大地の名前

「お。名前が決まったか」


【イギリス イングランドロンドン市 マリオン家】


食堂で郵便物を整理していたフランシスは、手紙の内容に微笑んだ。

添えられた写真には赤ん坊を抱く母親と、その肩に手を置く父親の姿。屋外で撮影したものだろう。バックの木に、フランシスは見覚えがあった。

幸せそうな一家の姿。写真はまさしくそういう瞬間を切り取ったものだったが、ひとつだけ普通でない点があったとすれば、被写体がいずれも人間ではない。ということだろう。鳥相の神々の親子の姿だった。

「なまえ?」

「なんだ。起きてたか」

「おはよう、伯母さん」

扉を開いて入ってきたのは、シャツをだらしなく着崩した銀髪の女の子。フランシスの姉妹と言っても通用するであろう彼女は、もちろん姉妹ではない。姪っ子だった。名前はメアリー。

「あんまりだらしないと母さんに叱られるぞ」

「母さんはいないから平気だもん。伯母さんはとやかく言わないでしょ?」

「そりゃオレは海賊上がりだからな」

「言われてみると凄いよね。元海賊で同い年に見える伯母さんがいるって」

相手の言にフランシスは苦笑。夏休みということで姪が遊びに来たのが今の状況である。妹に娘の面倒を押し付けられたともいう。

以前モニカに助言された通りにやってみたら、案外うまく行った結果がこれだった。

「外見はあんまり言いなさんな。これでも気にしてんだぞ、そっちについては」

「えー?いいじゃない。いつまでも若いって羨ましいな」

「ったく」

苦笑するフランシス。この大海賊相手にここまで言う相手はそうそういない。血筋か。フランシスの肉体はもはや遺伝子的には原型をとどめてはいないが。

「で、名前って何の話?」

「ああ。前に出産の手伝いに行ったときのな」

脱線した話を元に戻す姪に、伯母は写真を見せた。

「神々?今頃名前が決まるの?」

「母方の文化でな。生まれた時には悪霊が近づかないように、仮の名前を付けるんだよ。とびっきり嫌がられるものの名前を。排泄物とかな。しばらく経って無事育ちそうだとなったら正式な名前を付けるんだ。まあ実際には、正式な名前も最初の時にほぼ内定してるんだが。そいつを家族以外にお披露目するのが後ってことだな」

「人間みたいなことするね……」

「生物学的にはほとんど人間と変わらねえしなあ連中」

表情を歪めるメアリーに、フランシスは苦笑した。姪は戦後世代だが、それでも神々に対してあまり良い感情を持ってはいないようだった。当然ではある。周囲の大人は皆戦争を体験しているし、国中に今も戦争の傷跡は残されていたから。

「そもそも人間と滅茶苦茶似てなきゃ、"神"を模した兵器を前面に押し立てて侵攻するなんて思いつかねえよ」

「確かにそうだね」

開戦の日を思い出す。神々の尖兵として矢面に立ったフランシスはよく覚えている。地表のちっぽけな人間たちが、あまりにも理解を超える光景に跪き、許しを請う様子を。巨神を———"神々"の降臨を呆然と見上げる人間たちの様子を。

もちろん神格は神ではない。ただの人間に過ぎない。その肉体を強化され、精巧な神像を模した拡張身体が与えられているだけだ。

"天照"反乱までの1か月あまり、神々は人類の呼びかけを一切無視して収奪に専念した。人類の側も神々の意図を読めず、圧倒的な戦力を持つ巨神に対して攻めあぐねた。幾つか熱核兵器を用いた事例すらあったが、神々は容易くそれを防いで見せたのである。攻略法が知られていない限り、神格はまさに無敵の超兵器だった。

今は違う。

窓の外を見れば飛行機雲。神格の視力は、それがこの十年で配備の進んだ気圏戦闘機によるものと教えていた。軍港に行けば対神格戦能力を備えた軍艦が停泊しているのを見られるだろうし、現代の特殊部隊は熱光学迷彩と飛行能力を備えたパワードスーツを装備するようになった。第二世代型神格も配備されつつある。

もはや神格は無敵の超兵器ではない。多様な兵器システムのひとつに過ぎない。

「テクノロジーの差を取っ払っちまえば神々も人間も大して違わねえ。奇麗な景色を見て感動するし、うまい飯は好きだ。健康に気を使うし、子供が生まれればみんなで祝う。

世話になった相手には手紙だって送ってくる。これみたいにな」

「そっか」

姪は、あくびをしながらキッチンへ向かうと何やら冷蔵庫の中身を物色。適当な食材を選び出した。

「ハムエッグとトーストでいい?」

「ああ。好きにしろ」

「はーい」

フランシスは手紙を片付けると、残りの郵便物の整理に取り掛かる。

「そうだ。伯母さん」

「なんだ?」

「その子、何て名前なの」

「ああ。ラス。グ=ラスだ」

「どういう意味?」

「"大地"だよ。神々にとっての地球。神々が住まう、樹海の星の名前だ」



西暦二〇三六年。地球で生まれた神々の子が名付けられて数週間後、二つの星が交わりあってから百数十年が経った日の出来事。

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