瓜二つ
「船だ—――我々のものじゃない!船がいるぞ!!」
【西暦一八四二年 インド洋のどこか 異世界探査艦"曙光"号ブリッジ】
艦内が湧きたった。
「ほんとに船か?巨大な生物じゃあないのか」「間違えるものか!見ろ、明らかに人工物だ!」「こちらの姿を隠せ!見られたらまずい」
"曙光"号が天候悪化に伴い、ドローンの回収を試みようとしていた時だった。探し物を発見したのは。
ブリッジのモニターに映るのは、探査用ドローンの光学カメラより送られてきた光景。荒波に弄ばれる、ちっぽけ―――というには少々大きな人工物の姿が、そこにはあった。
上方に幾つも伸びているのはマストだろう。喫水線より上に行くほど広がっている。先端は水を裂くように作られている。全体としては生物の繊維を素材として作り上げられたものだろうか?各所に設けられた金属部品が、高度な熱エネルギーを制御する加工技術を伺えさせた。
「ドローン、隠蔽完了しました。熱光学迷彩作動中です」
「油断するな。向こうがもし、こちらと同等のテクノロジーを持っていてみろ。何かの拍子に発見されることは十分考えられる」
指示を終えたドワ=ソグは、傍らの同僚へと振り返る。
相手。この異世界を探査するべく組織された調査隊の首席研究員であり、神々の世界における高貴なる家柄の女性は、ドワ=ソグの発言に頷いた。
「あるいは、熱光学迷彩でカバーしていない何らかの感覚器官を備えていた場合も。そうでしょう?」
「ええ。何にせよ、我々の姿は隠すべきです」
「同感だわ。とは言え、これは好機でもあります。危険を冒してでもよりデータを獲る価値があるわ。
ドワ=ソグ。あなたはどう思うかしら」
「私の役目は、ミン=ア。貴女の冒険心を諫めることにあります。とは言えあなたの意見も検討に値するだけの価値がある。ましてや我々の目的を考えれば。
ドローンを接近させましょう」
「ありがとう。
艦長。手の空いた乗員にもこの景色を共有できるかしら」
問われた艦長は頷くと、艦内放送で命令を下した。手すきの者は映像を見ろ、と。
それに満足したミン=アは、微笑むと次なる指示をする。
「さあ。もっとカメラを近づけて頂戴。皆でしっかり目に焼き付けるのですよ。初めて捉える、この世界の住人たちの姿を」
ブリッジが静寂に包まれた。皆が固唾をのんで見守っていたからである。ドローンより送られてくる光景を。
"船"が近づいてくるにつれ、その細部が明らかになった。多数のロープ。畳まれた帆。滑車。
そして、嵐に抗いながらも、必死に船を守る行動を取る生き物たちを。
明らかな直立二足歩行で支えられた背骨の上に乗った頭部は大きい。頭蓋骨に守られた脳は巨大だろう。そして前面には上から目。呼吸器らしき膨らみ。口。側頭部にある器官は耳であろう。
そして、首筋から伸びる筋肉に支えられた、両の腕。
ある者はロープを握り、ある者は船べりで必死に体を支えている。その五本の指は物をしっかりとつかみ、どころか器用に操ることも可能に違いない。
そして彼らが獣などではない最大の証拠。身体を保護する、繊維を編んで作られた衣類と靴。知的生命体の環境適応能力を支える、強力な武器。
何千年。いや、何万年という歳月を経て洗練されてきたのであろう衣を、彼らは纏っていた。
何体もの知的生命体が、そこにいた。
「おお……」
電子機器や動力機関の反応は今のところ見受けられない。高度に遮蔽されている様子もない。これは、純粋に人の力で運用する船なのだろう。
風を動力とする、帆船に違いなかった。
「接近します―――」
映像はさらに近づき、彼らの表情やしわ。口から洩れる音声と言ったものまでもが明らかになった。
そして、マイクからは今までの風の音とは異なるものが入り始める。嵐に負けぬよう、肺腑から絞り出される音の連なり。鳴き声や咆哮ではない。
それは、言語だった。彼らは神々と同じ方法で同族間のコミュニケーションをとっている!!
