嵐の夜に

「―――ああ、それにしても。ひどい、嵐だ―――」


樹海の惑星グ=ラス南半球海上】


酷い嵐だった。

力任せの気象制御の余波によって生まれたそれは、近場でまき散らされた莫大なエネルギーを吸収。更に発達し、想像を絶する水準の暴風雨である。仮に陸上でこれほどの災害が起きれば、地下の核シェルターでもない限り、人間の助かる余地はあるまい。

だから。暴風の中を飛翔する幾つもの影は、人間ではありえなかった。

それらは神像である。一つ一つが精緻な造りである巨体は、しかしいずれも無傷ではなかった。あるものは表面が溶融しまたあるものは四肢や頭部が欠損、あるいはひび割れていたのである。

神々の軍勢。その敗残兵どもであった。

四百を数えた眷属も、もはや六柱しか残っていない。他にも逃げ延びた者がいるやもしれぬが。対する国連軍の被害はほとんどない。完敗と言ってよかった。

追撃を逃れるため、眷属たちは海面すれすれを飛翔していた。

「―――平気かい?ヒルデ」

「ええ。なんとか。それより貴女こそ大丈夫ですか?」

「まあなんとかね。死ぬかと思ったが。今回も死ななかった。君のおかげだ」

数少ない生き残りの中に、ブリュンヒルデとデメテルもいた。両者の赤とライムグリーンの女神像は、ともにかなり傷ついている。しかし致命傷ではない。巨神の自己修復は進んでいるし、肉体のダメージもそのうち癒えるだろう。

しかし、その心持は平穏ではなかった。少なくともブリュンヒルデからは、デメテルはそう見えた。

「国連軍の戦いぶりは執念にも似たものを感じる。彼らの神々に対する敵意はすさまじいものがあると思わないか」

「そうですね。私も同意見です。そうでもなければあれほどの精強な軍勢、維持どころか増強し続けることなどできるはずもない」

「彼らを突き動かしているのは何なんだろうな。国連軍はこの星の人類を救助するのが目的だと公言している。だが眷属をこうも容易く、知性強化動物に殺させている。眷属は人間ではない。というわけだろうか」

「どうでしょうね。こればかりは直接聞かなければわかりませんが。ひょっとすれば―――彼らは、眷属を人間ではない。とみなしているのかもしれません。神格に乗っ取られた時点で死体と同じだと」

「私たちは動く死体リビングデッドというわけだ。まあ彼らからすれば似たようなものか。それは怒りを掻き立てるだろうな。神々の作った神格は、存在自体が死者への冒涜なんだな。整合性のとれた仮説だと思う」

こうしている間にも、嵐が止む気配はない。ありがたかった。少なくとも、これだけの暴風雨が続けば敵に発見される危険は著しく低下する。残党狩りに出くわす危険は限りなく小さいだろう。よほどの不運が重なりでもしない限り。

ブリュンヒルデたちは知らなかったが、今日はアンラッキーな日だった。それも、とびっきりに。

それは、衝撃波を伴ってやってきた。

暗灰色をしたその長槍は、六百トンの質量と音速の二十四倍の速度をもって飛翔。隊列の中央にいた眷属の胴体を貫通する。

致命傷であった。粉々に砕けた眷属の亡骸は、後からやって来た爆風によって吹き散らされていく。それどころか暴風雨すら吹き飛ばし、暗雲をほんの一時晴らしたのである。

月明かりが一瞬だけ、眷属たちを照らし出した。明々と。

奇襲に対処できたかどうかが、明暗を分けた。

咄嗟に加速した者。上方に飛び出したもの。防御のためのアスペクトを発動したもの。対処するための行動をとった眷属が生き残り、二柱が次なる犠牲者となったのである。

銀色の槍が青い男神像を貫いた。飛来したプラズマ火球が一柱を直撃し、そして。

忽然と出現した蛇の頭部に、一体が。まるで脈絡なく出現した虹色の蛇が、薄絹をまとった女神像の上半身をのである。

そいつの体に目をやれば、豪雨のヴェールの向こう側にまで続いている。十キロメートルもの向こうから瞬時に伸長した蛇が、眷属を喰らったのである。

出現時と同様、忽然と消える蛇。長さを元に戻したのであろう。無時間でどこまでも伸びる蛇の巨体を防ぐのは著しく困難だった。

「―――くそっ!追手だ!!」

「逃げられません。受けて立つしか」

ブリュンヒルデは周囲を確認した。己とデメテル。そしてアスペクトでプラズマ火球に耐えきった漆黒の武神像だけが生き残っている。まだ敵勢との距離はある。槍やプラズマ火球が飛んできたのがその証拠だ。しかし蛇が―――人類製第三世代型神格"虹蛇ユルング"が敵にいる限り、逃げるのは不可能に近い。

