ケッパー摘みを終えて
「人間は忘れる。人間だけじゃなく、すべての生き物が。それは環境に適応するための、自然の贈り物なの」
【エオリア諸島サリーナ島 ポッラーラ地区】
海の見える谷間だった。
高山に囲まれ、真正面にはコバルトブルーの海を臨むローケーションに位置する小さな村。それを見下ろす斜面の広大な空間を走り回る子竜たちは、転び、飛び跳ね、ぶつかり、そして楽しそうに遊んでいた。
「元気だね……」
島の谷間を見守るリスカムは苦笑した。午前にはケッパー摘みを体験したばかりだというのに子供たちはこの元気である。
仕事があったリスカムは、ドラゴーネたちの外泊体験の日程の内、今日。サリーナ島の一日だけの参加である。他数名のリオコルノたちや、家で待ち構えていたペレと共に子供たちとケッパー摘みの指導役として参加していたのだった。リオコルノたち第一世代の知性強化動物が本格的にドラゴーネの教官として活動するのはまだずっと先のことだ。
「あなたたちもあんな感じだったけどね」
リスカムの言にそんな突っ込みを入れるのはモニカ。
「え、そうだった?」
「覚えてないかあ」
「う……自分ではそんなつもりじゃなかったかも」
「ま、忘れててもいいわ。おじさんも言ってたでしょう。忘却は学習のもっとも重要な過程だ。って」
「うーん。人間は課題を学習しては忘れ、別の学習をしては忘れを繰り返すのに意味がある……だっけ」
「ええ。幾つもそれを繰り返せば、それらの課題に共通する特徴を把握しようとする。そうなれば、新たな課題をすぐに身に着けられる。特定の知識を学習するんじゃない。どう学習するかを学習したの。いわゆるメタ学習ね」
頭の中、神々によってインストールされた知識をひっくり返しながらモニカは答えた。
「究極のメタ学習は、進化。変化し続ける環境じゃ、生物は不変の本能だけには頼れない。学習能力を発達させなきゃいけないの。人間みたいな知的生命体だけじゃない。温暖化で氷が失われた環境でもアザラシは砂浜で子育てすることを覚えた。犬の祖先は人間に寄り添うことで生き残った。ミツバチは街のいたるところに捨てられているジュースなんかの残りから蜜を作るようになった。
あなたたちだって、忘れては学ぶのを繰り返して、2年で大人になれたんだから。
十年以上前のことなんてはっきりと覚えてなくても仕方ないわ」
「そっかあ。もう私もそんな歳かあ」
「こらこら、世間一般じゃ十代はまだ子供よ」
モニカは苦笑。そう言う自分は今年で三十歳。外見は十二歳の少女のままだったが、中身はそれなりに成長してきた気はする。
「思えば変な親子だよね、私たち」
「うん」
モニカは過去を振り返る。そもそもが、人類が知性強化動物という新たな生命を不当に扱うのでは、という懸念から計画に参加した。リオコルノ達を見守り、リスカムをこの手で育てて来た。その過程でモニカと同様の懸念を抱いている人が、この世界には数多くいたことを知った。それらの人々の手で、世界は変わった。今や知性強化動物は社会に溶け込み、誰もが当然のように人類の一員として認めている。ドラゴーネたちのような、より人の姿から外れた知性強化動物も受け入れられた。そもそも高度な生命科学や機械仕掛けの代用身体の発達と普及で、従来の人間の定義自体が拡張し、揺らぎつつある。テレビを付ければ連日全身義体者による超人的な競技を放送しているし、オービタルリング完成以降は長期的な宇宙居住者の総数も増えつつある。
そう。世界は変わったのだ。いい方向に、少しずつだが。
時折、この子たち。知性強化動物たちが何のために生み出されたのか、モニカは忘れそうになる。
出来れば永遠に忘れたままでいられたらいい。モニカは心の底から、そう思った。
—――西暦二〇三二年、サリーナ島にて。ドラゴーネたちの外泊体験三日目、第一次門攻防戦の二十年前の出来事。
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