第四部 都築燈火の帰還―――西暦2052年
戦争が始まる
「なんてこった。クソッタレ」
【東京都 秋葉原神田明神】
「平和だ……」
相火は呟いた。
空は快晴。と言うにはやや湿り気を帯びた大気である。幾筋もの飛行機雲を作ったのは巨神。南天には生まれた前からあるオービタルリング。ありふれた日常の空がそこにはあった。
「平和ですか?」
「平和だと思う。九曜は?」
「そうですね。難しい問題です」
十年以上の付き合いがある高度知能機械とやり取りしながら、相火は視線を落とした。大きな神社の境内である。周囲には雑多な建物。高所に設けられたここから一歩外に出れば、東京の各所が見て取れるだろう。そこに設けられたベンチで休憩中なのだった。今日はもう大学の講義はない。ちなみに今どきの大学生はバイトもあまり縁がない。高等教育無償化と奨学金制度が充実しているためだった。日本に限らず科学力の向上に血道を上げるのが現在の地球全体の風潮であるから教育を受けるコストは安い傾向にある。そもそも大学生にやらせるべき単純労働自体が減少傾向にあるのも理由だが。
「平和じゃない?」
「二分前だったら、平和だったと答えたでしょう。ですが今は少々返答に悩んでいます」
「何かあったの?」
「私の一存では答えられません。非常に判断の難しい問題を孕んでいますので」
「ほとんど答えてるのと同じじゃない」
「申し訳ございません。ですがその原因を恐らく、相火さんもすぐに知ることになるかと」
相火は苦笑。この知能機械がここまで言うということは、何か問題が生じたのだろう。それも相当に大きな。何が起きたのかは分からないが。
「それと―――しばしお別れすることになるやも」
「どうして?」
「それもすぐに分かります。……申し訳ありません、このまま通話は切断させていただきます。相火さん。あなたの行く道に幸あらんことを」
それっきり、スマートフォンからの声は途絶えた。
「九曜?ねえ。九曜?」
返事はない。見れば、通話が切断されたことを示す表示があるのみ。
「何だっていうんだ……?」
直後だった。スマートフォンが再び鳴動をし始めたのは。
それは、政府からの緊急の通知。
「―――!?」
内容を読み取った相火は、何が起きたかを悟った。
立ち上がる。頭の中で何をするべきか整理する。通信はたちまちパンクするだろう。こういう時の我が家の方針は決まっている。自分の身は自分で守れ、だ。ペットボトルの残量を確認。今のうちに買い足しておくべきか。荷物の中身で使えるものは。どこが安全だろう。交通も麻痺するかもしれない。大学の構内に戻るべきだろう。
頭の中で算段を組み立てた青年は、生き残るべく歩き出した。
戦争が、始まる。
【台湾 新台湾桃園国際空港】
「帰ってきたばかりだというのに、また君がいなくなって寂しいよ」
「まあ。今度もほんの数日ですよ。あなた」
「たった数日でも寂しいものは寂しいさ」
空港のターミナルだった。
そこで抱きしめあい、別れを惜しんでいるのは一組の男女。カジュアルな服装をした壮年の白人男性と、スーツに身を包んだ十代後半の東洋人女性である。
一見不釣り合いな外見の彼らは、実のところ夫婦である。
ジョン・ミラーとサラ・チェンだった。
台北奪還で名高い英雄夫婦は言葉を交わす。まだ搭乗時間には間があった。
「最近、君との時間がより貴重なものに思えるようになってきた」
「まあ。どうして?」
「そうだな。僕も年を取ったということだろうな」
「貴方はきっと長生きします。大丈夫」
「そうだな。精一杯生きるとしよう」
周囲では自走するスーツケースやロボットなどが見受けられるが、全体としては今世紀初頭とそれほど変わらない空港風景が見られる。そんな中、不死の女神と定命の英雄は時計を確認。
時間だった。
「気をつけて」
「ええ」
頷いたサラ・チェンが歩き出そうとした時だった。ふたりのスマートフォンが振動したのは。否。ふたりの、だけではない。行き交う人々の持つそれらの大半が震えはじめ、そして空港の壁面に組み込まれたモニターも臨時ニュースを流し始めたではないか。
