脱出

 葵は足取りがおぼつかない八千代を進之助に託そうとした。


「お前さん馬鹿か? 一緒に降りるんだよ」


「で、でも、どうやって?」


「こうやるんだよ!」


「きゃっ!」


 進之助は葵をおんぶする形を取り、相変わらず朦朧としている八千代を赤ん坊の様に抱え込んだ。毛布が無かったため、まだ燃えていないテーブルクロスを何枚か重ねて代用することにした。葵は不安げに進之助に問いかける。


「大丈夫なの? 女とはいえ二人同時に抱えて飛び降りるなんて……」


「まさに火事場のくそ力って奴が見られるぜ。オイラの心配より自分の心配をしな。振り落されないように、背中にしっかりと捕まっておけよ」


「わ、分かった」


 葵は言われた通り進之助の背中にしっかりと捕まった。


(細身と思っていたけど、ガッシリとした体つきね……って私何を考えているのよ!)


「よし、行くぞ! 3,2,1、ハイ!」


 進之助の掛け声とともに、三人は燃える店から飛び降りた。振り子の要領というが、向こうのビルの壁面にぶつかって、はいまたお店の方に~という訳にはいかないだろう。


「うおおぉぉぉ」


「で、どうするのよ、進之助⁉」


「何が?」


「このままだと壁と衝突よ⁉」


「あ~」


「って何も考えてないの⁉」


 ビル壁と正面衝突を覚悟した葵だったが、実際はもっと違った。流石に三人分の体重を抱えるとなると、十分な加速を得られず、ビル壁面にはぶつからず、やがてゆっくりと中央の電柱に絡まった。


「な? 大丈夫だったろ?」


「結果オーライってだけでしょ! 大体どうやって下に降りるのよ」


「まあ、その辺は自然に……なっ」


「自然にって……まさか!」


 葵が上の方に目をやると、即席ロープが三人の体重に耐えきれず、今にも千切れそうになっている。


「ちょ、ちょっとこのままじゃ……!」


「ロープが切れて下に落ちるな」


 振り向いてまたもニヤリと笑う進之助に対して、葵は怒りが湧いてきた。


「何をニヤニヤしているのよ! このままじゃ三人とも怪我するわよ!」


「まあまあ、そう慌てなさんな」


「これが慌てずに……あっ!」


 葵がもう一度上を向いた瞬間、即席ロープの寿命が切れた。数メートル程の高さとはいえ、三人とも怪我は免れないだろう。葵は覚悟を決め、目を閉じた次の瞬間、想像とは違う衝撃が彼女たちに伝わった。葵はゆっくりと目を開けると、そこには落下する三人を受け止めるモヒカン頭の巨漢の姿。


「緊急マッド役、ご苦労さん」


 進之助が軽口を叩く。そして事情をよく飲み込めていない葵に対して説明する。


「こいつ、店が燃え上がって、ようやく己のしでかしたことの重大さに気付いたみてえでな。何か自分に出来ることはないかって言いやがるから、即席ロープ用の服の供給と、緊急マット役を任せたってわけさ」


 消防車両と救急車両が現場に到着した。


「ようやくおいでなすったか。じゃあこのお嬢さんを救急車に乗せてやらねえとな」


 進之助は赤子のように抱いていた八千代をあらためて抱き抱える。それはさながら「お姫さまだっこ」のような体勢だった。葵は若干面白くないと思った。その時何故そう思ったのかは自分でもよく分からなかった。進之助は救急隊員に八千代を預けた。隊員は迅速に車に八千代を乗せた。憂が心配そうな表情でその傍らに付き添っている様子が見えた。


「ま、まあ、今回は貴方には助けられたわ。どうもありがとう」


「礼には及ばねえよ。それより……」


「それより……何?」


「いい加減降りてくれねえかな……」


「あっ! ご、ごめんなさい……」


 葵は恥ずかしそうに進之助の背中から降りた。幾分間があったが、気を取り直して、葵は再び話を切り出した。


「赤宿進之助君。貴方に話があるの」


「あ~しょうゆ会だっけ、一体何の話なんでぇ?」


「私たちは貴方に喧嘩を止めさせようとして、今日ここまで来たの」


「このままですと、停学処分で済まなくなる時がきますよ」


 手元の端末を操りながら、爽が二人に近づいてきた。


「せっかく入った大江戸城学園。つまらない理由で辞めたくないでしょう?」


 爽の後ろにいた小霧も進之助に対して、声をかける。


「何だ、要は風紀委員の皆さんってことかい?」


「違います。我々は将愉会です」


「オイラも疲れているから、どっちでもいいや。ただ言っておくけど、オイラは別に学校を辞めることになってもいいんだ」


「えっ⁉」


「オイラの夢はの様に立派な火消しになることだからよ。学校にそこまでこだわってねえんだよなぁ。だから、わざわざ来てもらって悪いけどよ。オイラは今までの生活態度を改めるつもりはさらさらないぜ」


「そ、そんな……」


「め組の先輩方の手伝いをしなくちゃならねえ。失礼させてもらうぜ」


 そう言って、進之助は消火活動を続けるめ組の元に駆け寄っていった。


「如何いたしますか葵様?」


「暖簾に腕押しって感じでしたわね……」


「……今日の所は出直そう」

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