夫婦喧嘩?
「ありがとうございました」
俺は、会計を終えて出ていくお客さんを見送った。
昨日倖楓と話した通り、今日は久しぶりのバイトだ。
2人揃って開店からラストまでのシフトになっている。
そして、今見送ったお客さんでランチまでの営業が終了した。
4月からバイトを始めてもうすっかり慣れたが、久しぶりに働くと疲労感を感じてしまう。
俺は疲労を減らすように、息を長く吐いた。
「ゆーくん大丈夫?」
後ろから倖楓の心配そうな声が聞こえてきた。
あまり音をたてないように息を吐いたのだが、聞こえてしまったらしい。
俺は倖楓の方へ振り返る。
「大丈夫。それにこれくらいで疲れるなんて、最近怠けてた証拠だよ」
実際、倖楓はそこまで疲れた様子はないのだから、我ながら情けなく思う。
「そう?それじゃあ、早く片付けて休憩しよ!」
「だな」
俺と倖楓が掃除を始めて数分。
突然、カウンターでノートパソコンとにらめっこをしていた海晴さんが話しかけてきた。
「そういえば、朝は忙しくて聞けなかったけど、2人はお盆どうだった?」
海晴さんはノートパソコンをすでに閉じていた。
恐らくパソコンでの作業に疲れて、気分転換に会話をしたいのだろう。
とはいえ、話せば海晴さんにあれやこれやと質問攻めにされるのが目に見えている。
俺は無難な返答で済ませることにした。
「そうですね。…普通に楽しかったです」
「なんか変な間があったけど…」
「気のせいです」
楽しかったことも嘘ではないので、特別罪悪感も無い。
俺は、掃除に集中することでポーカーフェイスを維持し続けた。
すると、海晴さんはすぐに俺から倖楓に興味が移った。
「なら、倖楓ちゃんはどうだった?」
「私も楽しかったですよ!それに、忘れられない思い出もできました!」
倖楓の返答に、今まで動いていた手も不具合が起きたように動きが悪くなる。
「なになに!?それって、前に言ってた“夏っぽいこと”ってやつ?」
そういえば、お盆前最後のバイトで倖楓はそんな風に言っていた気がする。
よくよく思えば、あの時点で俺の帰省について来ることは決まっていたんだろう。
どこが“夏っぽいこと”だったんだろうか…。
「んー、そんな感じです!」
倖楓も事細かく伝える気は無いようだ。
俺がそう安心しかけたその時―――。
「ね、ゆーくん?」
なんと、俺に話を振ってきた。
そんなことをしたら―――、
「え?どうして悠斗くんに確認するの?2人は別だったんじゃ…」
やっぱり、海晴さんが食いついてしまった…。
バイト先でお盆についてどう話を合わせるかというのを、倖楓と決めていなかった俺のミスだ。
今からでも俺がどうするつもりなのかを倖楓に察してもらわないといけない。
俺は、とにかく辻褄が合うように誤魔化す。
「ほら、お互いに何してたとかで会話してたので、内容を知ってるだけですよ」
「そうなの?倖楓ちゃん」
海晴さんが倖楓に確認した。
だが、俺が『お盆はあくまでも別々だった』ということにしたいと伝わったはず。
確認の意味も込めて倖楓の顔を見る。
目が合うと、倖楓は一瞬だけ思案顔をした。
伝わらなかったのかと不安を覚えたが、すぐにそんなわけがないと頭の中で否定する。
俺が嘘をついているのは倖楓にはバレバレなわけで、少なくとも俺が話すつもりがないことくらいは汲み取れるはずだ。
というか、いつも俺の考えをすぐ見抜く倖楓がこのくらいのことをわからないなんて、それこそ嘘だろう。
そして、倖楓が口にしたのは―――、
「はい、そうなんですよ!帰って来てからたくさん話し込んじゃいました!」
俺の意図を汲み取った返答だった。
「そっかー。てっきり、帰省先で合流したりしたのかと思っちゃった」
「まさか、そんなことありませんよー」
海晴さんの勘の良い発言を、倖楓は自然に流す。
帰省先どころか、出発から一緒だったけどな…。
とりあえず、目前の危機は回避出来たらしい。
一応、心の中で倖楓に感謝をしておいた。
その後、清掃を終えた俺達は洋介さんのまかないを食べ始めた。
このタイミングで、俺は海晴さんと洋介さんに質問することにした。
「お二人に聞きたいことがあるんですけど」
「私と洋ちゃんに?」
俺が改まって聞いたからだろう、海晴さんはキョトンとした顔をした。
「はい」
「もちろんいいよ?」
「俺も平気だよ」
「ありがとうございます。実は、友達の話なんですけど―――」
俺は、明希と槙野の概要をざっくりと説明して、それから聞きたい事を尋ねた。
「―――というわけで、お二人が付き合った時のシチュエーションなんかを話せる範囲で聞けたらなと…」
そして、内容を伝えられた2人の反応はそれぞれ全く違った。
「もちろん!任せて!」
「それはちょっと…」
満面の笑みの海晴さんと、俺と目を合わせようとせずに申し訳なさそうな顔をしている洋介さん。
すると、2人はお互いの顔を見合った。
「洋ちゃん!かわいい従業員の頼みなんだよ!?」
「大切な従業員なのは間違いないけど、出来ることと出来ないことはある!」
「いいじゃない、減るもんじゃないんだし!」
「減る減らないじゃない、恥ずかしいんだ!」
「私と付き合った時のことが恥ずかしいってどういうこと!」
思いもよらない夫婦喧嘩(?)が始まってしまった。
倖楓は、俺の隣でどうしたらいいのかと困ったようにおろおろしている。
「あの、俺が悪かったので、普通に意見を貰えるだけでもありがたいです!」
俺はなんとか喧嘩の仲裁を試みる。
すると、2人は睨み合ったままではあるが、言葉の応酬は止まった。
「悠斗くんがそう言うなら…」
「助かるよ、悠斗君」
ひとまず危機を回避できたと安心して息を吹くと、倖楓も同じタイミングで息を吹いた。
それに気付いて倖楓の方を見ると、目が合ってお互いに苦笑いをした。
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