猫も歩けば医者に当たる

「~~~~~~っ……」


【イタリア共和国カンパニア州 ナポリ海軍基地】


猫がぐったりしていた。

検査着を身に着けたペレがふにゃふにゃになって転がっているのは基地の医療棟にあるソファである。まるで猫のようにひっくり返っているのだった。後からやってきたモニカも同じ服装で苦笑している。

「めんどくさいわねえこれ」

「こればっかりは仕方ない。君たち自身のためでもある。国費で健康診断を受けられると思えばいい」

「分かってるんだけどね」

待ち構えていたゴールドマンへ頷くモニカ。

ふたりは脳の検査を受けていたのだった。人類側神格は全員が、定期的な身体検査を義務付けられている。思考制御の解けたメカニズムが不明な頃の名残―――万が一思考制御が復活したら大変な事になる———であるが、検査によって蓄積されたデータは国家間で共有され、人類製神格建造に役立っていたりもする。もちろん個々人の人権には最大限配慮されていた。医者嫌いなペレがおとなしく検査を受けているのも、その辺の理屈は分かっているからだろう。

「神々のテクノロジーだと言ったって結局のところ工業製品に過ぎない。その観点で言えば人類側神格は不良品の極みだ。何しろ一番重要な安全性を担保する、思考制御が機能していない。それに脳に何らかの異常を患っている人類側神格が何人もいる事を鑑みれば、検査は必要だ。ペレを含めてね」

「まあねえ」

モニカは同族たちの顔を思い出した。精神に変調を来した者。神経系の異常で障害を発生させた者。死亡した別人の神格を移植されたことで、脳に書き込まれた前の肉体の記憶に苦しんでいる者までいる。ペレもその中の一人だった。

「検査技術も進歩している。過去の検査では分からなかったことも今なら発見できるのさ。この十年あまり、君たち十八人の脳の変化を捉えたデータも興味深い」

「変化してるんだ」

「そりゃあ人間の脳は生涯変化し続けるものだからね。君たちの脳の可塑性は素晴らしい。人一倍、脳を使っているんだろうな。脳は特定のことに使い続けると、その領域が発達していく。ペレなんかは島の生活がよっぽどよい影響を与えたんだろう。顕著な変化が見られた」

葡萄ブドウの剪定とか、海を泳いだりとか?」

「恐らくね。そういった技術に習熟したことで、脳の海馬も大きくなっていった。記憶を蓄える部分が顕著に発達してる」

「そっか……」

ふたりの視線の先。ソファの上でペレは、ごろごろと転がっていた。

「彼女の言語野。そこを置換している神経細胞群が何をしているのかも大体の推測はできるようになってきた」

「分かったの?」

「まだ確定じゃないけどね。

彼女の認知能力は一部、人間の枠を超えている部分がある」

「今あなたが研究してることじゃない」

「一部参考にしたのは確かだな。彼女の知能の形は人間と多少異なる。人間とコンピュータが異なるようにね。もちろん大部分ではペレは人間だ。違うのはごく一部だけだな。

今では覚えてる人もほとんどいないが、遺伝子戦争の開戦前日、アルファ碁というコンピュータプログラムが驚くべき結果を出した。当時の囲碁の世界チャンピオンであるリ・セドルを打ち負かしたんだが、その時幾つもの革新的な手法を使ったんだ。ごく単純な、でもそれまで人類が全く思いつきもしなかったような手をね。囲碁の定石が崩壊した、と言われている」

「盲点だったってこと?」

「その通り。人間の知性とはそもそも進化に沿って発達してきた本能にマッチするようにできている。機能が適用される範囲が限定されているんだな。その外ともなると、なかなか思いつかなくなる。ペレの場合はそれまで誰も思いつかなかったような勝ち筋を自力で見つけ出す能力が優れていたんだろう。そのために常人の脳には存在しない器官が機能しているわけだ。

実際、ペレとコンピュータをいろんなゲームで対戦させてみたが、たいていの場合ペレは互角に戦えた。スーパーコンピュータ相手でもね」

「でもコンピュータなら、人間は引っかからないような失敗をするわ。ディープラーニングさせた機械知能は、画面の色を変えたりドットを付け足すだけでパンダを羊と言い出す。わずかなずれを加えれば、歯磨きしている少年の画像をバットを持っていると判定する。ペレはそんな失敗はしないわ」

「だからこそ彼女は人間なんだよ。ペレの脳の人間と同じ働きをしている部分が、それを補っているのさ。驚異的な能力だ。戦いの際、彼女には全部がわかっていた。勝ち筋が見えていたんだ。その通りに動けば実際勝てたんだろう。ひょっとすると彼女が神格の機能外応用を思いついたのも、これが理由かもしれない」

「なるほど。そりゃどんな眷属も相手にならないわけだわ」

その時だった。むくっ。

ペレが起き上がりこっちを見ていた。検査で受けた精神的ダメージから復活したらしい。検査の後はいつもこうだった。

「ふみゃ……」

「はいはい。着替えたらご飯食べに行きましょうか」

モニカは苦笑。ペレを伴い、更衣室へ向かった。ゴールドマンはそれを見送ると、検査で得られたデータの確認に入った。




—――西暦二〇三一年。都築燈火が脳に秘めた特異な能力を開花させてから十五年、人類側神格の定期的検診が国際的に義務化されてから十二年目の出来事。

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