画面に登場したアナウンサーは、緊張した面持ちで事態を宣言した。
『南半球で門が開きつつあると、先ほど発表がありました。繰り返します。南半球で、門が開きつつあるとの発表がありました。詳しい情報が入り次第お知らせいたします。市民の皆様は落ち着いて秩序ある行動をとってください。繰り返します。……』
空港内に緊張が満ちていく中。
「―――行かなくちゃ」
茫然と口にしたのは、サラ・チェン。
「待つんだ。行くって、どこへ」
「行かなければ。神々がやってくる。私が立ち向かわずして誰が行くと?」
「落ち着け、サラ。君はこの日が来るのを覚悟していたはずだ。そのために多くの子供たちを育てて来た。先週だってオーストラリアまで出かけたのも備えるためのはずだ。南半球なら、今はシオリだっているんだろう?君と僕の知る限り、最も有能な指揮官と最強の軍があそこにはいる。大丈夫だ。彼女と自分の仕事を信じるんだ」
「ああ。ジョン……!」
女神は、夫の胸に縋りついた。
同様の光景が、空港内で。いや、地球上の各地で広がっていた。
【イタリア共和国カンパニア州ナポリ ゴールドマン宅】
シャワーの音が響いていた。
イタリア人は伝統的にお洒落に気を使う。それは天才と謳われる科学者も例外ではない。戦時中ならいざ知らず、平時には身だしなみに気を付けるものだ。高い社会的地位にある人間ならなおさら。朝のシャワーならそれに加えて眠気をふきとばしもしてくれる。
ゴールドマンも、眠気覚ましのシャワーを浴びているところだった。いつもこの後はひげをそり、朝食を作り、たいらげ、ニュースを見ながら一服し、そして出かける。今日もそうなるだろう。
と。意識すらしていないところで。
『お電話です』
「誰からだ」
『モニカ様よりです』
「あとで折り返しかけ直す」
『承知いたしました』
家庭用AIに必要な指示を音声で下すと、ゴールドマンはシャワーを止めた。
素早くバスタオルを手に取ると軽く体をふいてシャワールーム外へ。固定電話を手に取る。スマートフォンは便利だが固定回線より脆弱なのが欠点だから設置してある代物だった。今でも固定回線が絶滅していない理由のひとつでもある。
履歴を確認。目当てを探し当てる。モニカへと通話を開始。
どのような用件だろう。こんな朝早くにモニカから電話とは珍しい。緊急だろうか?
ゴールドマンは、待った。モニカに繋がるまでのほんの数秒の間を。
どのような知らせを受け取ることになるのか知らずに。
【イギリス イングランドコッツウォルズ地方 捕虜収容所 集会所】
「ふぁあ」
グ=ラスはあくび交じりにテレビを見上げた。いつも通りの朝のニュースを流している。地方選挙の結果。与野党の攻防。猫が消防隊に救助される様子。新しく認可された医療技術。貿易協定。南極目指して航行中の国連軍演習艦隊に参加しているイギリス海軍と神格部隊の様子。大して変わったものはない。
トレーの上から取ったコーヒーを飲み、パンをかじる。テレビは収容所にこれ一台しか置いていないから、集会所までいちいち来ないといけないのが不便だった。朝食をとりながらとなるとなおさらだ。
と。
画面上部に
ぷつっ。
そんな擬音が聞こえてきそうなほどに唐突に、テレビが消えた。いや、切断されたのだ。ここに収容された捕虜たちが見るべきではない情報を人工知能が検閲した結果として。
他にもテレビを見ていた数名が、鳥相を怪訝な形にゆがめている。字幕を読み取れなかったのだろう。
グ=ラスはそうではなかった。何が起きているのかを、この少年神は正確に読み取っていた。
「―――なんてこった」
門の兆候が捉えられた。
字幕には確かに、そのように記述されていた。
「なんてこった。クソッタレ」
少年は、悪態をついた。
―――西暦二〇五二年三月一日。第一次門攻防戦の九時間前、人類勢力による初の門越境の十四時間前の出来事。
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