倖楓の憧れ

「もう…無理…」


 倖楓が絶望したかのような声を出して、床にへたれ込んでいた。


 それを見たレンは、苦笑いを浮かべている。


「さすがにやり過ぎちゃったかな?」

「まあ、元々はサチが意地を張ったのが始まりだしなぁ…」

「とりあえず、声かけてケアしてあげて」


 そう言って、レンは両手で俺の背中を押す。


 倖楓の傍に寄らされた俺は、へたり込んでいる倖楓にしゃがんで声をかける。


「サチー、大丈夫かー」

「…全然大丈夫じゃない」

「最後の方は笑ってただろ?」

「あれは私が私じゃなくなってたんだよ…」


 たしかに、あんな倖楓は見たことが無かった。

 正直、少し怖かった…。


「とりあえず、もう激しいのは終わりだよ。ほら、立って」


 道の真ん中というわけではないが、いつまでも人が床に座り込んでいるというのは良くないだろう。


 しかし、倖楓は一向に立とうとしない。


「サチ?」


 俺が倖楓を呼ぶと、倖楓はへたり込んだまま、両手を広げて俺を見る。


「立たせて?」


 手を貸して欲しという意味かと考えたが、それなら両手を差し出してくるだろう。

 両手を広げているということは…。


「まさか、抱き上げろって言ってたりしないよな…?」

「えへへ」


 倖楓は否定も肯定もしないが、笑顔が「もちろん」と言っているのがよくわかった。


「そんな恥ずかしいこと出来ません」

「さっきは背中に抱き着かせてくれたのに?」

「あれは俺の意思とは無関係だからノーカン」

「えー。前も後ろも大して変わらないよー」

「変わるから!」


 前に台所の事故で倖楓と抱き合うような形になったことがあったが、あの時でさえ色々大変だったのだから、水着でなんて絶対にダメだ。


スキンシップは大事だと思いますっ」

「過度だよ!」


 あー言えばこう言う。

 倖楓は頭が回るから余計に性質が悪い。


「でも、今日は私の“彼氏”なんでしょ?」

「なっ!?その話は終わっただろ!」

「そうだっけ?」


 倖楓がわざとらしく、恍けた仕草をする。


 あの時に“彼氏”だと言ったことを後悔はしていない。

 それが良い手だと思ったし、迷いは無かった。

 だが、ここで自分の首を絞めることになるなら、もう少し別の手を考えるべきだったかもしれない、と頭を抱えたくなる。


「とにかく、無理なものは―――」

「だめ…?」


 さっきまでのわざとらしい表情から一変して、しおらしい表情と潤んだ瞳でこっちを見ていた。

 この子、女優に向いているんじゃないだろうか…。


 そして、俺はこういう表情にとても弱い。

 こうなったら自棄だ。


 俺は少し長めに息を吐いてから倖楓に近付く。


「暴れるなよ」

「へっ?」


 俺が何を言っているのかわかっていない倖楓を無視して、側面から抱き上げた。


「ゆ、ゆーくん!?こ、こ、これって!」

「うるさい、騒ぐな、暴れるな」


 所謂、『お姫様抱っこ』と呼ばれる状態だった。


 自分でやったこととはいえ、ものすごく恥ずかしい。

 わざわざ口に出したくないし、口に出されたくもない。

 だから、多少ぶっきらぼうでも仕方ないと思ってほしい。


「ほら、降ろすから足に力入れて」

「え、もう降ろしちゃうの!?」


 倖楓はそう言って、自分の胸元にあった両手を俺の首に回してホールドしてきた。


「そもそも、立ち上がるために抱き上げろって要求したのはサチだろ?ちゃんと叶えたんだから、こっちの要求も叶えてもらわなきゃ困る」

「でも!抱えてもらって立ち上がるまでの時間指定は無かったよねっ!?ねっ!?」


 …凄く狡い。

 それに、やけに必死なのがなんか嫌だ。


「あのなぁ…」


 俺がさすがに叱ろうと思ったその時、倖楓の表情が曇った。


「だって…。こういうの憧れだったから…」


 お姫様抱っこが憧れというのは理解できなくもない。

 男女共にそういう人はいるのだろう。

 俺はそんなことはないので共感はできないが…。


「憧れって言っても、“水着で”とか特殊すぎて叶ったことにならないんじゃない…?」

「むしろ、その特殊な状況が良いって思ったり?」

「えぇ…」


 ダメだ、今までで一番倖楓の考えがわからない。

 とにかく、早く降ろしたい。


