かつて生きていた星

「先生。戦争が終わったら、微生物を探しにまた金星へ来れますか?」


【太陽系 金星往還船】


「金星は死んだ星である。すなわちかつては生きていた。これまでの調査では、液体の海があった可能性が非常に高いことが分かっている。かつては地球の熱帯にも似た気功だった可能性があるのだ。海に覆われ、川が流れていたかもしれない。それが干上がったのは地殻変動によるものだった。惑星内部から放出された大量の温室効果ガスは、星全体をたちまちのうちに蒸し焼きとしたのである。蓄積する熱量は留まるところを知らず、水分はそのほとんどが失われた。大気に重水がそれも異常に多く含まれるのはその名残だ。水素の同位体である重水素は、水素より中性子一個分重い。その結果宇宙に吐き出されず、惑星上に留まることが出来たのだと」

黄蓉ファンロンは室内を見回した。宇宙船の内部には何十人が集合できるようなスペースは少ない。無重量空間中、床の上でこちらと正対しているものもいれば。天井に座っている者もいるし、壁にくっついている者もいる。いや。天井や床と言うのは比喩で、宇宙船内部では全方位が壁だ。単に黄蓉からはそう見えるというだけの問題に過ぎない。

聴衆たちは肉食獣的特徴を備えた長い耳のテュポン。日本の狐面にも似た顔に翼のような耳をぱたぱたさせている九頭竜ナインヘッド。休憩中で時間潰しに来ている人間の乗組員。そういったところだ。他の艦でも同様の講義を教官が行っているだろう。まあ出発前にレクチャーは散々してある。これはだから、復習のようなものだ。

「金星はかつて地球に似ていた世界だった。だから、生命が存在した可能性がある。もちろん現在の地表にはいないと考えていいだろう。だが、大気の層の一部の領域では驚くほどに穏やかな環境が維持されている。硫酸の雲より下の温和な層では、強酸性の水滴の中で生き残った微生物が繁殖しているかもしれない。そうだとすれば、微生物を含んだ水滴は重いので降雨するはずだ。より高温で乾燥した下部もや層へと。そうなった微生物はひょっとすると、胞子のような休眠状態で過ごすのかもしれない。上昇気流で穏やかな環境に戻り、再び目覚める時まで。全ては科学者の描いた想像の産物に過ぎないが、現実にこのような生態系が存在する可能性は今も否定されていない。だから我々は、この存在するかもしれない貴重な生態系を極力破壊しないよう、訓練計画を遂行することになる」

そう。地球では危険すぎて行えないような訓練を行うために人類は金星を利用しているが、それによる環境への影響は最小限に抑える必要があった。もちろん、最悪の場合は想定しなければならないにしても。

「現在は戦時だ。科学探査よりも軍事面が優先されているから、環境を破壊する危険がある、高度な訓練を行うことを許されている。それを肝に銘じ、諸君には訓練に臨んで欲しい。

何か質問はあるかな」

「はい!黄蓉先生」

「君は―――ベルナルか。何だ」

「戦争が終わったら、微生物を探しにまた金星へ来れますか」

「そうだな。できるようになる、だろう。戦前のように。君が強く望むのなら。質問は以上か?」

「はい!」

質問を終えた生徒から視線を外し、黄蓉は室内を見渡した。

この後も幾つか質疑応答が続き、そして講義は終了となった。




―――西暦二〇六五年十月。金星往還船が目的地に到達する四日前の出来事。

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