巨人の大きさ
「私たちの生は長い。巨人の上背のようにね。ならば、待ってみる価値はある」
【イギリス コッツウォルズ地方 捕虜収容所】
「私達の経てきた時間は、巨人一人分だよ」
「
夫の言葉に、ムウ=ナは怪訝な顔をした。
雨の日のことである。息子は学校に行き、家にはムウ=ナとドワ=ソグのふたりだけ。妻は掃除、夫は洗濯機から洗濯物を取り出していた。この作業も昔は過酷だった。文明の利器の利用が許可される以前は、収容所内に一か所だけある水道で女たちが洗っていたのだ。それも、たらいと洗濯板で。
そのまま乾燥機にかけるものと室内干しするものを選別しながら、ドワ=ソグは答えた。
「そう。
「ギガにそんな意味があるのね」
「ギリシャ神話だ。巨人とか大きいものを語源とする。この理屈に当てはめるなら、ギガースは三十光年の巨人ということになるな。他にも、土星は太陽の周りを一周するし、光はポルックスまで届く。子供は成長してまたこどもを作る。ローマ教皇ピウス九世の在位もちょうど終わるだろう」
時間と空間は可換であり、光速はその基準でもある。だから、三十年と言う巨人はその身長においても途方もなく大きいと言えた。それが九百年を超える寿命を備えた神々であったとしても。
「もうそんなになるのね。私たちが出会ってから」
「ああ。災厄以来過ごした時間よりずっと短いはずだが、君との生活は驚くほど充実していたよ。この過酷な環境にあって私が生きてこられたのは君のおかげだ。君と息子は、使命を果たし終えた私にとっては最大の生きがいだ」
「大げさね。でもうれしいわ」
ムウ=ナは微笑んだ。過去の自分。遺伝子戦争以前の自分に、将来はずっと年上の科学者と結婚する上に子供まで儲けるのだ。と言っても信じただろうか?分からない。当時は世界が徐々に死んでいく閉塞感が、どこに行っても重く垂れこめていた。そのころには既にかなり減少傾向にあった新生児のひとりとして生まれたムウ=ナは、長じると宇宙艦隊に務めた。異世界侵攻の話を聞いた時、これだ。と思った。主力となるであろう水上艦艇へ移った。長い歳月が経ち、ついには門が開いた。新天地。閉塞感を打破する新たな風が、門から入ってきた気がした。浮かれた気分はしかし、たちまちのうちに消えてなくなった。地獄のような三年間の戦いを経て、この地にたどり着いてからはや三十二年。出身地も文化も。言語も異なる、ずっと年上の男性と寝床を共にするようになった。夫となった男の寝物語は、様々な知識とそして地球侵攻計画にまつわる様々な秘話がちりばめられていたが、捕虜の身の上では単に興味深い以上の意味はない。ムウ=ナが必要としているのはドワ=ソグ自身だった。
「昔はここでみじめに死ぬのだろうと思ってた。けれど今は違う。少なくとも、寒さと飢えでみじめに死ぬことだけはない。それだけでも一つの奇蹟だと思うわ。あなたと一緒になったことで起こった、ね」
「確かにその通りだ。グ=ラスが生まれて、ここはほんの少しだけマシになった。未来はきっと、もっとよくなっているだろう。それがどんな形であれ」
「そうね。きっと次の変化も、想像もしないような形で来る。十年後か。百年後かは分からないけれど」
「楽しみに待つとしよう」
夫は、微笑んだ。鳥相のそれは人間には判別しづらいものだったが、もちろん同族である妻は正確にそれを読み取った。
何気ない会話は、息子が帰宅するまで続いた。
―――西暦二〇五一年。最初の門が開いてから二世紀、次に門が開く五か月前の出来事。
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