心待ちにした援軍

「来年には戦場かあ」


【ルーマニア トランシルヴァニア地方シビウ県 ミカエルの自宅】


ミカエルは、窓から夜空を見上げた。

ちらちらと降ってくるのは雪。積もるのだろうか。今年の冬は冷える。

窓の向こう、見慣れた聖堂要塞ではアスタロトイレアナがひとり夜を過ごしているはずだった。もう眠っているかもしれない。

「そんなところにいたら冷えるでしょう。風邪引くよ」

「引かないよ。知ってるでしょ母さん」

部屋の外から声をかけて来た母親にそう返す。もちろん生物学的には何の血縁関係もない。育ての親というだけの話だ。それも週に二日、こういったクリスマス休暇の時などはもう少し長いが。ミカエルには生物学的な意味での親はいない。ひと昔前までは動物の代理母に産ませる手法が主流だったらしいが、近年は完全な人工子宮によって知性強化動物が生まれてくるのが当たり前となった。不確定要素が減り、より安全に子供を作ることができるからだという。人類にとって知性強化動物の増産は急務だ。

窓ガラスに映った自分の姿を見る。

これを見て人間だと思う者はいないだろう。少なくとも、遺伝子戦争以前の人々は蝙蝠の化け物だとかなんとかいうはずだ。流暢に人間の言葉を操っても結果は同じに違いない。

現代人は違う。知性強化動物を大切に育て、人間の中で成長させる。人間とはどういう生き物か、知性強化動物はよく知っている。

人間は、知性強化動物にとって居心地の良い場所を作ることに余念がないのだと、三年あまり生きたミカエルは実感していた。

曇った窓ガラスに指で落書きする。適当だ。顔を描く。蝙蝠っぽいのをいくつか。人間っぽいものも。明日には雪が積もっているだろうか。もしそうなら妹たちと雪遊びをしたい。落書きに雪だるまを追加。

自分たちは第一陣だ。半年。九カ月。一年。歳が離れた姉妹がどんどん生産され、この村や他所の軍事基地で育てられている。後継機が完成するまでどれくらいのドラクルが作られるのだろう。ドラクルだけではない。フォレッティ。斉天大聖。チェシャ猫。"G"。ケツァルコアトル。コシチェイ。来年には大幅に増産された多種多様な知性強化動物の第一陣が投入されることとなる。先年末の大規模な戦いの傷もいまだ癒え切ってはいない国連軍にとっては、心待ちにしていた援軍だ。それ以上のダメージを受けた神々にとっては恐怖の使者か。膠着している戦況は傾くだろう。いや、傾かせるのだ。ミカエルたち若者が。

この戦いは人類が神々を徹底的に打ち負かすまで、決して終わらない。そう知っていたから。人間の肉体を奪い、あるいは洗脳して破壊兵器に作り替えるような種族が手を伸ばせば届く場所にいるのだ。人類を脅かす能力を完全に奪い去るのが最低ラインだと、ミカエルは自然に理解していた。すべての知性強化動物がそうだろう。

この三年で人類は十五万を優に超える眷属を撃破してきた。十五万人の人間を殺した。いや、殺されたのだ。神々に。許してはおけなかった。さもなくばこれからもイレアナのような犠牲者は出続けるだろう。

正直、戦争に行くのは怖い。だが神々が自らの欲望のまま、人類を脅かし続けるのはもっと恐ろしかった。

「ミカエルー。ご飯よ」

「今いくよー」

階下からの声の答えたミカエルは、よっこいしょと立ち上がった。今はもう少しだけ、この猶予期間を楽しもう。恐ろしさを忘れて。

新たなる戦士の卵は、最後にもう一度だけ雪の夜空を見上げると、部屋を出て行った。




―――西暦二〇五五年十二月。ドラクルが実戦投入される前年、樹海大戦終結の十二年前の出来事。

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