人間の目は節穴

「結局のところ、眷属とは強化された人間に過ぎない。眷属の本体である神格は、人間の脳という外付けハードウェアなしでは何もできないからだ」


【マレーシア 西太平洋海軍シンポジウム会場】


「日本語には"お前の目は節穴か"という表現がある。見る能力の欠如を嘲る言い回しだ。しかし我々は皆、目が節穴なのだ。理由は幾つもある。視覚情報を貯蔵する視空間バスケッドの容量は3~5の情報しか保持できない。コップ。皿。スプーン。フォーク。目の前にこれらが並んでいるのを覚えるだけでいっぱいになる。また、この時何を単位とするかの判断も難しい。これらの配置。コップの取っ手の有無。スプーンの素材なども情報になる。この光景を一瞬だけ見せられた後、それらを正確に再現するのは不可能となってしまう」

ゴールドマンは周囲を見回した。数年前を思い出す。あの男。都築博士と出会ったのも西太平洋海軍シンポジウムだった。あの時自分は聴衆だった。今回は違う。専門家の一人として講壇に立っている。あの男が敷いた道の更に先へと道を敷いていくのが己の役目だ。

「目の構造も関係する。人間の目はカメラとは違って受光素子が均等に並んでいるわけではない。はっきりと認識できるのは中心窩と呼ばれるわずか数度の内だけだ。視野は200度程度あるにも関わらず。だから何かを集中して観察している場合。例えばバスケットボールのパスの回数を数えるような状況では、目を頻繁に動かし、それを精査しようとする。この間視覚情報の処理は全く行われない。

また、我々の目は動きを敏感に知覚するようできている。注視している正面でなくとも何かが動けば注意を向けるのだ。これは自然界では非常に役立つ。敵や獲物といった重要度の高いものを感知するための機能というわけだ。この働きによって我々は、ごく短い時間何かを見ただけでも何かを見たという意識が生じる。しかし直後に、関係ない画像を提示されればそれを見たという意識が生じなくなる。変化を検知できなくなるわけだ。あるいは十分にゆっくりとした動きも検知が困難になる。

これらの現象は記憶の欠落と言い換えることができる。このような時に働く記憶が保存されるのはワーキングメモリと呼ばれるタイプの貯蔵庫だ。コンピュータにおける一次記憶装置に相当するだろう。これとは異なる記憶もある。いわゆるエピソード記憶。出会う経験、エピソードを記憶しておく場所だが、こちらの記憶も相当な欠陥を抱えている。見ていないもの、経験していないものを見た、経験した、とする欠陥だ」

息を整える。タブレットの資料をスライド。

「人間の脳は外界を見ていない。自らが作り上げた内部モデルを見、視覚情報はその修正に使われているのだ。視覚だけではなく、聴覚。触覚と言った五感全体がそうだ。そしてこの修正は常に行われていく。見ていないものを見たことにするのもそこに起因する。

これは、人間の脳に知的活動の全てを依存する眷属も同様だ」

ずれた眼鏡を修正する。ようやく前置きは終わりだ。

「眷属の脳が人間と根本的なところで同じ、という事実は、この兵器の弱点をも明示している。どれほど強化されていようとも、同時に処理可能な情報に限界があるのだ。自然と、神格によって管理される巨神の性能もこの限界に縛られる。巨神を構成する流体は神格の管理によって常に最適な物性を取るが、これは攻撃に対しても同様だ。故に条件次第では最大級の熱核兵器にすら耐えうる防御力を発揮する一方で、多方向からの同時攻撃には非常に脆い。神格の脳の認識しうる限界を超えるからだ。遺伝子戦争中、人類の兵器で巨神を撃破するにはこの弱点を突くしかなかった。

そして、この弱点は我々の作る神格にも当てはまる。現行の知性強化動物は、若干の差異を除けば人間に近しい脳を持っているからだ」

そう。知性強化動物の弱点。今はそうだ。しかし将来は、違う。

「故に我々が提案するのは、この問題の解決手段だ。知性強化動物の開発によって、人類は脳の改良というテーマに対する理解を大きく深めて来た。人類構造の脳という、巨神という兵器の制御にはあまりに力不足なシステムをアップデートする。それによって知性強化動物は新たなステップへと踏み出す事ができるだろう。

我々はヒトを時代遅れの種にしなければならない。そうすることでようやく、神々の兵器体系を陳腐化させることができるからだ」

ゴールドマンは内心で苦笑。我ながら過激な発言だった。されど本心でもある。もはや人類は新しいヒトを作ることが可能な領域に入った。知性強化動物。この新人類たちが、人類の未来を切り開いてくれることだろう。

その後講演内容は新型の脳に関する理論へと続き、やがて質疑応答に入った。

今回のシンポジウムではほかの講演者からも様々な理論が提示され、革新的な内容も多く含まれた。




—――西暦二〇二四年、マレーシアにて。ゴールドマンが第二世代型知性強化動物を誕生させる八年前、イギリスで第三世代型の知性強化動物が誕生する二十年前の出来事。

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