太陽の女王
「帰らなきゃならない。何ができるのか、私にはまだ分からないにしても」
【西暦二〇一六年四月二十二日 樹海の惑星海洋上メガフロート 神戸門展開設備内】
規則正しい足音が、刻まれていた。
希美の手を引くのは戦闘服に身を包んだ"天照"。その名を持つ機械生命体の操り人形となってしまった友人が、希美の手を引き通路をまっすぐに歩いているのだ。清潔だが無機質な白い内装と、先の見えない奥行きは、本能的な恐怖すら感じさせた。
「志織ちゃん。痛いよ」
「ごめん。でも、あなたを連れて行かなくちゃいけない。それも急いで」
「どうしたの。何があったの」
「すぐに分かる」
幾つもの角を曲がり、階を登り、何柱もの神格や神々、ロボットとすれ違った先。
広大な展望室が、待ち構えていた。
「あら。誰かと思えば"天照"。それに希美さんね。見舞いに来てくれたのかしら。うれしいわ」
温室のごとく植物の咲き乱れる空間でこちらを振り返ったのは、知っている女性の知らない姿。
「……光…ちゃん?」
「いいえ。それは正しくないわ。今はね。つい先ほどまではそれで正しかったけれど。この肉体は確かに
今、この体の持ち主は違う。私の名は、ミン=ア。
四日ぶりかしら、希美さん」
それは、黒髪の少女だった。少なくとも、そのシルエットは。
されどその双眸を目にすれば、ヒトならざるものであることは一目瞭然であったろう。
全体を黒く染色された眼球は、白目と瞳孔の区別がつかない。目に見えてわかる変更点はその一点だが、それで十分だった。
「ああ……光ちゃんまで……」
希美は、膝から崩れ落ちた。他にどうすることができただろう。仲良しだった三人の少女の内、今も命があるのは自分のみ。志織は人とかけ離れた力と思考を備える化け物と化し、そして今また、親友だった光は死んだ。肉体を、大神に乗っ取られて。
「先ほどようやく、部屋の中を散歩する許可を医者が出してくれたの。でもまだ潮風に当たるのは控えなさいですって。もうこんなに元気だというのにね」
「新しい肉体の具合はどうです?」
「そうね。控えめに言っても最高だわ。あんなにしょぼくれていたのが嘘みたい。力がみなぎり、気力は溢れている。どこまでも飛び出して行けそう」
「そう、ですか。ではその願い。叶えて差し上げましょう。ミン=アよ。人類の敵対者。傲慢なる神々の王よ」
志織の言葉にミン=アが怪訝な顔をした、まさにその瞬間。
霧が、渦巻いた。透明な結晶。ごく希薄なそれは志織を中心に拡大し、密度を増し、そして膨れ上がる。希美とミン=アをも飲み込んで。
温室が内側から爆発した。
◇
―――何。なんなの!?
急速に拡大した視界に、希美は焦りまくっていた。
まるで高僧ビルディングの屋上のような高所の視界。どこまでも続く海。足元の巨大なメガフロート。破壊された温室。直径何キロと言う門。周囲を飛翔する機械類。万物がちっぽけに見える。まさしく神の視座。
「―――!?天照!何をしている。やめなさい!!」
「いいえ。私は天照じゃあない。だからその命令には従わない。したがってなんかやるもんですか」
声の方を振り向けば、そこに浮遊していたのはミン=アと化した友人とそして"天照"。
いや。
「……志織…ちゃん?」
「ええ。そうよ。ごめんね、希美。遅くなった」
微笑む親友の顔。それは、確かに以前の彼女と同じものだった。
一方のミン=ア。ようやく状況を理解しつつあったこの女神は、現状を説明する仮説を口にする。それも呆然と。
「―――思考制御が、破れた?」
「どうでしょうね。案外私はまだ天照のままで、自分のことを志織と思い込んでいるだけかもしれない。けれどそんなの関係ない。私はやるべきことをやる」
「やるべきこと?」
「―――見ればわかる」
言い終えた志織は、腕を伸ばした。自らの腕。五十メートルの硝子でできた、女神像の身体の腕を。
一万トンの拡張身体の構成原子は励起。たちまちのうちに臨界に達し、そして生成したエネルギーの放出を開始した。
ミン=アが止める暇もなかった。
直撃すれば巨神すら破壊できる強烈なレーザー光は、メガフロートの一角。居住区画に直撃すると深刻な被害を与えたのである。薙ぎ払われた一帯が無残に溶融した。そこにいたであろう神々や、そして待機中の眷属どももろともに。
