半歩だけでも踏み出して

 時代というものに関係なく人の好奇心というものは存在していて、それは美しいものもあればどうしようもなく醜いものもある。

「だからさ、あいつのパンツは結構えぐいんだって」

「うぇーマジかよ」

「マジだって。絶対いけるっしょ。意思表示じゃん」

 教室に入ろうとした時に朝一番からクラスメイトの女子の下着について話す男子がいてうんざりしてしまう。

 そもそも下着は見せるためのものじゃない。隠すためのものだ。そりゃあ世の中には見せるためのそういうものが存在しているのを私は知っているけれどこの世の全ての下着が見せるため、見られるためというのは人間自体の理解の浅さがそこにある。秘めるものにこその人の本質が宿るのだ。表層の見えるところの、というか本来見えるはずじゃない物について勝手な議論をするのは人の内面を勝手に踏み荒らしているような事のはずだ。自分も「ねえねえ、あなたってブリーフ履いてるの? それともトランクス? あーボクサーパンツか〜」とか言われてみればいいのだ! と、考えるけど思い直す。どうせわからないんだろうな。他人にデリカシーがない奴っていうのはそもそも自分に対してデリカシーが無いのだ。

「そういう話、デリカシーがなくて好きじゃないな」

 教室に入るかどうか悩んでいるとそんな声がする。おっ、と思う。クラスメイトの溝口君だ。

 へぇ〜、という溝口君の反応をおちょくるような声がするけど随分と場が白けた感じになってそういう話題が自然と別の話題になる。私は安心して教室に入ることが出来る。

 わかっているじゃん溝口君、と思うけどポイント稼ぎみたいなものの可能性もあるから簡単には心を許さないようにする。そういう他人に対してのポイント稼ぎを内面化している人だっているのだ。

 でも、それから溝口君のことを少し気にするようにする。何気ない教室の会話が聞こえてきたり、朝の挨拶を溝口君を見かけるとしてみたり。実際のところ私が勝手に溝口君を見定めようとしたのもまた傲慢だったな、と感じるくらいに溝口君は人の心を大切にしていた。

 そうして「もっとちゃんと溝口君と話してみたい」と思いながらも一歩を踏み出せなかったある日、私はその光景を見る。

 眠れなくて深夜の散歩をしていた時だった。

 私は学校の近くに住んでいて、歩いて大体十五分。学校のあたりまで歩いて戻ったら少しは眠れるんじゃないかと思ったのだ。学校までの途中の道はコンビニもあって人通りもそこそこにあって安全だ。

 なのに学校の前についた瞬間にフッと光がこの世界から消える。世界から色彩も失われてモノクロームの世界が私の視界には広がっている。

 視界の先の校庭で、駆けている誰か。

 溝口君だ。片手には日本刀のようなものを持っている。

 走る溝口君の背後が次々と破壊される。校庭の地面が抉れ、木々が薙ぎ倒される。そして学校を破壊してるのは溝口君ではない。

 私の目には『見えない何か』と対峙して、溝口君は戦っている。強風が吹いて溝口君が弾き飛ばされる。溝口君の頬が切れ、それでも溝口君は強い風へ向けて駆けていく。

 そして――私には『見えない何か』に向けて溝口君の、一閃。

「えっ」

 その瞬間に私は目を覚ます。私の部屋から見る世界は相変わらず色彩を伴っている。

 夢?

 私は身支度をして学校へ行く。学校にたどり着いても世界は色が消えないままで、昨日抉れた地面も、薙ぎ倒されたはずの木々もそんなことはなかったかのように修復されている。いやそもそもそんなことなかったのかもしれない。

 教室へ行く。

「おはよう、溝口君」

「おはよう」

 私は、言葉に詰まる。溝口君の頬にはガーゼが貼られている。

 それからも私は夜に歩くたびに学校に行く。その戦いの光景を見ることになる。

 溝口君は私に気づかない。そんな余裕ないからだ。命懸けで戦い、傷つき、それでも何でもないような顔で日常を過ごす。

 私は何もすることが出来ない。戦う溝口君の表情は悲痛なもので、私はその戦いが終わってくれることだけをただ願うけど、そんな日々はやってこない。

 私は『見えない何か』を見ることが出来ない。きっと、溝口君以外の誰も見ることが出来ないのだ。見えないところが人の内面を作るのなら、他の人には見えない世界を知っている溝口君の心の孤独はどれほどのものなのだろう。

 溝口君の戦いを見届けて私は目を覚ます。支度をして学校へ行く。

 教室には溝口君がいて、溝口君は左腕をギプスで固定している。

「溝口君、ちょっと話があるの」

 私は溝口君に声をかける。

 多分、私は溝口君のことを理解することが出来ない。溝口君の孤独の全てを知ることは出来ない。『見えない何か』を見ることが出来ないから。

 でも、私は見ていたのだ。溝口君が一人で戦う様を。

 だから踏み出す。半歩だけ。溝口君がそれをどう受け取ってくれるか、後はそれだけだ。

 半歩だけ踏み出す。

「あのね、溝口君」

 私は言う。

 あと、半歩。私は溝口君のことを待つ。〈了〉

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