離宮の桜

「私はね。なんと美しいものを作る種族なのだろう。と思ったのですよ。あなたたちの事をね」


【西暦一九二七年 武庫郡須磨町 武庫離宮】


満開の桜だった。

斜面を覆っているのは木々に咲いた淡い色の花々。上品な香り漂い、この空間を浄化しているとさえ思える。

それを背にした広大なる庭園と相まって、侵入者たちは心奪われていた。

「―――美事みごとな」

光学迷彩と音響キャンセラーに覆い隠された呟きを聞き取れた者はいない。仲間以外には。

その証拠に、夜の庭園を警備する者どもは、侵入者らの存在に一切気付いてはいなかった。ほんの数歩横を通り過ぎていく。

それを見送った侵入者の一人。調査員ドワ=ソグは、息を吐きだした。

「いまだにひやひやします。彼らには見えていないと分かっていても」

「正常な警戒心ですよ。あなたのその用心深さには、今まで幾度も助けられました」

「恐縮です。さ。これ以上は勘づかれます。行きましょう」

ドワ=ソグの言葉にも、仲間はなかなか動こうとはしない。名残惜しいのであろう。この、異郷の見事な景色に対して。

「ミン=ア?どうされた」

「もう少しだけ待って。この光景を目に焼き付けておきたい。計画が始まれば、ここも破壊されてしまうのだから」

「やはりここに門を開くよう、奏上するおつもりですか」

「ええ。ここは千年もの間交通の要衝だった。それは私たちにとっても利点となる。島と山並みに守られて気候も穏やか。良港なの。山々の自然が荒れているのは残念だけど、あと数十年もすれば、彼らの手によって復元するでしょう。

そして何より、人口が伸びる余地がある。計画の最終段階が実行される頃には、効率的に人間を集める事ができるでしょう。全世界で一億のヒトを集めるの。大変な事業だわ」

ドワ=ソグは頷いた。相手———ミン=アの語る通り、これは大変な仕事だ。一億ものヒトを受け入れられるだけの準備。持ち帰った遺伝子資源の管理と移植。膨大な労力と緻密な計算、優れた技術力が必要とされる、種族ぐるみの大事業。

九百年の寿命を持つ神々にとっても、百年は決して短い時間ではない。それだけの時間をかけて準備を行っているのも、種の存続をこの計画に賭けているからだった。

「そろそろお時間です」

「ええ。そうね。いつまでもあなたをひやひやさせるのも悪いものね」

その時だった。ミン=アの肩が、枝を引っかけたのは。

枝振りの音が鳴り響く。

「誰だ!?」

誰何の声に、二柱の神々は飛び出した。警備の兵が集まってくるのを無視して疾走する。人間の限界を超えた速度。時速60kmは出ていただろう。

前方に塀が見える。加速。跳躍。

驚異的な身体能力を発揮して、神々は離宮の敷地内より飛び出した。

それからもしばし走る。脚を止めたのは、だいぶんたった後のこと。

「……ちょっとドキドキしたわ」

「わたしもです。こういうのはできればお控えいただくと助かる」

「ええ。気を付けるわ。私ももう、おばあちゃんだもの。計画の最終段階が開始される頃まで生きていられるかどうかは、分からない」

息を切らしつつも、二柱の神は笑いあった。ミン=アは神々が生態系を改造し始めた時期、最初期の世代になる。今から九百年近く前、超新星爆発を察知した神々が惑星に手を加え始めた時代に生きていたのだ。もちろん、その後。超新星爆発後、各種の生命の繁殖力が一斉に衰え始めた時期も知っている。

「その元気があれば大丈夫。今回の計画の最初の収穫を得られるまで生きられるでしょう」

「そうかしら」

「そうですとも。これから不死の時代が来るのです。せっかくだ。その、栄誉ある最初の一人になられてはいかがか」

「そうね。考えておくわ。どんな肉体にしようかしら」

「選り取り見取りでしょう。何しろ一億のヒトだ」

「迷ったら、使わない肉体も側に侍らせるとしましょう。眷属としてね」

「いい考えだ。

さて。そろそろ船まで行きませんと。心配されます」

「そうね。行きましょう」

このようにして、神々は合流地点へと向かった。

人類が彼らの存在に気付くことはなかった。




【西暦二〇三一年 東京 捕虜収容所面会室】


「今でもあの桜の美しさは覚えている。ねえ、教えて頂戴。神戸では今も桜は美しく咲いているのかしら」

異様な姿の神だった。

外見は人間に似ている。まだ若い女性である。されど、その眼球は漆黒。瞳が黒いのではない。眼球そのものが真っ黒に染色されているのだ。それだけでまるで怪物であるかのような印象を与える。識別用だが、驚くべき芸術的センスを持つ種族がこのような方法を選択したのは不可解ですらあった。

そんなことを思いつつも、問われた者は答えを返した。

「ええ。街の各所に植わっていた桜はしぶとかった。都市破壊型神格に神戸が破壊されたときも、その多くが生き残っていたわ。時期になれば素敵な花を咲かせるでしょう」

「そう。安心したわ。ありがとうね」

「礼を言われる筋合いはない。私の用があるのは、あなたが乗っ取ったその肉体だけ。その娘の家族に頼まれて様子を見に来ただけよ」

「それでも、うれしいわ。誰かが訪ねてくれるというのは」

「私は嬉しくない。もう帰るわ」

「あらあら。つれないのね、志織」

「あなたがそれを言える立場かしら、ミン=ア?わたしを破壊兵器に改造した上で洗脳し、友達の肉体を奪って殺した。私の故郷を破壊した。世界中を滅茶苦茶にした」

「あなただって、わたしの同胞を大勢殺したわ。お互い様」

「どの口で言って———!……もういいわ。あなたたちと話していても不毛だということは、この十年あまり。さんざん思い知ったことだもの」

志織は立ち上がると、部屋の隅に設置されたカメラへ頷いた。そのまま扉へ向かっていく。

「志織」

「なに?」

「あなたは自らの種族に殉じる覚悟をしたのでしょう?私もそうです。私たちが交わることができるとするならば、その点だけ。

このことは覚えておいて」

「……」

志織は無言のまま退室。

ミン=アも。この、人体にアップロードされた神もまた、刑務官に促されて部屋より退出した。



—――西暦二〇三一年、東京にて。神々が神戸の調査を行ってから百四年目の出来事。

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