第4.5章 夏の終わり

不穏な呼び出し

「ゆーくん」


 父さんの車の中で、隣に座る倖楓から呼ばれた。

 隣に顔を向けると、超至近距離に倖楓の顔がある。

 俺は驚いて後ろに引こうとするが、車の中でそんなスペースがあるわけもなく、動けない。


 倖楓はそんな俺の様子を見て魅惑的な笑みを浮かべ、さらに近付いて来る。


「キス、しよっか」

「―――っ」


 その瞳に魔力でもあるかのように、目が合った瞬間から動けず、声も出ない。


 家族が同じ空間にいるのに、全く気にした様子がない倖楓。

 そして、こんな状況なのに家族も気付いていない。


 俺の頭は混乱してパンクしそうだった。


 キスって1回したら、そんなに軽率に出来るようになってしまうものなのか!?

 ていうか、結局付き合ってるわけじゃないのに家族の傍でするとか、既成事実的なことにする気なのか!?


 そんなことを考えている間にも、倖楓との距離がどんどん縮んでいく。


 やはり身体は動かず、声も出ない。


 そして―――、


「―――ストップ!」


 ようやく声が出たと思ったら、目の前から倖楓はいなくなっていた。

 それどころか、車の中ですらない。

 

 そう、1人暮らししている俺の部屋だ。


 帰省から戻って2日間、俺と倖楓はお互い実家で過ごし、昨日この部屋に戻ってきた。

 帰りの車は夢と違って、それはそれは平和なものだった。

 それなのに、なんていう夢を見ているんだ…。

 まさか自分の願望だなんてことはないだろうな、と不安を覚えた。


 俺はベッドで上半身を起こし、ため息を吐く。

 すると、寝室のドアがゆっくりと開いた。


「あ、やっぱり起きてた」


 倖楓がドアの隙間から顔だけを出している。

 今さっきまで見ていた夢のせいもあって、倖楓の顔を見づらい。


「なんか声が聞こえた気がしたんだけど、ゆーくん何か言った?」


 恐らく寝起きの一言のことだろうとすぐに理解したが、理由なんて言えるわけもないので、誤魔化しておくことにする。


「いや、何も言ってない」

「そう?それならいいんだけど」

「で、何か用?」


 倖楓が朝に来ているのだから要件は予想がついているが、話題を変えるためにわざと聞いた。


「あ、そうだ!朝ごはんだよ!起きて起きて!」

「わかった、すぐ行くよ」

「うん、待ってるね」


 満足そうに笑って、倖楓は部屋のドアを閉めた。


 俺は一息吐いてから自分の両頬を叩く。

 バシンッ、と良い音が鳴り、気が引きしまる。

 そしてベッドを出て、顔を洗いに洗面所へ向かった。




 迎えた朝食。

 久しぶりの倖楓と2人きりでの朝食というシチュエーションに緊張する。

 いや、朝食でなくても間違いなく緊張はしていただろう。

 しかし、倖楓は全くそういう素振りが無い。

 自分だけ、バカみたいだ…。


 結局、キスのことはあの日の夜以来、話題に出ていない。

 実家に戻ってからは倖楓もどこかぎこちなかったが、すぐにいつも通りに戻っていた。

 その切り変えの早さが羨ましい…。


「―――ゆーくん?ゆーくんってば!」

「…ん?」


 倖楓を見ると、少し頬を膨らませて不機嫌そうな様子。


「何回も呼んでるのに、やっと返事してくれた」


 全然、気が付かなかった。

 どうやら考え過ぎていたみたいだ。


「ごめん、どうした?」

「もうっ、やっぱり話聞いてなかったんだ!」


 呼ばれていただけじゃなくて、どうやら話を振られていたらしい。

 倖楓は唇を尖らせ、さらに不機嫌そうになる。


「本当に失礼しました。今度はちゃんと聞いてるので、もう1回お願いします」


 俺は、丁寧に頭を下げる。


「もうっ、しょうがないなー。ゆーくんは今日のお昼はどうする予定って聞いたんだよ?」

「あー、昼か…」


 もしかしなくても、昼食も倖楓が作ってくれるつもりなのだろう。

 たしかに、いつもならそれを断る理由は無い。

 だが、今日は違った。


「今日は用事があってさ、出かけないといけないんだよ」


 これは倖楓といるのが気まずいから吐いた嘘ではなく、昨晩に明希はるきから「相談がある」と連絡をもらっていた。

 集合場所がファストフードということもあり、昼食はそこで食べることになるのがわかっている。


 俺の断りの返事を聞いて落ち込むかと思った倖楓だが、全くそんな様子はない。

 それどころか安心したような顔をしていた。


「それなら良かった、私も出かけなきゃいけなくって」

「そうなの?」

「うん。昨日の夜に香菜ちゃんから連絡が来てね、お昼に会うことになったの」


 俺は明希から呼び出されて、倖楓は槙野まきのから。

 どこか偶然に思えない気がしたが、考え過ぎだろうと自分で否定する。


「ゆーくんは久木くん?」

「そうだよ」


 俺が誰かと予定があるとしたら明希か茉梨奈まりなさんくらいだろう。

 槙野という線も無くは無いかもしれないが、倖楓と予定があるならその二択だ。


「なんか、タイミングが良いね?」

「サチもそう思う?」

「…うん」


 どうやら、考え過ぎなのは俺だけではなかったらしい。


「まあ、偶然だろ」

「そうだよね、私達が昨日戻ったって知ってるんだし」


 そう言ってお互いに笑う。

 だが2人ともどこかで謎の不安が拭えていないのが顔に出ていた。


 そんな不安を少しでも忘れようとするためか、倖楓が話題を変える。


「あ、晩御飯はどう?一緒に食べれるかな?」

「んー、たぶん大丈夫だと思う」

「じゃあ、どうなるかわかったら教えてね」

「ん、わかった」


 そんな会話をして俺と倖楓は朝食を終え、それぞれ出かける支度をし始めた。

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