招待状
「あら、珍しい。結婚式の招待状だなんて」
【イタリア共和国エオリア諸島サリーナ島 ベルッチ家 居間】
郵便物の仕分けをしていたモニカは声を上げた。差出人はそれほど親しいというわけでもない知り合いである。
「ふうん。誰だい?」
「サラよ。サラ・チェン。"九天玄女"の」
「ほう。それは確かに珍しいな。気の強い御仁と聞いていたが」
ゴールドマンに頷くと、モニカはソファに座りこんだ。
「まあ確かに強烈なキャラクターしてるわね。大時代的というか。私もそんなに親しいわけじゃないけど。
招待状を送ってきたのはたぶん同族だからでしょうね。ペレも一緒にって書いてるし」
「なるほどな。で、行くのかい」
「まあ時間が取れればね。下手するとこれから何百年も付き合いが続く相手だし」
言ってから、モニカは気付いた。ほぼ間違いなく、結婚相手の男性がサラより先に亡くなるという事実に。それもほんの数十年先の話だ。子宝に恵まれることもない。神格に改造された人間は、過剰な生理的強化の結果として生殖能力を失うからだった。
余計なことを頭から振り払う。これはサラと相手の男性が決めた事であって自分が口出しする話ではない。
「彼女には以前から興味があった」
「ふうん。どうせろくでもない意味で、でしょ?おじさん」
「ろくでもない、は酷いな。純粋に知的好奇心だよ。彼女の"三面六臂の術"をじかに見てみたいだけさ」
「見た事あるけど、デタラメとしか言いようがなかった。接近戦に限るならたぶんペレより強いと思う。六本に増えた腕が自在に動くのよ?どうやって操ってるのやら。彼女の神格にはそんな機能はないって言うのに。考えるだけで頭がおかしくなりそうだったわ」
「たぶんだが、訓練によって脳に増設したんだろうな。腕の制御を担当する領域を四本分。巨神は均一な流体が脳に制御されて人型をしているに過ぎない。六本腕の体性感覚地図を頭の中に形作ってしまえば、巨神の腕を増やす事もできる。
似たようなことは世界中で行われている。人工の感覚器や義肢に脳が慣れる作用と同じだ。人間の脳の可塑性は優れているからね」
「……おじさん、知性強化動物でも同じことできないか?って考えてない?」
「できないかも何もできるさ。サラ・チェンから教えを受けた"虎人"には、"三面六臂の術"を使える者もいるそうだからね」
「十二人の初期ロット中の一人だけよ、確か。今、彼女から長期間指導を受けた"虎人"は二期ロットまで合わせて二十四人いるのに。普遍性のある技術とはとても言えないわ。どちらかというと一子相伝の秘儀みたいな感じね」
「僕が考えているのはもっと手軽な方法だな。例えば最初から六本腕の生物を作れば制御は簡単だ。何なら腕に知性を持たせてもいい」
「腕に?」
「ああ。例えばクモの足はそれぞれが知性を持っている。すぐそばの環境を読み取って動きが誘発されるんだ。この自律性のおかげで、クモは脳に頼らず複雑な巣を素早く作ることができる。驚くほど単純な規則でね。形態学的計算というんだが、こいつは人間にも備わっている。歩行や、膝蓋反射なんかだな。進化や訓練によって身についた標準的な行動については脳がいちいち監督しなくていいんだよ」
「戦闘みたいな複雑な行動もそれで対応できるかしら」
「それはまだ何とも言えないな。だが僕の将来的な目標は、脳だけではなく全身を利用した巨神の制御だよ。生物の思考とはそもそもが全身を用いたシステムだからね」
「なるほどね」
やがて会話は途切れ、モニカは招待状へと視線を戻した。彼女の頭の中は、どのように着飾っていくかで一杯だった。
—――西暦二〇二八年、ベルッチ家にて。サラ・チェンが結婚式を挙げる半年前、中国で"斉天大聖"級知性強化動物が誕生する十九年前の出来事。
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