結局自分で

「結局、勉強は自分でやるしかないんですのよ。この科学が進んだ現代でも」


【東京都千代田区 公立高校図書室】


「頭がおかしくなりそうですわあ」

フランは机に突っ伏した。

高校の図書室でのことである。遺伝子戦争後の公共施設の図書室の例にもれず、休日には一般に開放されているため市民の姿もちらほら。

そんな中でフランが開いているのは端末や参考書類。受験勉強だった。

「……難しい。です?」

「難しいですわよ」

「たいへん」

隣で首を傾げるはやしも。既に自分で研究して論文を書く段階に達しているこの超生命体からすると、その数段前で躓いているフランが不思議に見えるらしい。巨神や超人的な身体能力がなくとも、知性強化動物は人間を大きく超えた生命なのだ。都築家で過ごした一年と数か月ほどの時間で、フランとはやしもは既に教える者と教えられる者との関係が逆転していた。今やはやしもがフランに勉強を教えているのである。

「志織さんが防衛大学校に入った時はどんな感じだったんでしょうね」

「ふしぎ、です」

「まああの人はもともと東大に入る予定だったそうですから、頭の出来が私と違うのでしょうけど」

フランは、積みあがった参考書を見た。最低限これだけはやっておけと志織に言われた品々である。神格は脳内に各種の知識や技能が書き込まれるから、現時点でもフランの医者としての能力は、アスペクトを度外視しても常人の医者と同等かそれ以上だったりする。問題は神格を作ったのが神々だということだ。当たり前だがそれら知識は地球の言語で記述されているわけではないし、法令などもフランの脳には書き込まれていない。医師免許を取るなら自分で勉強してそのあたりはすり合わせる必要があった。幸いと言っていいのかどうか、防衛大学校には人類側神格のための枠がある。元は志織ひとりのために設けられたものだが、制度がそのまま残っていたのだった。フランが優秀ならば最短二年で卒業が叶うだろう。

「結局自分で勉強して頭の中に入れないといけないのが大変ですわー。機械みたいに書き足すわけにもいきませんし」

「べんきょう」

「はやしもは、勉強に苦労したことはないんですの?」

「ない、です」

「賢いですわねえ」

フランは、この妹のような人造生命体の頭を優しく撫でた。この子は人間でしかないフランよりも遥かに高い性能を発揮することが運命づけられている。そのように作られた。

「そういえばはやしもは脳がないのに、撫でる箇所が頭なのはいいんですの?」

「撫でられる、好きです」

はやしもたち"蠅の王ベルゼブブ"は無中枢システムが採用されている。無数の蟲が集まり、全体として人間の脳に近い機能を発揮することで知性を得ているのだ。多少の欠損は問題にならない。例えばここで頭が砕けてもすぐに元通りになるだろう。記憶は全体で保存され、何度も繰り返し思い出されることで強化されていく。個々の蟲が本能に従って連携し、電気信号と電磁波、フェロモンや無数の神経伝達物質をやり取りする事で脳のように振る舞えるのだった。まるで、社会性昆虫が高度な社会を構成しているかのように。蠅の王のベースとなったのはハチだが、それは非常に単純な仕組みで動いている。人体の個々の細胞が単純なルーチンで働いているように。だからそこに人体以上に高速で高精度のネットワークが付け加われば、高い知能を得る事も出来るのだった。実現するためのテクノロジーはすさまじい水準となるが。

超テクノロジーの産物は、しばし気持ちよさそうに撫でられていた。

「さ。そろそろ勉強に戻りませんと」

「手伝う、です」

ふたりはどっしりと腰を下ろすと、勉強に専念。

それは、閉館の時間まで続いた。



―――西暦二〇五九年、七月。蠅の王が完成する半年前の出来事。

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