大地の獣

「魔女のおばさん、また会えるかな。無事だといいんだけど」


樹海の惑星グ=ラス赤道直下】


豪雨であった。

空は暗雲に覆い隠され、視界は雨滴のヴェールによって遮られている。暴風が樹海の木々を攻め立て、雷光が時折大地を打ち据えさえした。

そんな中で。

突如、天が裂けた。

雲を突き破った巨体は大地に激突。生じた余波は、周囲数百メートルの全てをなぎ倒す。

破壊の中心でいるのは“ティアマトー”。まるでそれ自体が生きた人間であるかのように、緑青の肢態は身を起こす。雨に濡れた姿はどこまでも官能的だった。

動くのも大儀そうな彼女であったが、その動きは急に機敏となった。とっさに大地を転がったのである。

直後。

そこに突き立っていたのは、尖塔の如き鈍色の輝き。

槍であった。

緑青の女神像は二度、三度と転がり、その度に大地へ矢が。雷が。槍が降り注いだ。そしてついには。

急降下してきた純白の天使像。そやつの掲げる戦斧が、勢いそのままに振り下ろされる。もはや女神像に回避の術はない。

致命の一撃が、五十メートルの巨体を貫いた。

そう。切り裂いたのでも叩き切ったのでもない。突如として虚空より出現した巨大な爪に貫かれたのは、天使像の方であったから。

何が起きたか理解できぬように負傷箇所へ目をやった天使像は、見た。己の胴体を貫通している爪の主の太くたくましい腕を。それが繋がっている、鱗に覆われた蛇身を。山ほどもあろう竜の威容を。

その首の代わりに生えている、緑青の女神像の上半身を。

そこまで確認した段階で、天使像は力尽きたか。粉々に砕けて消えていく。

敵手を仕留めたことを確認した“ティアマトー”は、その身をゆっくりと

それは、竜だった。長い蛇身と化した下半身。上半身は逞しく、鋭い爪の生えた四対の腕が備わっている。全体としては1キロメートル以上の大きさがあるだろう。その頭部に相当する位置を占めるのは、美しい姿のままの緑青の女神像の上半身。

ティアマトーの陸上戦闘形態。総質量三十万トンの流体が作り出す、魔女の真の姿だった。

正体を露わとした対神格型神格は、天を見上げる。豪雨の中、そこより舞い降りてきた敵勢を。

その数、二十近い。機械生命体に脳を奪われた神々の操り人形ども。元の姿のままでは勝ち目などなかったが今は違う。ここでなら巻き込まれる者もいない。この悪天候と合わされば、奴らと互角に戦うこともできるだろう。存分にこの力、振るってくれる。

流体によって象られる巨竜と一体になった魔女は、自らの使い魔を召喚した。大質量の相乗効果によって引き出される圧倒的な分子運動制御。それに周囲の岩盤が幾つも持ち上げられる。組み変わり自己組織化していく。細長い龍の姿となっていく。

たちまちのうちに、大いなる軍勢が出現したのである。

何百万トンという土砂と岩から分かたれた使い魔たちの総数は、四十八。そやつらと眷属群は同時に身構える。

すべてが、一斉に動いた。

戦斧が岩竜の頭部を砕く。武神像が無惨に食い千切られる。突きこまれた槍から放たれたレーザーが使い魔を蒸発させ、槍の持ち主が岩盤に押し潰される。たちまちのうちに数を減らしていく両陣営の争いは、まるでこの世の終わりであるかのよう。

―――行けるか。

急速にすり潰されつつある敵勢に、魔女はそんなことを思う。もちろんそう都合良くは進まない。これほどの力を振るう魔女の消耗も尋常ではなかったから。遺伝子戦争中、分子運動制御特化型をベースに急場で設計されたティアマトーはアンバランスな神格だった。

それだけではない。

使い魔たちの陣形の合間を縫って飛来した槍が、ティアマトーの胴体に突き刺さる。

続いて氷刃が。高熱が。矢が。防御にほつれが生じたのだ。いずれも致命傷ではない。三十万トンの質量がもたらす耐久力は凄まじい。しかし魔女の力は容赦なく削ぎ落とされていく。避けることはできない。大質量の陸上戦闘形態は本来まともに動けるものではない。それを高出力の分子運動制御と蛇身の広大な接地面積で無理やり支えているのだ。もちろん、この態勢では陸上戦闘形態を解除することもできぬ。解いた途端に殺されるだろう。

だからこれは、魔女が力尽きるのが先か。眷属どもが全滅するのが先か。そういう勝負だった。

それでも。

―――残り四。

ギリギリだが、勝てるか。そう思ったところで。

天が、裂けた。

分厚い雨雲がまるで、命じられたかのように退。その様子を目の当たりにした魔女はうめき声を上げた。何故ならば、雲の向こう側。青空を背に大空に屹立している太陽神は、先程こちらに一撃を加えてきた大規模反射鏡アルキメデス・ミラーの主であったから。

