地獄のドバイ

「結局のところ、相手のことを考え始めたらもう耐えられん。そういうもんじゃよ」


【二〇一八年五月 アラブ首長国連邦ドバイ】


忌々しいほどの青空だった。

湿度百%に四十度近い気温と、露天のサウナのごとき気候。そそり立つ無数の超近代的ビルディングはその大半が無惨な廃墟と化し、道路に舞っているのは砂塵。中東最大の経済センターの亡骸は、もの悲しい姿を晒していた。

そして、極めつけはこの都市に似合わぬ巨大な神像。

イスラムでは禁じられているはずの精緻なる偶像の色は、赤銅。このような場所でなければ高い評価を得られたかもしれない武神像は陽炎の中、まるで亡霊のようにビルの合間から

「―――!」

目が合った。

敵神を見上げたリューバは、無言のまま対物ライフルを持ち上げる。照準器で敵を覗き込む。足場は同僚の運転する供与品のバギー。他に消耗品の死人ゾンビー二体。敵にケツを向けてまっしぐらに逃げる最中。控えめにいっても最悪だ。

「敵さんはどう!?」

「怒ってる!!」

「そりゃお仲間を殺られたらね!」

ドライバーを担当する自分同様の死者の少女に答えながら、リューバは精神を集中した。赤銅色の眷属との距離を測る。デカい。山か。五十メートルの巨体相手では、こんなライフルではかすり傷ひとつつかない。奴の指先に光が灯る。雷撃やプラズマではない。レーザーだろうか。何でもいい。喰らえばこんなバギーなどひとたまりもない。

「避けて!」

急なハンドリングと同時に、爆発が起こった。眷属の指先から投射された強烈な熱が路面を蒸発させたのである。

出来上がったクレーターの大きさに、リューバはぞっとした。

「次!」

再度の回避。連射してきた。立て続けの爆発。角を曲がる。何度も。同僚のドライビングテクニックは神業と言えたが、避け続けるのも限度と言うものがある。どころか敵の移動速度は速い。追いつかれる。と。

衝撃。

急ブレーキに振り返ったリューバが見たのは、幾手を阻むように崩れているビルディングの壁面。

追い詰めた。と悟ったのであろう。赤銅色の武神像は、正確に指先をこちらへ向けた。

「チェックメイト」

対するリューバがやったことはただ一つ。脳内に組み込まれた通信機構を用いて、コマンドを入力したのみ。

次の瞬間。道を塞ぐビルディングが、した。

そこにあらかじめ設置された十八基の生体ミサイルランチャーはすると、総計一〇八発の誘導弾を投射。強力な攻撃が、赤銅色の眷属へ殺到したのである。

死者と言えども目を開けていられないほどの破壊力が膨れ上がった。

巨大な爆発が広がり、衝撃で砂塵が舞い上がる。爆炎がもたらす熱は凄まじく、そして強烈な破壊音が鼓膜を叩いていく。

眷属は、耐えられなかった。無数の誘導弾が内臓していた電子励起爆薬をまともに喰らったのだ。

一拍置いて赤銅色の武神像は砕け散り、そして破片は風に溶けて消えていく。

「―――撃破」

「お疲れ。さ、次に行くわよ」

リューバは、用済みとなったビルディングを一瞥。上司の―――エレーナの神格"グルヴェイグ"の機能によって作られた、植物を改造したミサイルランチャーは急速にしおれていく。

死人部隊が畏れられる最大の理由が、これだった。エレーナさえいれば幾らでも強力な武装とそれを扱う兵員を調達できるのだ。

自己破壊したランチャーを背に、バギーが動き出そうとしたところで。

横手のビルディングが、倒壊。いや。もみ合う二つの巨体がのに、押し潰されたではないか。

先の爆発に勝るとも劣らぬスペクタクルを展開しているのは二柱の神像。一つは緑青に彩られた男神像であり、もう一つは―――

「エレーナ!」

それは、骨色の女神像だった。甲冑と腰の剣で武装し、戦衣をまとい、翼を生やし、兜で顔を深く隠した戦女神が、敵神に押し込まれながら倒れて来たのだ。明らかに劣勢なのが見て取れた。