 俺は困り果てていたが、今日は強力な助っ人がいる。

 そのことを思い出し、俺はレンに目線だけで助けを求めた。


「遊佐さんが早く降りないと、私が悠斗に何でも1個お願いを叶えてもらうけど、いいの?」

「うっ…」


 一瞬、「なに言ってんの!?」と言いそうになったが、予想外にも倖楓に効いている。


「わかりました、降ります…」


 さっきまでのワガママ姫が嘘のように大人しくなった。

 レンの手腕に感動を覚える。


 俺は倖楓の足をゆっくりと床につけて、自立したことを確認してから手を放した。

 そして俺はレンに小声で話しかける。


「レン、助かったよ」

「私としてはちょっと残念だったけどね」

「勘弁してくれ…」


 本当に、俺のメンタルはもう過労でヘロヘロだ。


「ところで、この後はどうするの?」


 倖楓がいつもの調子で聞いてくる。

 相変わらず、切り替えが早い。


「さっきから、そろそろお昼しようって話してただろ?」

「え?してた?」


 倖楓が床にへたり込む前から話題に出ていたのだが、思い出してみれば、倖楓の返事が無かった。

 やっぱり、へたり込んでから俺が声をかけるまでは大丈夫じゃなかったのだろう。

 少し、「演技なのでは」と疑ったことを申し訳なく感じてしまう。


「じゃあ、改めて話そっか」


 レンが手を叩いて話し合いの流れに切り替えてくれる。


「まあ、話すと言っても選択肢はあんまり無いけどな」

「えっとー、フードエリアがあるんだよね?」

「そうそう。言い方が違うだけで、よくあるフードコートだね」

「私はそれで大丈夫だよ」


 改めて倖楓の了承も得られたので、俺達は昼食の時間にすることにした。




 フードエリアに着いてみると、時間帯も相まって、たくさんの人で賑わっていた。


「さすがに混んでるねー」

「だな」


 それなりに予想の範疇ではあったので、俺とレンはそこそこの感想だったのだが、約1名だけ違った。


「ごめんね、私がグダグダしてたからだね…」


 倖楓が目に見えて落ち込んでいた。


「あ、いや、お昼ならこんなもんだって」

「そ、そうだよ!ほら、テーブルも空いてはいるし!」


 俺とレンが必死にフォローする。


「…うん」


 まだ落ち込んではいるみたいだが、こういうのは中々すぐには吹っ切れないだろう。

 とにかく俺達が何とも思ってないと伝わることが大事だと思う。


「じゃあ、何食べる?フードエリアって言うだけあって、選択肢が普通より多いけど」

「んー、この後も遊ぶことを考えると、あんまりガッツリはいけないかなぁ」

「そうだね、私もそう思う」


 そう言われると、たしかに女子2人の意見に納得できた。


「じゃあ、俺はフランクフルトとか軽めのにしようかな」

「あ、じゃあ私もゆーくんと同じので」

「それなら私もみんなと同じのにしようかな」


 思ったよりも早くメニューが決まり、いざ並ぼうとすると―――。


「これはかなり待ちそうだな…」

「だね…」

「まあ、仕方ないね…」


 俺達の前には、注文待ちの長蛇の列。

 しかし、それはどこの店も同じなので、変えたところでさらに人が増えて待ち時間が延びるだけだ。

 ここは現状で決めてしまうのが最善だろう。


 とは言っても、3人で待ってる間に席が埋まってしまうこともあるかもしれない。

 俺は2人に席を取っててもらうことにした。


「俺が注文するから、2人は席で待ってていいよ」

「え、それだとゆーくんが1人でしょ?」

「1人で列に並ぶのって辛くない?」

「奇数で来てるんだから、そうなるのは仕方ないって。それに、女子1人だとまた変なのが寄ってきたりするかもだし」


 2人でも寄ってきそうだけど、1人よりはずっとマシだろう。

 それに、俺としては倖楓とレンがゆっくり話す時間があってもいいかもしれないと考えていた。


「ゆーくんがそう言うなら…」

「私もわかった。遊佐さんのことは任せてね」

「いやいや、レンも気をつけないとダメだからな」

「はいはい」

「………」


 こうして役割分担を決めて、俺達は分かれた。


 最後の方に倖楓が唇を尖らせていた気がするが、気のせいだろうか?

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