天幕の下で
「……あー。ごめんなさい。あなた、どちらさまですか?」
【
何もかも飛んでいきそうな有様だった。
樹海の中、作業を続けるデメテルは天を見上げる。
空を覆っているのは硝子の枝葉。幾重にも重なった構造は風に大きくなびき、豪雨を受け止めている。この惑星の原住植物類もこのような性質は地球のそれと同じだ。柔軟性によって風の破壊力を受け流すのである。進化は巧みだが、案外独創性というものはないらいしい。
そんなことを思いながら、ロープを枝に結び付けた。
背後にはかっちりと固まった形の天幕。軍事用のかなり頑丈な、しかしごく普通の物質である。柔らかいそれはしかし、風にあおられてもピクリとも動かない。デメテルが分子運動制御でしっかりと押さえているからだった。そうでもしなければこの状況下、天幕を広げるなどできなかっただろう。分子運動制御型ではないデメテルにとってはそれで手一杯で、固定のためのロープは自分自身の手で何とかする必要があったが。
続いて地面に
分子運動制御の手を離す。天幕がたちまち暴風ではためきだす。飛んで行きそうで不安だが、ずっと固定しているわけにもいかない。樹海の防風林としての性能を信じるしかないだろう。
天幕に入る。自分の体表面に分子運動制御を働かせて絞る。流れ出た水分を追い出す。完全に乾くには程遠いが、まあその内乾燥するだろう。眷属の体は風邪を引く心配もない。
中で横になっていたのは、黒髪が美しい東洋人の少女。
ブリュンヒルデだった。応急処置が施されているがその姿は無惨なものだ。全身に裂傷。片手はねじ切れ、後頭部は頭蓋骨が陥没している。腹部にも重傷だ。眷属でなければとっくの昔に死んでいただろう。いや、このままでは生命に関わるのは同じだ。
再生が既に始まっている部位はパッチを張り付けて応急処置。それより問題は頭蓋骨陥没だ。ここは相当に厄介だ。脳は神格にとって最も脆弱で重要な部位である。その他の動物と同様に。これを何とかせねばならないだろう。
傍らに置いてあるサバイバルキットを開く。とても足りない。掌を開く。ライムグリーンの流体を呼び出し、
最初に構築したのは、道具を置く台。手術道具がたちまちのうちに創造され、医薬品が合成される。必要な道具類を作り出し終えたところで。
デメテルは天幕内を消毒した。更には分子運動制御によって、道具類を持ち上げる。
やるしかない。友人の肉体を生かし続けるためには。
それが例え、あの邪悪な機械生命体を救うことを、意味していたとしても。
デメテルは、ブリュンヒルデの治療を開始した。
◇
「―――」
デメテルは、うっすらと目を開けた。
いつの間にか眠っていたらしい。敵にいつ襲われるともしれぬ状況でこれはあまり褒められた状況ではない。油断した。
などと、ぼんやりと考えながら。
目が合った。
こちらをじっと見つめていたのはこの半世紀ずっとそばにいた、相棒の顔。
しばし互いに沈黙。見つめ合う。
やがて。
「気が付いたのか!よかった……」
デメテルの反応に、ブリュンヒルデは困惑したようだった。
「え?あ、あのー……一体」
「覚えていないのか?まあ酷い傷だったからな。頭蓋骨が陥没していたぞ」
「ふぁっ!?」
なにやららしくないリアクションで、後頭部に手をやるブリュンヒルデ。ギョッとした表情のまま固まっている。ますますらしくない。
「大丈夫だ。もうかなり治癒している。二日も寝ていたからな」
「助けて……くれたんですか?」
「ああ。当たり前だろう。私と君の仲だからな」
相手の応答に、違和感を感じる。まあ疲れているのだろうと思い、周辺に散らばっている手術道具を片付ける。長時間にわたる難しい手術だった。おかげでデメテルもくたくただ。さすがにゆっくりと休みたい。こんな、倒れ込むように眠るのではなく。
そんな彼女に、ブリュンヒルデがかけた言葉は申し訳なさそうであった。
「……あー。ごめんなさい。あなた、どちらさまですか?」
空気が凍り付く。
デメテルは、強張った顔を少女に向けた。
「……本気で言ってるのか?」
「……ほ、ほんき、です……頭蓋骨が陥没しちゃったせい……ですかね……?」
ブリュンヒルデの記憶は、失われていた。
―――西暦二〇六四年。デメテルが五十四年ぶりに友人と再会した日の出来事。
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