「信じられない……何てことなの。彼らは。まるで私たち自身のようじゃない」
ミン=アは茫然としていた。初めて目にする、異種の知的生命体を前に圧倒されていたからである。そのあまりの生々しい光景に。
「ええ。素晴らしい……
これで、我が種族は救われる。どのような形となるにせよ」
その時だった。船が大きく揺れたのは。
それだけではない。ドローンが突如、真横に吹き飛んだ。カメラが一瞬ぶれ、そして横倒しになった光景が映っている。船の甲板に叩きつけられたか。
周囲の生き物たちの声が聞こえてくる。発見されたか。まだだったとしても時間の問題だろう。
「―――コントロール不能です。損傷を受けた模様。おそらくロープか何かがぶつかったのではないかと」
「自壊させろ。見られるとまずい」
「了解。3、2、1。破壊完了しました」
画像が途切れるのと、オペレータが告げるのはほぼ同時。
それに伴って、ブリッジの空気は元に戻っていく。まるで夢から目覚めたかのように。
素早くドローンの処理を指示したドワ=ソグへ、ミン=アは問いかけた。
「見られたかしら」
「どうでしょう。どちらにせよ、一瞬では細部は分からないでしょう。自己破壊したドローンは溶けた樹脂と少々の金属塊以外何も残しません。不審には思うでしょうが」
「それも彼らの文明レベル次第ね。どう思う?」
「今までの調査で、軌道上には人工物がないことは確認済みです。地表から確認できる限りは、ですが。これは彼らが宇宙を利用する段階に達していないことを意味します。そして、今見た船。これは化石燃料を用いた動力機関を達成する以前の構造です。彼らの運用を見てもそれは裏付けられている。電波発信はなし。もしスポーツ目的等のものであっても無線機を積まない合理的な理由はない。ですが、その割には非常に高い水準の船体です。これらを勘案すると、彼らは恐らく本格的な化石燃料の使用に入る直前の段階にいるのではないかと。
なにぶん判断材料が少ないので、断定はできかねますが」
副官の意見を受けて、ミン=アは満足そうに頷いた。
「いいわ。私もおおむね同じ意見だから。ありがとう」
周囲を見回す。いつの間にか、ブリッジ要員たちの視線が集中していることにこの大神は気付いた。
「さあ。ひとまず場所を移しましょう。彼らが私たちに気付いた可能性は低いけれど、念には念を入れなければね。
祝杯をあげるのは帰還してから。さ。あとしばらく、頑張ってちょうだい」
船に乗り込む神々は、その言葉に従った。
【西暦二〇三六年 イギリス 捕虜収容所】
赤ん坊が、手を伸ばしていた。
収容所の周囲、鉄条網の向こうを飛翔する監視ドローンが気になったらしいと気付いてドワ=ソグは苦笑した。
「どうしたの?」
「いや。昔を思い出しただけさ」
妻に返すと、ドワ=ソグは息子へ目を向けた。
もうだいぶ大きくなった、故郷の名を与えられた子。
周囲を見回す。
今はかつてとは全てが逆転していた。原始的なテクノロジーのみを許されて生きる自分たち。極めて高度なテクノロジーを保持するまでになった人類。
この目で人間を目の当たりにしてから、もうすぐ二百年が経とうとしている。神々にとっても決して短くはない時間。世界が激変するのも無理はなかった。
何もかもが、懐かしい。
次の二百年はどうなっているのだろうか。その先の二百年。そのずっと先は。
分からない。ドワ=ソグには分からなかったが、ただひとつ。
息子が末永く生きていける世界でありますように。
この神は、願った。
―――西暦二〇三六年。第一次門攻防戦の十六年前、神々が人類を発見してから百九十四年目の出来事。
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