヤーラ君だけど、本気で嫌がっているような様子ではなかった。むしろ、ずっと張りついていた呆れ顔がだんだんと緩んでいく。


「でも――正直、ちょっと安心してます。マニーさんたちのことがあってから、ゼクさん、なんていうか……雰囲気変わっちゃって。声、かけづらかったですし……。やっと本調子に戻ってくれた気がします。きっと、エステルさんのお陰ですね」


「そうかな?」


「そうですよ」


 当の本人はがーがーいびきをかいていて、なんだか調子が狂うけど――そうだったら、嬉しいな。


 一方、ゼクさんを負かしたマリオさんは顔色一つ変えずに粛々とお水を飲んでいる。しいて言うなら、普段のにこやかさがほんのり薄れて元気がないように見えるくらい。


「マリオさん……やっぱり強いんですね」


「いや……これでもかなり酔ってる」


「ぜ、全然見えないですよ」


「……」


 マリオさんが急に椅子をガタッと鳴らして立ち上がったので、私は驚いて身をのけぞらせてしまった。目元を暗い影で染めたままの彼は、真っすぐ迷いなく歩いていって――なんと、店の厨房に入ってしまう。


「いっ、いでででででっ!!」


 聞き覚えのある悲鳴が、奥のほうから飛び出してきた。


「ロキさん?」


「ちょ、助けて、折れる……!!」


 自称「神出鬼没の情報屋」はタネも仕掛けもなく、マリオさんに腕を捻られながらという哀れな恰好でご登場した。


「あー……ダメだ。悪いけど、酔ってるせいで手加減できない」


「う、嘘でしょ!? いぎっ!!」


 マリオさんは本当に酔いのせいなのか、目は笑っていないし、口も笑っていないし、要するにまったく笑ってない。自他ともに認める鋭い目つきでロキさんを睨んだまま、力を緩めない。怖い。


「マリオさん、ロキさんは私の知り合いで……」


「隠れて盗み聞きをする奴は信用できない。まずは名乗れ」


 声から友好度が一切排除されて、冷たいナイフみたいな響きだった。怖い。


「だ、だからロキだって」


「本名」


「いだぁっ!! ……ルーカス・トイヴォラ」


「目的は」


「や、約束があったんだよ。エステルたちに協力した代わりに、こっちも手伝ってほしいことがあるって。ねぇ、スレインから聞いてるでしょ?」


「あ、はい。聞いてますけど……」


「盗み聞きをしていた理由の説明になっていない」


「あだだだっ!! わ、悪かったよ。癖なんだって。情報屋だから」


「今後、君の情報でこちらに不利益が出ることがあったら容赦しない」


「わかりました! すいませんでした!!」


 淡々と尋問を進めたマリオさんは、ようやくロキさんを解放した。お酒が入ると一番まずいのはこの人かもしれない。


 私は別にロキさんのことを疑っていたりはしないんだけど、マリオさんが圧をかけてくれたのはいい保険になったかな。


「はぁ、死ぬかと思ったよ。……君って、噂通り殺し屋なの?」


 ぎょっとした。ロキさんはさっきまで自分を殺しかけていた相手に喧嘩を売っている。当のマリオさんは、元々の目つきの悪さのせいかもしれないけど、再びロキさんを睨んでいる。


「いやね。知ってるかい? 憲兵隊の総隊長が死んだって話」


「え?」


「牢屋で首を吊ってたんだってさ。自殺ってことになってるけど――もしかしたら、誰かに雇われた殺し屋の仕業だったり……なーんて考えちゃって」


 ロキさんの垂れ下がった目は、それができそうな人を示唆している。確かに彼は野暮用と言って私たちと別行動をしていたときがあった。でも――


「憲兵隊の偵察には行ったけど――殺してはいないよ」


「……嘘は言ってないわよ、この人形男」


 ロゼールさんの言うことなら100%信用できる。それに、マリオさんは独断でそういうことをする人じゃないはずだ。


「あの……マリオさんが、殺し屋って?」


「ヤーラ君はなぁんにも気にしなくていいのよ」


 マリオさんの前職については、ゼクさんの素性と同じくらい秘匿しなきゃいけないのかも……。


「ロキさん。私に用があって来たんじゃないんですか?」


「ああ、そうそう。実は、うちのパーティのクエストにちょっと付き合ってほしくてさ」


「ロキさんも勇者だったんですか?」


「ライセンスは一応持ってたんだけどさぁ、チームで何かやるの、窮屈で嫌いなんだよね。でも、協会のほうが君たちみたいな特別に選ばれた新パーティを結成して、無理やり入れられた」


「あら。それって私たちみたいな問題児を集めたところなのかしら? ルーカス君」


「実質ね。本名で呼ばないでよ、オークに攫われる」


 ダークエルフの伝承だろうか。ロキさんが本気でそういうのを信じているかはわからないけど。


「で、そのパーティってのがいろいろ厄介でさぁ。メンバーに問題があるってのもそうだけど……とある事情でね、あえて失敗するようなクエストを組まれてるんだよ」


 私は耳を疑った。協会がわざわざ勇者パーティに失敗させようとするなんて、普通では考えられなかった。……つまり、この事態は普通ではないということだ。


「――リーダーを失脚させるため、かい?」


「おっ。さすがだねぇ、モーリス・パラディール」


 仕返しのつもりなのか、ロキさんはマリオさんの本名を高らかに発音する。マリオさんの表情に変化は見えない。


「まあ、偉い人たちの醜い争いに巻き込まれたってこと。もうなんていうか、笑うしかないんだけどさ。その可哀想なリーダーって、どんな奴だと思う?」


 いつもニタニタ笑みを浮かべている彼が「笑うしかない」と評するその渦中の人は、いったいどれほどの身分なんだろう。


 やがて明かされたその答えは想像をはるかに超えていて、私たち全員を沈黙させた。


「この国の、皇子様だよ」

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