絵は真実を捉える

「うまいね。絵」


【所沢航空記念公園】


かけられた声に"ちょうかい"は顔を上げた。

「……いえ」

知った顔だった。姉妹が世話になっている相手。自分たちの創造者のひとり。その息子である。名前は確か……

「都築刀祢さん……でしたか」

「うん。君は?」

「"ちょうかい"。九尾級、ちょうかいです」

ぺこり、と写生中だった"ちょうかい"はお辞儀。

「はるなは一緒ではないのですか?」

「はるなならあっちだよ。僕は水筒を忘れたんで代わりに飲み物買ってて、今来たところ」

見れば、芝生の上を転がっているはるなとその横でへとへとになっている都築博士の姿が見える。

「絵は訓練になる、と聞きました」

画材はタブレットとタッチペンである。ちょうかいの体格ではかかえるような大きさの画面には、公園内の光景がありありと描かれていた。

「人間は自分が思っているほど外界を認識していない、か」

「詳しいですね」

「父さんがよく話すんだよ」

「…私は真実を見るために絵を描いています。脳は現実を気にしていません。目などの感覚器官から情報を受け取る前に、既に独自の現実を生み出しているんです。だから目で見たものはその内部モデルを補正しているに過ぎない」

「視床から脳の視覚皮質に向かう情報より、視覚皮質から視床に向かう情報の方が十倍だったっけ」

「ええ。だから私達は見たものをあとから尋ねられても満足に答えられない。見た気になっているだけで、実際には見ていないから。

けど、絵はそう言うわけにはいかない。ただしく現実を写し取るためには、曖昧な脳内の内部モデルの解像度を上げてやる必要があるからです」

「それで、何が見えるのかな?」

ちょうかいは答えなかった。眼鏡をかけ直し、画材に向かったのである。

「おじゃまなら退散するね」

「いえ。あまり親しくない人と話さないもので。どう話すべきか思いつかないだけです」

刀弥は少し考え込んだ。話題を変えるべきか。

「眼鏡、似合ってるね」

「……まだ眼球が未発達なもので。神格を組み込む頃にはいらなくなっている。と聞きました」

「そっか」

「私たちの体はいびつです。私はこの程度で済んでいますが、姉妹の中には奇形を修正するために外科手術を受けた子が何人もいます。はるなもです」

「それは知らなかったよ。

あ、横、いいかな」

「どうぞ」

よっこいしょ、とちょうかいの隣に座った刀弥は、質問を口にした。

「君たちも手術は怖い?」

「怖いです。なのに後一年と少しで、私たちの脳は切り刻まれます。

みんな、大丈夫だと言ってくれますが信じられない。だってそうでしょう?私たちが初めてなのに」

「……」

「知ってますか?神格を組み込まれていない私たちの寿命はとても短い。五年かそこらしか生きられません。選択の余地はないんです」

「聞いたよ。君たちの成長する速度は、神格を組み込むことが前提だって。老化を止められるからこそだって」

神格による肉体の強化は寿命にも及ぶ。老化は停止し、あらゆる疾患や毒物へのほぼ完全な耐性を得られ、高度な再生能力は体が半分になっても治癒するほどだった。

カタログスペック通りに行くならば、だが。

もちろん、人類初の神格である九尾がうまく行く保証はない。

「人間が私たちを作った理由は知ってます。そうせざるを得なかったのも」

「ごめん。

僕にはそれしか言えない。許してほしいとも言えない」

「謝らなくていいです。ただの愚痴ですから。恨んだりはしません。

けどこんなこと、家族には言えません。はるなもあなたに言ったことはないはずです」

「うん」

「週末だけの家族ごっこでも、私たちはそれなりに楽しんでます。だからあなたも、はるなを大事にしてあげてください。変に気を使ったりせずに」

「分かった」

刀弥は頷くと、ペットボトルの中身を一口。

「それにしても、君ははるなとずいぶん違うね」

「あの子、あなたが思ってるよりずっと賢いですよ。都築博士とあなたが話してる内容、全部理解してます」

「え……マジで?」

「マヂです。参考までに、私たちは先週、高校で習う範囲の物理や数学の過程は一通りクリアしました」

「もう追い越されちゃったか…」

「肉体的にはまだまだです。もうすぐ運動会もあります。楽しみです」

「そう言えばそんな季節か」

「さ。行ってあげてください。私もそろそろ家族が来ます」

「うん」

「ああそれと。

ありがとう。話を聞いてくれて」

「どういたしまして」




―――西暦二〇二〇年。人類製神格完成の一年あまり前、知性強化動物による芸術が世界的に認知される三年前の出来事。




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