「助けないと!寄せて!!」

「分かってる!他の連中はどうか知らないけど、私はまだ死にたくない!!」

リューバ同様死体から作られた生ける人形である同僚は、見事なハンドリングで車体をもみ合う二柱へと向けた。エレーナが死ねば二人とも長くは生きられない。必死である。

「構えろ!」

命令に従い、同乗していた意思なき死人ゾンビーどもが身構える。そのうちの一体が持ち上げたのはアタッシュケース。中身はエレーナが作った電子励起爆薬だ。神格を仕留めるにはこれでも不足だが、注意を逸らす程度の役には立つ。

「突っ込め!」

「あいよ!」

バギーが前進。並行して死人の肉体構造が不可逆的に変化していく。残る寿命と引き換えとして、瞬間的に神格並みかそれ以上の身体能力を発揮するための準備。

狙うは前方でもみ合っている、丘に匹敵する巨体の一方。脇を潜り抜ける際に死人をぶつける。意思のない死人だからこそできるカミカゼだ。

死人たちが跳躍する。まさにその刹那。

バギーが、横転した。遅れてきたのは銃声。

「―――!?」

投げ出されたリューバは、見た。放棄された廃墟のひとつ。ビルディングの屋上できらめいた、銃口を。

着地。受け身を取る。即座に同僚を探す。いた。胸を撃ち抜かれている。駆け寄る。体を引きずる。バギーの陰に隠れる。近くでは相変わらず巨神同士が死闘を繰り広げる中、気休めの避難所。

死人どもを呼び集めようとして、リューバは諦めた。一体は既に破壊され、残るもう一体も視線を向けた瞬間に頭蓋を撃ち抜かれたからである。不自然な生を強制された彼女らは、今ようやく死の眠りに就くことを許されたのだ。

「……あー。こりゃヤバイなあ」

「その程度ならすぐ直る。諦めないで」

「エレーナが無事ならね……」

同僚の胸に開いた大穴に、リューバは眉をひそめた。この程度で死者がすぐに死ぬことはないが、行動能力に大きな制限を受けるのは事実だ。バギーが横転したのもこのせいだろう。

「あー。畜生。もう門は全部閉じたってのに。なんであいつら、まだ戦うのよ……」

「連中も必死なのよ。生き残りで」

「クソったれ」

リューバは、対物ライフルを確認した。大丈夫。撃てる。続けてバギーの陰から伸ばしたのは手鏡。

直後、砕け散ったそれが示しているのは狙撃手の存在だ。

「……」

アタッシュケースは少し離れたところ。死人がやられた以上二人のどちらかが肉薄して爆発させるしかないが、狙撃手にやられるだろう。味方の機甲部隊も市内に展開しているが、彼らを呼んだとして明らかに間に合いそうにない。

「狙撃手を殺って。私がエレーナを助ける」

「死ぬわよ」

「このままじゃどっちにしろ死ぬ」

同僚に頷くと、リューバはライフルを手に身構えた。

ぶちぶち…と、同僚の体内から微細な音がする。

「3。2。1」

同僚が飛び出した。同時にリューバは身を乗り出して狙撃手を狙う。

いくつもの事が同時に起こった。

同僚の左肩が消し飛んだ。リューバの発射した弾丸は狙撃手の銃に食い込みそれを完全に破壊。狙撃手が肩を抑えてひっくり返ったのが見えた。アタッシュケースを拾い上げた同僚が助走。加速。斜め前方のビルディングへと。全身のばねを最大に発揮する。その跳躍は、百二十メートルにも及んだ。

