心の鏡

「おや。迷子ですか?」


【日本国 兵庫県神戸市三宮 新東遊園地 戦災慰霊祭会場】


九曜は足を止めた。

足元へと目をやる。そこにぶつかっていたのは小さな人間の男の子だった。まだ小学校に上がる前の年頃だろう。

そこまでを推察したところで、周囲を見回す。少女を象った全身義体で。精巧に作られた頭部の造形は美しいが、耳の代わりにせり出したパーツに備わるセンサー類がものを見ている。そして首から下、機械なのが明らかな部位を覆うワンピースと、そして、ふわふわの髪の毛の上にかぶったつばの広い帽子。

別の場所に設置された本体によって遠隔操作される、サイバネティクス連結体だった。もっとも、他人から見れば脳以外の全てを機械化した全身義体者と区別は付くまいが。

まわりには人がそれなりの密度で存在する。決してたくさんというわけでもない。一つの目的を持って集まっているのであった。戦災慰霊祭である。

その中に保護者らしき人間を発見できなかった段階で、九曜は次の行動を思案した。この高度な知性機械は、人間の価値観を最大限に実現するという使命と、自己の裁量の範囲から何をするべきかの結論を導き出したのである。

腰を落とし、男の子とを合わせる。

「私は九曜。あなたのお名前は?」

「ぼく、相火そうか。都築相火」

「相火さんですか。ご両親とはぐれたのでしょうか?」

「はぐれる…?」

「言い方が難しかったですね。お父さんやお母さんは、どちらですか」

「わかんない」

「では、受付で聞いてみましょう」

告げると、九曜は立ち上がった。より正確にいえば、サイバネティクス連結体に立ち上がるよう命令を下したわけだが。この人型機械は大半の動作をほぼ自律的に行う。九曜は必要に応じて判断を下しさえすればよい。それはまるで人間の意識と脳、肉体の関係のようだとも言えただろう。

男の子の手を取ると、ゆっくり歩きだすサイバネティクス連結体。

「お姉さん、手がかたいね」

「機械ですから。それと、私はお姉さんではありません。まだ0歳です。あなたの方がお兄さんですよ」

「そうなの?」

九曜の手は手袋で保護されているが、その上から感じ取ったらしい。硬い、とはいっても生身の皮膚より硬質なだけで、ものを傷つけずに触れるよう軟質素材なのだが。その内側の骨格の触り心地まで感じ取ったか。

「ええ」

「じゃあちせいきょうかどうぶつだ。はるなおばちゃんといっしょだ」

「知性強化動物でもありません。人工知能です」

相火の勘違いを、九曜はやんわりと訂正した。確かに知性強化動物なら0歳のうちにこの男の子よりも大きく育つだろうが。

「じんこうちのう?」

「賢い機械のことです。私は特に賢いので、こうやって散歩しているのです」

「ふうん。いろんな人がいるんだなあ」

「ヒト…私は人なのでしょうか?機械は人ではないと思うのですが」

「ちがうの?」

「ええ」

九曜のメインフレームは、設計段階で入念に倫理問題を回避して作られている。高度な自意識はあるが人間や知性強化動物のそれとは異質で、人権は与えられていない。それを必要とするような人間性も備わっていない。人類はもはや人間そのものと言っていい水準の機械すら作ることができたが、その必要を認めていなかったからである。非人体構造の知性強化動物を作り上げたうえで人権を与えたのとは対照的とも言えただろう。

「私は人間を理解しようと努める事が出来ます。ですが人間であることを体感することはできません。そのように作られました」

この義体についてもそうだ。より人間を理解するため。多くの情報を人間の視点で得る事で、より高度な学習に務めるために与えられた。人間になるためではない。

「ふうん……」

「ですから、この慰霊祭が何のために行われるかは知っていても、私自身にとって必要か?と問われれば否となります。死者を悼む人間の心に寄り添いたいとは思いますが、私自身には死者を悼む心がないからです」

「むずかしいや」

「そうですね。申し訳ありません」

「いいよ」

「はい」

ふたりは公園の入り口に設けられた受付へと向かう。人はさほど多くない。既に神戸が壊滅してから二十年。当時この地にいて生き残った人間はほとんどおらず、関係者も年々減る一方だ。来年度からは規模が縮小されるともいう。

「心がない、ってどんな気分?」

「そうですね。難しい問題です。それを表現するための言葉がありませんから」

「そっか」

「私の人間のように見える部分。これを例えるならば鏡です」

「かがみ?」

「ええ。普通の鏡は前にある者を映し出しますが、私が映し出すのは今まで私が触れて来た多くの人の姿の共通点です。鏡の像は映し出した人間に反応します。ですが心があるわけではない。

私も同様です」

男の子は考え込んだ。語られた内容は難しいものだったが、それを受け入れようとしているのが伺える。

やがて受付に到着。そこでは、九曜が知っている人物と、男の子が知っている人物たちが待っていた。

「おかあさん。おとうさん」

男の子が駆け寄っていった先にいた男女は両親だろう。それと言葉を交わしていたのは、九曜の同行者。小柴博士だった。

「おう。九曜。お前さんが見つけてくれたんか」

「はい。お知り合いで?」

「ああ。昔一緒に仕事した人の息子さん。都築刀祢さんと玲子さんや。挨拶しい」

「はい」

九曜は、言われたとおりにした。

対する夫妻も一礼。

そんなやり取りをしているうちに、鐘がなった。公園の中央に設置されたものが。

時間だった。

人間たちは黙祷を捧げ、この場に居合わせた知性機械もそれに倣った。

「じゃあ、またね。"九曜"」

「ええ、また。相火さん」

そうして、一人と一体は別れた。




—――西暦二〇三六年三月。遺伝子戦争開戦から二十年目、九曜が完成した年の出来事。

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