それで終わらない。
第二射。第三射が滑走路を吹き飛ばし、第四射を受けた防御設備が蒸発する。空中の気圏戦闘機が真っ二つとなる。
たちまちのうちにメガフロートは、丸裸となっていく。
「―――なんてことなの。ああ…!」
志織は。彼女操る"天照"の巨神は、振り返った。門の向こう、神戸市街の跡地にはまだ健在な軍艦が多数接岸し、強力な防御陣地が構築されている。この騒ぎにようやく気付いたか。様々な戦闘機械が動き始め、慌ただしく発進しているのがわかる。今度は奇襲も通用しない。だが地球へ戻るには門を抜け、敵勢を排除するよりほかはない。だからこそ、メガフロートの門展開設備だけは残した。
うかうかしてはいられない。たちまちのうちに門の内外から敵が押し寄せてくるだろうから。
帰るのだ。そしてすべての人に伝えねばならない。一体何が起きているのかを。
ふわり。と一万トンの巨体を急上昇させると、志織は門へと突っ込んだ。
のちに、人類と神々、双方の陣営から太陽の女王と呼ばれる事になる偉大な戦神の一柱。その最初の戦いの始まりは、こんなふうだった。
【西暦二〇五一年六月十七日 兵庫県淡路島近海 遊覧船上】
「お孫さんですか」
隣になった老人からの言葉に、希美は曖昧な微笑みを浮かべた。
潮風の吹き渡る船上である。左舷より見渡せるのは淡路島の海岸沿い。最初に見えていたのはゴツゴツとした地層が露わとなった崖とその上に続く松林、そして山並み。
遊覧船だった。
しばし老人と雑談。やがて家族の方へ向かう彼を見送り、希美は友人の方に向き直った。
「志織ちゃん、お孫さんですか?だって」
「もうそれくらいの歳だもんね」
帽子にサングラスを付けた志織は苦笑。自分は有名人だが、こうしていると案外気づかれることは少ない。初老の域に入り始めた友人と一緒なら尚更のことだ。
「平和だなあ」
見上げた先にある地形はボコボコだ。立方体の形に大きくくりぬいたような形状が崩れ、その上から木々が生い茂ればあのような姿になろう。
かつて、神々が淡路島の山々から遺伝子資源を略奪していった痕跡だった。神戸から目と鼻の先ともいえるこの地にも神々の手が及んだのだ。混乱の中で多くの家屋や道路。インフラの数々も破壊された。神話における日本誕生の地は、遺伝子戦争においても最初の犠牲となったのだ。
この船も巻き込まれた。いや、正確にはこの船ではなくその先代に当たる遊覧船が、だが。それは開戦当初、避難民を乗せて四国方面に逃れたのだと。神戸が解放され、大阪戦役が人類の勝利に終わった後も市民の足として物資輸送や人員輸送に使われたのだと、ガイドの説明が聞こえてくる。
やがて見えてきたのは人口密度の高い市街地。漁港。幾つもの神社。公園。
そして、途轍もなく巨大な構造物。吊り橋としては今も世界屈指のそれは、淡路島と本土を繋ぐものだ。明石海峡大橋。その二代目である。遊覧船はそのまま進み、橋の下へと入り込む。
乗客の皆が、上を見上げた。木造帆船を模した船のマストの先端ギリギリが、橋の下を潜り抜けるダイナミックな景観がそこにはあった。
「メガフロート、これよりおっきかったね」
「そうね」
橋げたをぐるり、と回り、船は元来たルートへ戻る。今度は左舷が神戸側だ。
ふたりは、目を凝らす。
破壊された市街地は復興され、かつての繁栄を取り戻していた。
だが、決して戻らないものもある。生き残ったふたりは、失われたものに思いを馳せた。
鎮魂の旅。これは生き残ったふたりが、亡くなった友人を偲ぶ、墓参りの小旅行だった。
やがて遊覧船は回頭を終え、左舷は大阪の方となった。船尾まで行けばまだ神戸はしっかりと見えるだろうが、その必要はない。もう見るべきものは見終わっていた。
「寒くなってきちゃった。私は下に降りるね。志織ちゃんは?」
「しばらくここにいるわ」
「分かった」
船室へと降りていく希美を見送ると、志織は再び海の向こうへ視線を向けた。
船が出発地に戻るまで、それは続いた。
―――西暦二〇五一年六月十七日。焔光院志織が再び門を巡る戦いに身を投じる九カ月前の出来事。
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