八咫烏
「―――嫌な空気だ」
【
どこまでも、蒼かった。
母なる
かつてこの惑星全土を覆い尽くしていた硝子のごとき生態系は、近年急速にその勢力圏を減らしつつある。種としての寿命が尽きつつあることだけが原因ではない。激化しつつある戦争のせいだった。破壊され、あるいは環境の変化によって枯れ果てた樹海は速やかに置き換わる。緑の植物群。地球由来の生態系によって。
それがまるで、勢力を拡大している地球人類のようで、パイロットはぶるり。と身を震わせた。
狭いコクピットであった。外の様子を映し出しているのは身に着けている装甲宇宙服の
「どうした?」
「ああ。嫌な空気だと思っただけだ」
前席の相棒に答える。この仕事は長いが、嫌な予感という奴はたびたびやってくる。当たるときもあれば当たらない時もある。ただ一つ言えるのは、このような感覚は有用だということだ。気のゆるみを自覚させてくれる。パイロットはそうやって生き残ってきた。
もっとも、嫌な空気と感じるのは無理もない状況ではあった。ふたりがいる軌道は、敵、拠点防御型神格の有効射程内なのだから。
今のところ攻撃は飛んでこない。地表近くを浮かんでいる、国連軍の樹木型神格であるそれは、数万キロメートルの射程と圧倒的な火力、遠距離攻撃に対する絶対的な防御性能を持っている。気圏戦闘機が発見されれば一瞬で蒸発させられるだろう。何しろ緒戦では、三十もの神格が一方的に撃破されたのだから。
ふたりがそうなっていないのには幾つか理由があった。まず第一に、気圏戦闘機のステルス性能が極めて優れていること。そして件の拠点防御型神格はアクティブレーダーを宇宙に向けていないこと。膨大なリソースが必要になるからこれは理解できる理由ではある。そして第三に、人類が強力な事だった。彼らがこの十年で破壊した神々の宇宙機、人工衛星はとても数えきれない。破壊された残骸は宇宙ゴミとして漂っている。軌道上は力学的には完全に安定した環境ではないからいずれは漂い出たり、惑星に落下していくだろうがそれが十分な水準に達するには何十年、何百年とかかるだろう。無数のゴミは地上からでは気圏戦闘機や、状況によっては大型の宇宙艦艇ですらカモフラージュできるほどだった。何しろ神々の宇宙兵器のレーダー反射断面はそれらの宇宙ゴミと大差ないか、より小さいほどなのだから。後は星や太陽光を遮らぬようにうまく動けばそうそうやられることはない。神々の宇宙艦隊がかなり自由に動き回れるのもそれが理由にあった。
だから。
ふたりが、貴重なものを見ることが叶ったのもそれが理由であったろう。
そいつは、黒かった。
何の気配もなく浮かび上がってきたものは、闇。気圏戦闘機の火器の有効射程を大きく割るほどの近距離に出現したのはそいつのステルス性の高さ故であろうか。
「何が起きた!」
「分からん!突然現れたぞ!!」
骨伝導と神経刺激による警報が鳴り響く中、ふたりはセンサー系をそちらに集中させる。
「デカいぞ……巡航艦クラスだ」
「ピクリとでも動くなよ。この距離で敵だったら間違いなく俺たちの方がお陀仏だぞ。やり過ごせ」
昔地球で覚えたという表現を使う相棒にパイロットは同意。図体が違いすぎる。仮に巡航艦だとすれば、こんな近距離でたった一機の気圏戦闘機が勝てる道理はなかった。腹に対艦ミサイルでも抱えていれば話は別だが、偵察任務中の機体にそんな装備はない。
「―――こいつは機械じゃない。流体の塊だ」
「神格の宇宙戦闘形態か。また新型を繰り出しやがったのか、奴ら」
気圏戦闘機の制御系は、
やがて、相手の全貌が見えてくる。
それは、鳥だった。大きく広げた両翼は六百メートルはあるだろう。全長は五百メートル近く。頭部は小さく目立たない形態。下面からは三本の構造がまるで
漆黒の流体で出来た、そいつは神格に違いない。それも今まで確認されたことのない機種。
ふたりに知る由などなかったが、その名は人類製第四世代型神格"八咫烏"。最新鋭の宇宙兵器であった。
気圏戦闘機に気付いていないように、漆黒の巨体は加速。軌道を上昇していく。
それで、終わりではなかった。八咫烏は一柱ではなかったからである。
二柱目。三柱目が後に続き、そして四柱目は同様の巨大な。そして異なる姿をした神格が上昇していく。
総計四柱もの新型が、ふたりの見ている前で上の軌道に遷移していったのだった。
「こいつら……何をする気だ」
「―――上の軌道。まさか。補給路に攻撃を加える気じゃあるまいな」
「!警告しないと!!」
「待て。今電波を出せば確実に殺られるぞ。こいつらが十分に離れて、俺たち自身も地表の拠点防御型神格の射程圏外に出るまで我慢するんだ」
「……クソっ!」
「気持ちは俺も同じだ」
「味方が勝つのを祈るしかない。航路警戒に当たっているのは精鋭だ。そうそうやられはせんさ」
「……そうだな。今は俺たちが生き延びることを考えよう」
この後彼らが安全圏に達し、警戒情報を発振するまで百二十八分。帰還を果たし、そして敵の新型による損害の報を聞いたのは八時間後のことだった。
―――西暦二〇六二年。八咫烏を神々が初めて実戦で確認した日、人類と神々の宇宙における艦隊決戦が行われる一カ月前の出来事。
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