明らかな異物に不審を感じたか、眷属が。致命的な隙に“グルヴェイグ”が。同僚が壁面を蹴飛ばし、眷属の頭部へ。その兜に

「―――くたばれ」

兜の内側にアタッシュケースが投げ込まれるのと、同僚が振り落とされたのは同時。

限界を超え、力を失った同僚は、大地に落下。受け身を取ることさえできず、数十メートル先の地面に叩きつけられる。

直後。

強烈な爆発が起こった。投げ込まれたアタッシュケース。それは、神像の眼球に相当する位置に構築されたセンサー系を前後不覚とする程の威力を発揮したのである。

劣勢だったエレーナのグルヴェイグは敵神に蹴りを入れると、抜刀。勢いそのままに振り上げ、両断する。

眷属はその場で擱座すると、一拍置いて砕け散った。

その亡骸が消え去ったとき。地面に残っていたのは、先程まで生きていたはずの赤い染みと肉片だけ。

"グルヴェイグ"は痕跡を一瞥すると、次なる敵を求めて去っていった。

リューバも、それに倣った。


  ◇


【イギリス コッツウォルズ地方捕虜収容所】


「……という事があったんじゃよ」

そう言って、老人は語りを終えた。

収容所内、家屋の庭先にあるベンチでのことである。

煮詰めた濃い紅茶を飲みながら、グ=ラスはすべてを聞いていた。

「じいちゃんの肩が悪いのもその時の傷のせい?」

「おおとも。とんでもない腕前じゃった。極東で悪名高い死人ゾンビー部隊が、あんなところまで追いかけてくるとはの」

「じいちゃんはシベリアにいたんだっけ」

「うむ。門の防備部隊でなあ…。地獄じゃったよ。死ぬような思いで大陸を渡ってな。門が閉じたあとはどこもそうじゃった。南下して行くんじゃ。行く宛もないというのにな」

老人は遺伝子戦争期、狙撃手をしていたという。本人が言うには一流のスナイパーとして、人類軍相手に死闘を繰り広げていたのだと。シベリア。モンゴル。中原。タクラマカン砂漠を抜け、シルクロードを渡り、アフガンを通り、アラビア半島に。残っている門を目指して旅を続け、目的地を前に絶望することを繰り返したのである。

ドバイでの負傷で狙撃手としては役立たずになったのだと。

「そんなに強かったの?死人部隊って」

「うむ。人類側神格グルヴェイグ率いる部隊でな。神格の機能を使って強力に武装しておった。奴らのキルゾーンに誘引されればもう一巻の終わりじゃな。生命あふれる地球はグルヴェイグにとっては武器庫そのものじゃ」

「ふうん」

「実を言うとな…死人部隊にやられて肩がもう治らないと言われたときな。『これでもう引き金を引かずに済む』と安心したんじゃ」

「どうして?」

「狙撃手というのはなあ。相手の考えを読めなきゃならん。相手の立場になって考えるんじゃよ。そうするとうまく撃ち殺せるようになる。じゃがある日な。人間とわしらの間に違いなど存在せんことに気付いた。違うとしてもせいぜい見た目だけじゃな。

そうすると、ヒトを殺すのが怖くなった。他の仲間たちの見解はまた、異なるじゃろうがの」

「そっか」

話し終えると、老人は立ち上がった。

「ま、こんなことを言っていても戦争が起きるかどうかなんぞ、個人の力じゃどうしようもない。できるのは備える事だけじゃ」

「備える、か……」

「まあ、もう門が開くことはないじゃろうがな。わしらがこうして安穏と捕虜生活を送っておられるのも、平和だからじゃ。

さて。クッキーがそろそろ焼けた頃じゃが。食っていくかね」

「うん」

グ=ラスは頷き、老人は微笑んだ。




―――西暦二〇五〇年。フランソワーズ・ベルッチが環境管理型神格を組み込まれる前年、門が開く二年前の出来事。

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