残った三柱の眷属は、攻撃が来た方向に身構える。

そこへ、敵が襲い掛かってきた。豪雨のヴェールを突き破り、先陣を切ったのは―――

「まずい!まともに受け止めるな!!」

デメテルの警告は間に合わなかった。最初のターゲットに選ばれた武神像は漆黒の槍を振りかぶり、防御の姿勢を取ったのである。

そこへ、暗灰色の長槍が振り下ろされた。

二つの槍がぶつかり合い、つばぜり合いの格好となったのは一瞬。

長槍が震えた。いや、その主人たる暗灰色の獣神像の全身が、まるで波紋のように脈打ったのだ。

効果は覿面だった。

漆黒の槍。そして、槍を支える武神像の両腕が粉々に砕け散る。

「―――!!」

武神像は無策ではなかった。その権能。受け止めた攻撃のエネルギーを無効化する、不滅のアスペクトによって防御は万全のはずだったのだ。

誤算があったとすれば、それすらも突破する圧倒的な攻撃力を、敵手が備えていたことだろう。

身を守る術を失った武神像の胸板に、長槍が突き込まれた。一拍置いて生じた振動が槍を通じて流れ込む。

武神像を構成する自己増殖型分子機械の集合体は、粉々に砕け散った。

それを為した獣神像は、ゆっくりとこちらを向いた。ブリュンヒルデと視線が合う。蝙蝠にも似た頭部に軽装の甲冑を身に着け、左手には盾。右手には長槍。背中から巨大な一対の翼を備えたそいつの名を、人類製第三世代型神格"ドラクル"。

更に。

海面それ自体が。それは津波となり、絞られ、細長くなりそしてブリュンヒルデへと

「―――!」

奇襲は、ブリュンヒルデの赤い女神像。五十メートルの巨体の左腕を砕き脇腹を貫通していった。凄まじいダメージは肉体をも巻き込み、決して小さくないダメージを与える。

空中で向きを変えたは変色し、物性を変化させ、たちどころに自己組織化し、黄金色の猿神へと姿をかえた。一万トンの質量に中華風の衣装をまとったそいつは"斉天大聖"。自らの物性と形態を自由自在に変化させる強力な神格だ。

「―――ブリュンヒルデ!!」

周囲を見回せばデメテルとの距離が著しく開いている。たった今とった回避行動が、彼女とブリュンヒルデとを分断したのだ。

咄嗟に手を伸ばそうとして。

ブリュンヒルデがその一撃で即死しなかったのは、膨大な戦闘経験の賜物であったろう。

しかし音速の十倍もの速度で突っ込んで来た白銀の機械昆虫の体当たりは、控えめに言っても赤の女神の耐久限界を超えていた。

がひび割れる。頭部が欠損。ただでさえ重篤だった肉体のダメージはさらに拡大し、意識が朦朧としてくる。

そこで、限界が訪れた。肉体の。ではない。機械生命体によって統制されていた脳。ブリュンヒルデという人格を作り上げていたハードウェアの損傷が、自我を保てるだけの機能を喪失しつつあったのだ。

急速に浮かんでくるとりとめのない記憶。制御できない、自分のものではない思考。なんだ。これはなんだ。私のものではない思考が溢れてくる、これは一体何なのだ!?

ブリュンヒルデは。この眷属は、混乱の極みにあった。ただひとつ確かなのは、己が死につつあるということ。それも、この肉体本来の自我に浸食されていく形で。

己を構築する思考制御が今まさに崩壊しつつある。という事実を、彼女は死の間際になって理解したのである。

いま一度、デメテルの姿を視界に収める。ライムグリーンの女神像。できれば巨神ではなく、彼女本来の素顔を目にしたかったが仕方がない。もう時間がない。できるかどうかは分からなかったが、蘇りつつある自我へのを試みる。最終的な敗北は免れないにしても。最期の力で神格の回路の一部をロックする。脳からの指令で簡単に戻せる、ごくささやかな操作。受けたダメージから回復した時、元人格の記憶や情緒が正常に戻るまで時間がかかるだろう。何しろ脳に組み込まれた機能が寸断されているのだから。急場しのぎでしかないから、大した時間は持ちこたえられまいが。

―――私は自らを葬り去る。体はくれてやっても、記憶までくれてやる気はない。この世界に何も知らぬまま放り出され、途方に暮れるがいい。

死ぬのは怖くない。ただ、金色の髪が奇麗な友達。デメテルのことだけが気がかりだった。大丈夫。やるべきことはやった。自我が崩壊し、本来の意識が復活したとしても、彼女に危害を加える危険だけは排除した。後は、デメテルが生き延びられることを祈ろう。

―――ああ、それにしても。ひどい、嵐だ―――

そうして、赤の女神ブリュンヒルデは、死んだ。




―――西暦二〇六四年三月末。現存する最古の眷属の一体が斃された日。樹海大戦終結の三年前の出来事。

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