男神を象った太陽神像の側に控えているのは、よく似た意匠のやはり男神像。雲をのはこやつであろう。格好からしてギリシャ神話の神々を象ったものだろうか。

敵、太陽神は高らかに右腕を上げた。たちまちのうちに空が陰り、そして陽光が束ねられていく。

攻撃が届くのと、魔女が力を振り絞ったのは同時。

岩盤が。言葉通りに山ほどの質量が盾となったのである。

そこへ、陽光が襲いかかった。

たちまちのうちに岩盤が半減し、二割を切り、消滅しかけたところで次の岩盤が持ち上がる。キロメートル単位の物体が持ち上げられるそばから蒸発していくのだ。恐るべき威力。恐るべき権能であった。

一見互角の激突。されどそうではなかった。魔女がひとりだけなのに対して、敵勢はいまだ六柱を数えていたから。

先ほどまで激突していた眷属どもが距離を取る。そやつらは魔女を包囲すると、各々の武装を投じ、あるいはアスペクトを振るったのである。

陽光を防ぐので手一杯なティアマトーに、打つ手はなかった。一撃ごとに手傷が増え、アスペクトを受けるたびにその体は削れていった。

やがて。

どう。と緑青の巨体が横倒しとなり、岩盤が落下。盾を失った巨体に、陽光が降り注いだ。

持ちこたえられたのはほんの一瞬。ティアマトーは、たちまちのうちに溶断されていく。

それが終わった時、その場に残されていたのは女神像の上半身。それは腕を天に―――太陽神に伸ばそうとしたところで、とうとう力を使い果たした。

魔女の女神像は、粉々に砕け散った。


  ◇


「なんて雨だ」

地下水脈を抜けた先。子供たちを待ち構えていたのは、豪雨だった。風も強い。この先ますます状況は悪化していくだろう。地下水脈とは打って変わった濁流へと変化しつつある河に、子供たちは悲鳴を上げた。

「岸に上がろう!」

丸木舟での航行は自殺行為だった。

櫂を必死で漕ぎ、なんとか岸へと辿り着く。皆で力を合わせて舟を高所に引き上げ、木陰に入り込む。舟をひっくり返して仮の屋根とし、ようやく一息をつけた。

「し……死ぬかと思った」

「けど神々もこっちを見つけられないよ」

「それはそうだ」

「でも……間に合うのかな。待ち合わせに」

「……無理しちゃだめだ。それで死んだら元も子もない」

魔女から預かったメモと地図を見る限り、国連軍との合流地点までは舟で河を下ってもそれなりの時間がかかる。指定された日時にはギリギリのはずだった。

「魔女のおばさん、また会えるかな」

「大丈夫だよ。きっと待ち合わせ場所にひょっこり顔を出すよ」

「だなあ」

豪雨は止む気配がない。どころかますます強まり嵐の様相だ。

荷物を濡らさないよう注意しながら寄り添う一同。火が使えればいいのだが、この状況では薪も集められない。

代わりに取り出したのは、四角い蓋つきの籠。弁当である。

中身を確認すると―――

「わあ。かわいい」

中身は千切りパンだった。丸めて発酵させた小麦の生地をくっつけて焼いた食品である。そのいずれにも顔が描かれており、ローザの言う通り可愛い。子供たちが来てから焼くのは幾ら何でも時間的に無理だろうから、元々魔女が自分で食べるために焼いていたのだろう。あの不思議な人物の人となりの一端を見れた気がして、一同はクスリと笑った。

「もっとあそこにいたかったなあ」

「奇麗なお屋敷だったのにね」

破壊された館に想いを馳せる一同。たった一夜の宿だったが、今までの旅で最も不思議で、そして心休まる場所だった気がする。あそこを出てからまだ、一日しか経っていないのだ。

「魔女のおばさんにまた会えたら、これ。返さなきゃ」

別れ際に魔女から預かった巾着きんちゃくの中身を改めながら、のっぽは呟いた。大事なものらしい。出てきたのは謎の機械が入った半透明のケース。なんだろう?

「コンピュータチップだよ。たぶん不揮発性メモリ」

「ふきはつせいめもり?」

「記憶を入れるものだよ。あの置いてきたロボットのだと思うよ」

「ロボットの記憶?」

「そう。魔女さんのロボットの今までの記憶が詰まってるんじゃないかな。それがあれば記憶を新しい体に移してロボットを生き返らせることもできるよ」

「そうなんだ……」

ローザの説明に、三人組は納得。と同時に、これはとても大切なものだと理解した。

のっぽが、チップを入れた巾着を懐へ。

「さ。じゃあお弁当を食べたら、ちょっと寝とこう。これから先、次はいつ休めるか分からないから」

嵐が激しくなっていく中。一行は、体を休めた。




―――西暦二〇五三年。魔女がその生涯を終えた日の出来事。

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