エリサの気持ち
メルクの魔法によって頭上を飛び回る使い魔が一斉に落ちていったとき、あたしは歓喜や安堵などの感情が入り交ざった訳の分からない気持ちに包まれた。
あたしにはよく分からないけど、空間一帯の重力をまとめて操作するというのはすごい魔法で、それを見たハルト殿下や観客はメルクと殿下の差を実感している。特に殿下の落ち込みようは酷く、このままでは結婚が延期、もしくは取り消しになるのも十分ありえそうだ。
が、あたしにとって嬉しかったのは結婚が流れることよりもメルクが自分のために本気を出してくれたことだと思う。
元々最初に父の紹介で会ったとき、あたしはメルクという人物をただの冒険者あがりの頭がいい人、ぐらいにしか思っていなかった。せっかく教師になるのであれば授業の雰囲気はいい方がいいから仲良くしておこう、というぐらいの気持ちはあったので一応親し気に振る舞ってはいたけど。
ただ、その日の夜にあたしはハルト殿下が来国するという話を聞いて、急に訳もなく怖くなってしまった。これまであたしは社交的な王女として振る舞ってきたけど、それはあくまで儀礼的な付き合いに過ぎない。だから実際に他人と、特に異性と仲良くするというのがどういうことなのかあたしにはよく分からなかった。
そういう不安があって、翌日の初授業ではメルクにやたら距離を近づけるような絡み方をしてしまった。とはいえそんなことをしてもあたしが一方的にからかっているだけで何も始まらない。
そう思っていると、不意に彼は「あたしに悩み事があるなら教えて欲しい」と言ってくれた。これが初めてあたしが彼を「教師」ではなく「メルク」として意識した瞬間だと思う。
翌日、テストの話が出た時もメルクはよく知らないあたしを信じると言ってくれた。やっぱりこの人はあたしのことをただの王女もしくは授業相手として見ているのではなく、ちゃんと「エリサ」として見てくれている。勝負の件も、最初はもっと無難な頼みにしようと思っていたけど、そう思ったからこそあえてデートのようなことを持ちかけてしまった。
メルクは分かっていなさそうだったけど、いくらあたしが異性がどんなものか知りたいからといって、それなりの好意がなければあんなデートを持ちかけたりはしない。
その後、メルクはあたしの悩みを聞いてくれた。この時はもはやメルクのこういう対応を驚かず、むしろ「予想通りだな」と思ってしまう自分がいた。
そしてデートから戻るころには、結婚への決意を固めるどころかかえって心が揺らいでいくのを感じていた。ハルト殿下はあたしをこんな風にあたしとして見てくれるのか? あたしが何か悩んでいる時王女としてではなく個人として見てくれるのか? と。
とはいえさすがにこの悩みばかりは誰にも打ち明けることが出来なかった。あたしの一存で勝手に婚約を破棄すれば二国の仲に亀裂が入ってしまう。もし父上の耳に入ってしまえばメルクを遠ざけるため、あたしの教師を解任されるかもしれない。それだけは絶対に嫌だった。
そしてその悩みは殿下がやってくる日が近づいてくるにつれ、さらに深くなっていった。
そして殿下がやってくる日。
殿下と会う直前、あたしはそれでも未練がぬぐえなかったから、ついついメルクのところに話に行ってしまった。あたしの遠回しな愚痴にメルクが答え、それで会話が終わる。
が、ふと次回の授業の日程が都合が悪くなったので変更するということを伝えなければ、と思い出して彼の元に戻ろうとした。
するとなぜかメルクとハルト殿下は二人きりで話しているのを見てしまった。あたしは思わず物陰に隠れて二人を見守ってしまう。
「ならばこの僕と勝負しろ。僕の方が優れた魔力と魔法技術を持つと分かればエリサも僕との結婚に納得するだろう」
「分かりました。そこまでおっしゃるのであれば決闘をお受け致しましょう」
「ふうん? 無駄と承知でこの僕との決闘を受けるとはよほどエリサにご執心と見える」
それを聞いてあたしは思わず顔がほてっていくのを感じた。あのメルクが、あたしのためにわざわざハルト殿下と決闘を受けてくれている!?
正直あたしはメルクのことをいい人と思いつつも、まさかそこまでしてくれるとは思わなかった。相手は魔法王国の第一王子だし、そもそもこの戦いで勝ったとしてもメルクには何のメリットもない。名声は上がるかもしれないけど、「隣国の王子に恥をかかせた空気の読めない奴」と思われることもあるかもしれない。
それなのにあたしのためにわざわざ決闘を受けてくれるなんて……。しかも決闘を受ける時のメルクの表情はかなり真剣で、絶対負けない、という強い意志を感じた。
その日から、あたしは日常のふとした拍子に彼のことを考えるようになってしまった。勝って欲しいというのももちろんだが、次に会ったらこんなことを話したいとか、次はどこに出かけたいとかそういう他愛のないこともだ。
だから今日の朝は胃がきりきりするような緊張を覚えた。もしかしたら殿下よりもメルクよりもあたしの方が緊張していたかもしれない。
そして決闘ではメルクが圧倒的な実力を見せて殿下に勝利した。あたしはあふれ出しそうになる気持ちをぐっとこらえ、群衆がいなくなるのを待ってメルクに話しかける。
「おめでとう、そしてありがとう……」
あたしの感極まった声を聞いてメルクは少し驚いたようだった。
が、やがて照れたように答える。
「まあ、あいつに馬鹿にされたのが悔しかっただけだ」
「そうなんだ。じゃあ、今度は祝勝会を開かないとね」
「祝勝会? そんなもの開いて大丈夫なのか?」
エリュシオン王国からすれば自分の王子が負けた決闘で相手が祝勝会など開けば煽られていると思うだろう。だけど、それについては問題ない。
「大丈夫、それはあたしが個人的に開くだけだから」
「そうか、それは……ありがとう」
こうしてあたしはメルクと個人的に会う約束をとりつけることに成功した。多分、彼はそこまで考えて頷いた訳ではないと思うけど。
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