優しさは知性の証

「人類は残虐非道で攻撃的な種族だとよく言われる。だがそれは誤りだ。他のどんな種よりも優しいからこそ、我々はここまで進歩してきた」


【イタリア共和国カンパニア州 ナポリ ナポリ大学講堂】


「我々ホモ・サピエンスは唯一の人類というわけではない。過去百万年間には多くの人類種が存在し、我々の祖先が出現した時代には四つの種が共存していた」

ゴールドマンは周囲を見回した。普段とは勝手が違う。相手はいつものような軍人や専門家ではない。一般向けの講演会だった。

「我々は他の人類種と比較して、とりわけ優れた種ではなかった。いずれもがそれぞれの強みを持ち、どの種が現在まで勝ち残れるかは十万年前まで時間を遡って見ても解らなかっただろう。だが、最終的に生き残ったのは我々だった。もっとも、その他の人類種は消えてなくなってしまったわけではない。例えばネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカ系を除く現代人の血脈の中に痕跡が残されている。これは我々の祖先が拡散する過程で、ヨーロッパを中心に分布していたネアンデルタールとの混血が起きた証拠だ。結果的に人類は彼らの持っていたいくつもの優れた適応をも取り込んだことになる。

これは同時に、このような緩やかな吸収が起きる程度に我々の母集団が大きかったことをも意味する」

聞き手には子供を抱いた母親もいれば老人もいるし、学生も見られる。気鋭の科学者の講演故だろう。

「このような拡大を可能にした原動力こそ優しさだった。我々は見知らぬ他者ともコミュニケーションを通じて協力しあうことができ、それによって様々な事業を可能にした。友好的であることは社会知能の向上に繋がり、言語の発達を促した。経験を共有し蓄積することが可能になった。

この過程で起きたのが自己家畜化だ。

生物が家畜化される過程では、選択によって友好的な形質を獲得する。それと同時に一見無関係にも見える多数の性質が変化する。人間にもそれと同じことが起きた。我々は自らを飼いならした。

優しい者が生き残ったのだ」

一息。

「このような事例のよい例が犬だろう。彼らは我々の最も親しいパートナーであり、長い歳月を共に過ごしてきた種族だ。ともに狩猟を行い、家畜を守り、子供を慈しみ、麻薬を検知し、そして共に戦場を駆け抜けさえする。人類が初めて生み出した知性強化動物のベースになったのが犬なのも、このような彼らの性質を鑑みれば当然と言える。

かつての学説では人間が犬を家畜化したと言われていた。しかし現在ではこれは誤りだ。彼らは自らを家畜化した。人間の友になる事を選んだものだけが生き延びたのだ。かつて人間の側で食料にありつく事のできたのは、人間に敵意を向けない犬だけだった。害意を向ける個体は追い払われるか殺されていただろう。自然選択の結果として、人間に友好的な犬はより友好的となった。それはやがて人間の集団に受け入れられた。犬が示した友好性に、人間も友好的に応えた結果、共存が始まった。世代を経るごとに犬は人間の感情や表情を読み取る能力を発達させた。社会的知能が向上したのだ。犬は役に立った。犬にとっても人間は役に立った。結果として犬は繁栄の道を辿った。

一方、犬と共通の祖先を持つオオカミは絶滅の危機に瀕している。犬との遺伝子的な差異はごくわずかだというのに。彼らが持っていないのは、人間に対する友好性だけだった。たったこれだけの違いが、共通の祖先をもつふたつの種の明暗を分けた」

聴衆の反応は悪くない。安堵する。

「我々が新たな生命をデザインする際に重視したのも優しさだ。人類の知る優れた知性とは、優しさを兼ね備えたものだからだ。

その観点で言えば、彼女らが優れた知的生命体であることは明らかだ」

タブレットをタップ。用意していた写真が幾つも、スクリーンに表示された。

ごく当たり前な日常生活の風景。笑ったり、頬を膨らませたり、料理をしたり、おっかなびっくり赤ん坊の妹を抱き上げたり。そんな、シカにも似た頭部を備える知性強化動物たちの様子が。

「我々のプロジェクトチームは、最も愛情溢れる環境を彼女らに用意した。それだけではなく、多くの人々の協力あってこそ、ここまで知性強化動物は健やかに育った。人類の示した優しさに彼女らは応えてくれたことになる。

この関係が今後も続くよう、皆さんの協力を切に願う」

やがて講演は終了し、質疑応答の時間となった。

主な質問内容は知性強化動物のプライベートに関することで、さしものゴールドマンもやや苦戦した。




―――西暦二〇二六年、ナポリで行われた一般向けの知性強化動物に関する講演会での一幕。知性強化動物が誕生してから六年目の出来事。

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