九十気圧の底で

「ここまでやっても、おじさんに勝てる気がしないんだ。なんでだろ」


【金星 地表】


光差さぬ世界だった。

空全体を切れ目なく覆う分厚い雲に遮られ、陽光はほとんど届かない。九十気圧もの圧力は水深九百メートルに相当し、鉛すら溶けだす高温はほとんどの機械を短時間で破壊してしまう。

いずもはそんな大気層の底にいた。

完璧に制御された九頭竜の巨神は圧力などものともしないし、濃硫酸でも結合できない。五百度の高温で熱がこもってしまうこともない。第二種永久機関としての機能は常に適切な熱の移動を実現していた。

上を。今日から開始された戦闘訓練は高度制限が設けられている。生命が存在する可能性のある層へのダメージを最小限に抑えるためだった。訓練の最初の一週間はそのあたりでの調査活動が主だったのだが。ひょっとすれば金星でのデータ採集が最も盛んになったのは、神格が訓練に訪れるようになってからかもしれない。

ゆっくりと地表を滑走。いずもの巨神は鬼神を象っている。少女的シルエットにメカニカルな白い甲殻、紅い光背。黒ずんだ関節部分。両手で握るのは太刀の柄。それを体に引き寄せる。脇腹近くに当て、切っ先は真上に。そうすることが必要だと、この数か月の訓練。いや、九頭竜の実用試験において知見が得られていた。それは主に真空中での教訓だが、大気圏内であっても役立つだろう。第五世代は基本原理こそ既存の神格と同じだが、実のところ全く新しい兵器だ。亜光速での実戦を経験した種族は、いまだ既知宇宙には存在しない。だから開発時には全く予想の付かなかったことも多々ある。

多数装備された遠距離攻撃兵器が、亜光速戦闘では何の役にも立たないというのもそのひとつだ。

センサーに入感。巨神が自律的に無慣性状態へ移行する。と同時に、背面から副腕群が

総計七本の副腕は虚空より太刀をと無茶苦茶に、しかし相互に干渉しないように振り回す。そのうちのひとつが、背後より光速の99・98%で突き込まれた突撃槍ランスと激突。軌道を逸らした。

副腕で握った太刀群を体に。速度の限界は光速未満と決まっているから、方が旋回には有利だ。

振り返りざまに、両手の太刀を

衝撃。

瞬間的にブラックホール化する寸前まで質量の増加した太刀を受け止めたのは、同じく大質量化した盾。大型の機械の外装を組み立てたかのような十字型のそれは、亜光速環境下でなければ淡い金色に見えただろう。

それは、騎士だった。

戦衣をまとい、幾何学的な部品が空中で連なりつつも浮遊する突撃槍ランスと巨大な盾を構え、女性的な特徴を備え、そして大きな翼を広げた五十メートルの獣神像がこちらに槍を突き出していたのである。

全身から発する蒼い輝きは物質透過しきれない大気の原子とのこすれ合いで生じる原子光。

テュポン級。そう名付けられた、九頭竜と並ぶ超兵器。

光速の99・98%の速度で後退する敵手を、いずもは追わなかった。代わりにその左目から投射したのは強烈なレーザー光。

直撃すれば本州の半分が消えてなくなる威力は、しかし無意味だった。敵手は既に狙った地点にいなかったからである。地平線を超えて飛び去って行く攻撃。

これが亜光速戦闘の厄介さだった。第五世代型神格と言えども、索敵は光速度に縛られる。光や電磁波、赤外線に頼らざるを得ないのだ。それに限りなく近い速度で戦闘する以上、よほど接近していなければが大きすぎる。もちろん第四世代以前の神格やましてや眷属程度が第五世代の前に立ちふさがれば、接近戦以前の問題だ。何が起きているかもわからないうちに破壊されることだろう。第五世代に対抗できるのは第五世代だけなのだ。もちろん、それ以外の性能においても。

もっとも、同じ第五世代と言っても差はある。テュポンは巨大すぎる。翼。突撃槍。盾。いずれも明確な機能の存在する優れた兵器だが、その長大さは旋回性能に悪影響を与えていた。その分広い間合いでの戦いが可能となり、大型のセンサー受信部として働くから一長一短とはいえ。

追いつけないことを悟ったいずもは。空間を歪め、光速すら超えて距離を無にしたのである。一撃離脱ヒットアンドウェイを身上とする敵に対抗するには接近するのが一番だ。

果たして。

いずもの予想と寸分たがわぬ地点に、敵手はいた。

副腕を伸ばす。太刀を振るう。突く。切り裂く。立て続けの連続攻撃がテュポンを襲う。盾で弾かれ、突撃槍で受け止められ、翼に阻止されてなお、いずもの攻撃は相手を傷付けて行く。

やがて、テュポンの姿勢が崩れた。槍が跳ね上げられ、胴ががら空きとなる。

致命的な隙。

いずもは、容赦なく刃を突き込んだ。

見事、テュポンの胴体を貫通した太刀。更に二本。三本。与えた傷は広がり、ひび割れていき、やがて―――

「そこまで!いずも、ストップ!!」

聞きなれた声に、いずもは手を止めた。

演習モードが解除され、無慣性状態が停止。周囲の光景が正常に戻り、巨神に移されていた判断主体が神格へと返還される。

眼前には、たった今串刺しにしたばかりのテュポンの無傷な姿。先ほどぶっ放したレーザーの痕跡は跡形もないし、大気はほとんどかき乱されてもいない。

そして上空にいたのは五柱の巨神。教官が三名とそして今戦ったのとは別のテュポン、九頭竜の姿がある。亜光速機動に対応できるのは第五世代だけだからこその措置。

そのうちのひとりに視線を向けたいずもは、喜色を浮かべた。

「ベルナル!いずも、がんばったよ!」

「頑張ったのはいいけどやりすぎ!そんなに何度も刺さなくてもいいよ」

「だめ?」

「だーめ。模擬戦なんだから」

「はあい」

見れば、たった今戦ったテュポンが後ろにひっくり返っていた。いずもの相手でよほど緊張したらしい。

教官たちに両脇を抱え上げられ、ふわり。と浮き上がる対戦相手のテュポン。

「さ。船に帰ろ」

「うん」

ベルナルの拡張身体が伸ばした手を、いずもは握り締めた。




―――西暦二〇六五年十一月。惑星上での亜光速戦闘が可能であると実証された日の出来事。

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