クジラの歌が海底下を暴く

「この世界にもエコロケーションを行う生物はいたし、その活用手段も編み出された。ただ、それらの技法は生物の絶滅によって忘れ去られただけのことだよ」


樹海の惑星グ=ラス南半球 探査船パイシーズ号】


「そういえば"ワキンヤン"には会ったかい?」

「はい。もう十年近くも前になります。彼が引退した直後に」

昔ながらの船のキャビンだった。

所狭しと様々な機材や書籍が置かれたそこで作業をしているのは、今はひとり。いざとなればここで大勢の科学者たちが議論を交わし、実地調査の打ち合わせを行うということを希美は知っていた。

カメラを手にした希美の前に腰かけ、ノートパソコンをいじっているのはここ数カ月行動を共にしている両性具有の科学者。マステマである。

「気難しい男だったろう」

「はい。志織ちゃんの紹介がなければ追い払われていたと思います」

「英雄扱いされるのが大嫌いだからね、彼は。今の戦争が始まってからもずっと地元にこもったままだ。まあ今更僕らが出張るような時代でもない。賢い選択だと思う」

「なら、あなたはどうなんですか。自らこの、危険な世界で調査活動を続けていらっしゃいます」

「僕は見たくなっただけだよ。この世界の海が、遺伝子戦争後にどのように変わったのかね。だからこんな、何でも屋みたいなことをやってる」

マステマの肩書は海洋科学者であるが、その活動範囲は極めて広い。そして員数外の神格という便利さも相まって、こちらで活動している多くの研究グループの間で引っ張りだこだった。加えて本人の人徳もあろう。

「どこに行っても面白いデータが取れてる。飽きる暇なんてないね。地球の生命は驚異的だよ。こんな異世界でも根付き、適応している。今僕らが追いかけているのもそうだ」

マステマはノートパソコンを希美に向けると、座り直した。その内容を説明するために。

「こちらの世界にも元々はエコロケーションを行う大型の海洋生物がいた。今はもう絶滅してしまったけれどね。その代わりともいえるニッチを占めているのが、地球由来のクジラたちだ。彼らはその声で、前世紀から科学者や軍人、山師なんかを困らせて来た。音波探査の邪魔になるから。こちらでもかつては同じ事情があったが、大量絶滅によってその問題は解消した。してしまった」

「それが問題ですか」

「大問題だよ。結果として地球では今でもこのような海洋生物への対策は研究が継続しているが、神々の間では一度完全に途絶えてしまった。遺伝子戦争期、人類が神々相手に海戦で渡り合えたのもこの事実があったからだ。そしてそれは今でも当てはまる」

「今でも?」

「そうさ。何しろクジラなんて存在しなかった世界にクジラを持ち込んだんだから。彼らの声は1000キロメートル先まで響くんだよ。そして持ち込まれた生物はクジラだけじゃあない。ありとあらゆる海洋生物が突如としてこの世界の海を席巻したんだ。結果として神々は、この新たな生態系に適応するための時間が必要となった。それまでため込んでいた海中に関するデータは無になったと言っていい。三十五年あまりの時間じゃあとても補うのに足りているとは言い難いのさ。結果として人類は、この世界での海の戦いでも優位に立っている。僕らに好き勝手調査をさせている連中もその一助となればと思ってるんだろうな。もちろん僕は自分のとったデータを国連のお偉いさんたちがどう使おうがそれは自由だと思うが、そんなに都合よく便利なデータばっかり取れるわけじゃあない。今やってることは違うけどね」

キーボードが叩かれ、幾つものグラフが出現。それをマステマは指さし、説明を続けていく。

「ナガスクジラの声は船のエンジン並みのパワーを持つ。彼らの歌は一秒間の大音量パルスなんだ。こいつは海底にぶつかるとそのまま地殻の内部まで入り込んだ上でようやく跳ね返ってくる。海底を何キロもの深さまで画像化できるのさ。海底画像化システムのエアガンみたいなもんだが、安価でなおかつ発信源を逆探知される危険もない。エコだしね。そしてそこら中にクジラはいる。後は彼らの場所をプロットできればたちまち海底観測ネットワークの出来上がりというわけだ。

未知の異星において、これがどれほどの価値を持つか。君ならわかるだろう?」

希美は、深く頷いた。

「さて。そろそろ準備に取り掛かるとするよ。来るかい」

「はい」

マステマは立ち上がると、船体後部の格納庫へと向かっていった。希美も、あとに続いた。




―――西暦二〇五四年。神々の世界における海洋を地球の生態系が席巻してから三十年あまり経った頃の出来事。

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