朽ち果てる前に
「そうだったな。私たちに未来などないのだ」
【
「おおおおおおおおお!!」
デメテルは武装を振り上げた。
音速の五倍もの速度を与えられた三百トンの質量は大気を叩き割る破壊力を発揮。狭い谷間に巨大な暴風を巻き起こし、樹海の木々を薙ぎ払う。
その一撃を受けて生きていられる者などいようはずもない。受けていれば。
実際の所、この攻撃が空振りだったことをデメテルは知っていた。彼女の拡張身体。ライムグリーンの宝石で構成された五十メートルの女神像が対峙する敵手は、二つに分断されていたのにも関わらず。
反撃は、左右から来た。
額から股下までが真っ二つとなった黄金の猿神像。そやつの両腕が、それぞれ虚空より火球を掴み出し、そして別々に投じたのである。
対するデメテルは無様に転がって回避。勢いを殺さず、分子運動制御で跳ね上がりながら再度立ち上がって敵手と向き合う。
その時点で既に、猿神像は復元を終えていた。いや。変形と呼ぶべきか。真っ二つになった部位が癒合し、たちまちのうちに一体の像と化したのである。変化の力だった。人類製第三世代型神格"斉天大聖"。その最大の能力は、自由自在に自らの形態を変えることであったから。
―――強い。
デメテルは身構える。戦争開始から七年。国連軍の神格は一貫して精強だった。強く、知的で、狡猾。練度も申し分ない。多くの眷属が破壊された。今では開戦以前から生き残っている眷属などほとんどいないだろう。対峙するたび逃げ出したくなる。脳に焼き付けられた枷がなければ、そうしていただろう。
相手を注視していたデメテルは、しかし次の手を読めなかった。
右足が内破。バランスが崩れる。そちらに目を向け、ようやく何が起きたのかを理解。相手からこちらまで、木々に隠れて一筋の黄金が伸びている。地面についた染みのごときそこから、巨大な棘が生じてデメテルの脚を貫いたのだ。
視線を向け直した時には既に、斉天大聖は棍を振り上げて間近に迫っていた。
避けられない。デメテルが覚悟を決めた、その時。
幾つもの矢が、猿神へと突き刺さった。遅れた衝撃波が木々の枝葉を揺らす。それは猿神の動作を妨害し、デメテルを生き永らえさせる。という戦果をもたらした。空を切る棍。
負傷した斉天大聖は自ら形状を崩すと黄金の湖と化し、木々の間を抜けて逃げて行く。
「―――無事ですか、デメテル」
「君か。ブリュンヒルデ」
救い主は知った顔だった。赤い女神像。翼を持ち、弓と剣で武装し、戦衣と甲冑を身にまとった優美なる像が空中より舞い降りて来たのである。
「可能なら足の復元を。後退の指示が出ました」
「やっとか」
デメテルは、待ち望んでいたものがようやく来たのを知った。撤退命令。本隊が後退に成功したのだろう。その間に眷属が十以上撃破されたわけだが。国連軍とは大違いだ。人類は神々と違って神格を大事に扱う。
ブリュンヒルデに助け起こされたデメテルは、精神を集中。自らの流体を集め、足を復元することに成功した。たちまちのうちに一万トンの質量を支える足が元通りとなる。
「さっさと下がろう。さっきの斉天大聖が応援を連れて戻ってこないとは限らない」
「ええ。そうし―――!?」
ブリュンヒルデは、相槌を打ち終えることができなかった。
真横から伸びて来た巨大な蛇の尾に、打ち据えられたから。
即座にそちらへと向き直ったデメテルは愕然とした。前方一キロメートルほど先の岩山に絡みついていたのは、山よりも巨大と見える、漆黒の蛇であったから。
「―――
蛇は、鎌首をもたげた。次の瞬間には、デメテルは弾き飛ばされている。この人類製神格は早いのだ。実時間ゼロで動くのが、創造主より与えられた
空中でバランスを取り直したデメテルは、見た。恐るべき速度で大地を這い進み、こちらに迫ってくる敵神の姿を。
第二撃。三撃。虹蛇の攻撃のひとつひとつが凄まじい威力だ。先読みで受け止めるにも限度がある。まともに戦えば太刀打ちできぬ。
だからデメテルは、まともに戦わぬこととした。下腹部から円盤型の機械を取り出す。相手に向けて投げつける。
それは、一拍置いて炸裂。強力な閃光をまき散らすに至った。
生じた隙を、デメテルは無駄にしなかった。周囲を確認すると、打ち倒されたままの相棒を発見。そのまま担ぎ上げたのである。
閃光から立ち直った時。
◇
「―――助けるつもりが助けられました」
「お互い様だ」
ブリュンヒルデとデメテル。二柱の眷属は谷間を低空飛行しながら言葉を交わしていた。高度を迂闊に上げられない。上げれば対空兵器の餌食だ。今はひたすら安全な場所に逃げ延びたかった。
「連中凄まじい性能だった。年々上がっていくように感じる」
「ええ。このままではいずれ、私たちでは対抗できなくなります。今のうちに出来る事をしておく方がよいでしょう」
「できる事。か―――」
デメテルはため息。そんなものがあれば苦労はしない。
「いつまで続くんだろうな。これは」
「我々が朽ち果てるまで。あるいは神々が戦いに勝利するまで」
「そうだな。何とも心躍る話じゃないか」
ブリュンヒルデの言葉に頷く。そうだ。自分たちに未来などないのだ。
二柱の眷属は、そうやって山向こうへ姿を消していった。
―――西暦二〇五九年。樹海大戦がはじまって七年目、ふたりの少女が眷属となってから四十九年目の出来事。
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