神への告白
「告白を神へのいけにえとしてささげ、いと高き神に満願の捧げものをせよ。
それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう」
【西暦二〇一六年五月 エチオピア北部】
目も覚めるような鮮やかさだった。
壁画を彩るのは赤。青。緑。色彩豊かに描かれているのは聖人の似姿である。人間の何倍もの高さのくぼみに描かれた絵画は、聖書の一説をいきいきと伝えている。
やはり色とりどりなカーテンやじゅうたんで回りを飾られた壁画。
教会であった。それも、周囲を森林で囲まれた静謐な空間。農地化のための伐採が進む国土にあって、住民たちによって守られた神聖なる世界がここにはあった。
されど、礼拝する者が絶えてここは久しい。そのすべてが逃げ去っていたからである。神々。異世界よりの侵略者に脅かされたのだ。
その事実を、巡礼者は知っていた。
無惨な姿であった。体にぴったりとフィットした戦闘服は各所が裂け、片腕があらぬ方向へ曲がり、左足がなくなり、右目が潰れ、背が大きく裂け、そして豊かな銀髪に覆われた頭蓋は陥没している。血で汚れていない場所などない。瀕死の重傷に見えた。もはや助からぬであろう。
人間ならば。
瀕死の巡礼者は、無事な方の腕を、伸ばした。アルカイックスマイルを浮かべる壁画の聖人へと。
「……ぁ…」
巡礼者の瞳からこぼれたのは、涙。己が伸ばした腕を見て流したのだった。つい先ごろ起きた出来事を思い出して。
異変が起きたのはその時だった。手が、包み込まれたのだ。巡礼者とは異なる者の手によって。
「…かみさま……?」
巡礼者の問いかけに、しかし相手は頭を振る。
「いいえ。私は神ではありません。ですが、主は救いを求める者に対して常に寄り添ってくださります」
司祭であった。すべてが逃げ去ったものだとばかり巡礼者は考えていたが、残った者もいたのだ。
「……ぁ……たす…けて……わたし………」
「助けましょう。貴女がそう望むのであれば」
血で汚れるのも構わず巡礼者を助け起こし、司祭は微笑みを浮かべた。
「だから、教えてください。一体何があったのかを」
「……ころした……子供を…あいつらにいわれるままに…」
「子供……人間の?」
問われた巡礼者は首肯。さらに言葉を続ける。
「それで…わけがわからなくなって……気がついたらあいつらを殺して……戦って……門を抜けて…ここに……」
「神々の世界から逃れてきた。そうですね?」
「…はい……」
「貴女は人間だ。そうですね?」
「……どうなのかな…」
巡礼者は。銀髪の少女は、わずかに表情をゆがめた。もはや人ならざるものとなった彼女は、どう答えるべきかを見いだせずにいたのだ。
対する司祭は違った。
「神に救いを求めるのは人間だけです。自らを神と称するような、偽りの神々に仕える者のすることではない。貴女を信じましょう。貴女の傷を癒しましょう。これは運命だ。そう主がお導きになられた。
だから―――まずは。貴女を追う者たちから逃れるとしましょう」
巡礼者は、見た。自らを優しく司祭が抱き上げると同時に、各所から姿を現した男たちを。火器で武装した彼らが、各所へ散っていく様子を。
「このような僻地であっても、世間の話は色々と耳に入ります。貴女のような存在が何人もいるということも。教会のすぐそばに貴女の、あの巨大な像が降りてきた時は私たちももうおしまいなのか、と思いましたが。そうではなかった。貴女は人間だった。
ひとまず別の安全な場所へと移動しましょう。貴女がたどり着いた以上ここはもう、安全とは言えないようだから」
男たちのひとりを司祭は呼び止め、そして巡礼者の肉体を背負わせた。そのまま運ばれようとしたところで。
「そうだ。貴女のお名前を教えてはくれませんか」
「……フランシス。フランシス・マリオン」
「フランシス。よい名だ。では行きましょう」
去っていく人間たちを、壁画の聖人はいつまでも。見送っていた。
【西暦二〇四二年 エチオピア北部の教会】
厳かな葬儀だった。
喪服に身を包んだフランシスがいるのは教会。エチオピアの北部に位置するここは、かつて自らが人類側神格としての第一歩を踏み出した場所だった。反乱を起こし、神々と戦いながら門を抜け、そしてたどり着いた場所がこの教会だったのだ。
きっかけは、神々の世界。捕虜になった人類が反抗したことだった。それはたちまちのうちに暴動となり、そして眷属が何体も投入されたのだ。もちろん生身の人間がいくら集まろうとも眷属の操る巨神の前では蟷螂の斧に過ぎない。暴動は鎮圧され、そして見せしめとして子供を殺すようフランシスは―――"ワルフラーン"は命じられた。忠実なる眷属は分子運動制御で手元まで手繰り寄せた人間を、巨神の手で握り潰すという暴挙に出たのである。わずかに残っていた人間としての部分は激情に駆られ、結果として自由を取り戻したのであった。
ここで出会った司祭と、彼が率いていた神々への反抗グループの仲間にフランシスは加わった。人類側神格を加えたグループは規模に見合わぬ大きな戦果を幾つも上げ、武名を轟かせた。人が集まり、そして司祭はリーダーの座をフランシスに譲った。反対する者はいなかった。フランシスは身を置く環境に自ら適応していった。口調を変え、考え方を変え、振る舞いを変え、自らの神格としての知識と能力が許す限りで仲間たち、部下たちを鍛えた。組織を維持するため、他の人類勢力へ積極的に武力を売り出すようになった。最盛期には神々より鹵獲した何隻もの艦艇や気圏戦闘機すら保有するほどの規模になっていた。
伝説の傭兵部隊はこうして誕生したのだ。
戦後。部隊が解散した後、司祭はこの地に戻った。元来、この教会を守っていたのである。そんな彼も寄る年波には勝てず、亡くなった。八十九歳。長生きしたと言えるだろう。これはその葬儀だった。
後任の司祭の祈りに、耳を傾ける。
多くの参列者が心を一つにしていた。フランシスもその一人だ。人間か神格かなどここでは些細な違いに過ぎない。
葬儀とは、集団の一体化をもたらす儀式なのだから。
その後もしめやかに葬儀は執り行われ、そして銀髪の大海賊は教会を後にした。
―――西暦二〇四二年、エチオピアにて。フランシス・マリオンがアフリカ大陸で活動を開始してから二十六年目の出来事。
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