怪獣と白いワンピース

「熱力学と情報科学の重なり合った領域に生まれた奇跡。それが生命です」


【埼玉県 都築家】


海面が、盛り上がった。

それはたちまちのうちに膨れ上がり、伸びあがり、そして

駆逐艦にも匹敵する質量の巨体は放物線を描き、頭から海面へと突っ込んでいく。

それは、怪獣だった。大型の商業ビルディングほどもあろう、竜のような姿。首を大きく前へ伸ばした巨躯の全長は、百メートルに届く巨大さ。全身をゴツゴツとした皮膚に覆われ、背びれを持った暗灰色の彫刻が、まるで生き物のように動いているのだ。

怪獣は一匹だけではなかった。何頭もの怪獣が後に続き、海中から飛び出しては頭から飛び込んでいくという流れを続けていたのである。まるでイルカの群れがジャンプしているような、しかし遥かに雄大な光景であった。

「凄いなあ」

相火は、手すりに寄りかかりながら一連の光景を見ていた。

照りつけるのは陽光。飛び散る飛沫は塩辛い。金属製の手すりは使い込まれた感触が伝わってくる。けれど、そこは現実の空間ではない。少年の肉体に与えられている五感全てが偽物だったのである。

高度な仮想現実空間であった。とは言え今見えているものまでもが仮初かりそめと言うわけではない。日本の領海内でリアルタイムに起きていることである。

日本政府による観艦式の様子がネット上で配信されているのだった。

「あれも九曜が作ったの?」

「作った。と言うわけではありません。開発に関わりはしましたが」

隣に立っているのはつばの広い帽子を被り、ふんわりとした髪を持つ全身義体の少女。厳密にいえばその仮想空間上に置ける化身アバターである。白いワンピースが風にたなびき、よく似合っていた。この手の仮想空間は家族連れや友人同士で一緒に入ることができる。その気になれば今いる自衛艦の中を歩き回って見学することもできた。

「"G"級強襲揚陸型。人類製神格としては第三世代型に属します。過去の戦訓に基づいて海中でのステルス性と上陸時の抵抗に対抗するための強力な防御性能。敏捷性。市街地での接近戦を想定した膂力。遠距離攻撃用のレーザービーム。そういったものを備えた、現時点では最新鋭の兵器。

詳細なスペックはひみつ、ですが」

「そりゃしょうがない」

相火は苦笑。この知能機械が仕事のことで口にするのは公開情報だけである。国の所有する機材なのだから当たり前だが。そうでなければむしろ心配になるだろう。

「神々が来たらやっつけられる?大事なのはそこだよ」

「神々のテクノロジーが以前と同等ならば、人類製神格は眷属に勝てます。それは保証できます。それ以上のことは残念ながら断言できませんが」

「なら安心だ」

「ええ。この観艦式もそれをアピールするのが狙いのひとつでしょう」

「みんなも安心したい、か」

「そうですね。敵がどう出てくるか分からない以上、絶対に安全とは断言できません。強力な兵器を作り、訓練を施し、安心するしか」

「神々は人間を使わない神格を作るかな。知性強化動物とか、コンピュータ任せとか」

「知性強化動物は、彼らの方針を鑑みれば可能性は低いでしょう。人間を使った眷属で必要な性能は十分確保できますから。門を開いてこちらを再び攻撃してくるならば開発する可能性はありますが。

コンピュータでは、単純に無理ですね。人類が建造した知能機械の性能は既に頭打ちになりつつあります。神々が創造したものも遺伝子戦争以前の段階ですでに限界でした。私は建造されてからもう十一年が経ちますが、いまだに私の性能を大きく上回る知能機械はないのです。恐らく百年後も私は稼働しているでしょう。メンテナンスと改修を経ながら。それを前提として設計されています。

言い換えれば、生命の自己組織化は依然として従来の方式で建造されたコンピュータを凌駕しているのです」

「とんでもないなあ。生命って」

「だからこそ、その機能を突き詰めた知性強化動物が生まれたのです」

「お爺ちゃんの作った種族、か」

人類史上初めて知性強化動物の概念を提唱し、そして生み出した祖父。相火は彼と会ったことがない。相火が生まれるよりもずっと前に、祖父は他界していたから。

父やはるなと言った身近な人々からはことあるごとに話を聞くし、ネットで名前を検索すればトップに出てくるのは祖父本人だ。ノーベル賞候補とすら言われながらも若くして―――今の父と同じ年齢で亡くなった天才科学者。

「情報処理と言う観点では、工学的な手法で作られた回路は大腸菌にすら及びません。1ビットの情報を処理する際に消費される熱量はずっと小さいのです」

「生命は情報科学の世界にいるんだね」

「熱力学と情報科学の重なり合った領域、と言った方がいいでしょう。だからこそ、第二種永久機関の制御に生体が必要とされるのですから。

第二種永久機関の本質とは、無限の情報を捨てることなく詰め込める袋であるという点です。それは、無限の情報処理能力を備えるということでもあります」

「無限に熱を扱うためには、無限の情報を扱えないと駄目ってこと?」

「はい」

とんでもない話だ。相火はそう、思った。

「巨神に関する技術は既に十分に高い水準に達しています。足りないのは制御システムです。あの"G"ですらまだまだ十分とは言えません。私の予測では、真に知性強化動物が完成するまでにはあと20から30年は必要でしょう」

「父さんが生きてるうちにはできるのか」

「ええ。きっと。刀祢さんもお喜びになるでしょう」

「うん」

少年は頷いた。

ひとりと一台はそれからも観艦式を観覧し続け、そして仮想空間を立ち去った。




―――西暦二〇四七年。"G"級が実戦投入される五年前、人類製第五世代型神格が完成する十八年の出来事。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る