第339話

 約束。どこでかしたかはハッキリと覚えていないが、日々重圧に晒されるキャプテンを慰労する為に俺が肩を揉む約束があるのは事実だった。

「私にも準備があるからショーちゃんも汗を流してからで良いよ?」

というシャマーさんの言葉に甘え、俺は自分の部屋でカラスの行水をすませてから彼女の部屋へ向かう。

「汗を流すのより何か口にした方が良かったかな……」

 風呂と言うのはなにげにカロリーを消費するんだよね。腹が減ったままの俺は胃の辺りを軽くさすりながら、部屋割りした時の記憶を辿って目当ての部屋へ着いた。

「もしもし?」

「どうぞー」

 今更だが日本旅館を燃したこの檻場館は部屋の入り口もドアではなく引き戸だ。ノックするのも難しく、俺は声をかけて返答を聞いてから部屋の中へ入る。

「いらっしゃい! 何か飲むー?」

「あ、じゃあお茶だけ……」

 出迎えたシャマーさんは先ほどの宴会場布団敷き大作戦の時よりややルーズな格好になっていて――同じ浴衣姿だが帯を緩め袖も垂らしている。観察してたのかって? いや魔法を使う為に帯を締め襷をかけていた時との比較の話だって!――ゆっくりした動作で簡易的な流しの方へ行く。

「ん?」

 部屋に漂う不思議な匂いに気づいて俺は思わず声を出した。

「どうしたのー?」

「いや、何かお香の様な香りがするな、って。アロマか何か炊いてます?」

 地球なら女性に人気なマッサージ店でやってそうだが、エルフの皆さんもそういう事するんだっけ?

「リラックスできるヤツを、ちょっとねー。はい、どうぞ」

 そう言って戻ってきたシャマーさんが差し出したのは、湯呑みに入ったわずかに湯気が立つ赤い色の液体だった。

「あ、どうも」

 ホットのアセロラドリンクかな? そう思いながら口に少し含んで、意外な生臭さにやや咽せる。

「こっ、これは?」

「疲労回復に良いハーブを幾つか混ぜたの。全部飲んでね!」

 シャマーさんはそう言って軽くウインクする。その罪のない笑顔に断る事もできず、俺は喉を抑えながらそれを一気に飲み込んだ。

「じゃ、お願いして良いかなー?」

 俺の飲み干した湯呑みを受け取り台に置き、シャマーさんは奥に敷いてあった布団の上まで行き、すっと俯せに寝そべった。

「ええ。えっと、心臓まで遠い方からやった方が良いらしいので、足先の方から行きますね」

 肩を揉むという話だったが、何となく全身をマッサージしないといけない流れだ。

「うん、任せるー」

 俺はシャマーさんに断り返事を聞いた後、そっと彼女の足の裏へ手を延ばした。


 アスリートの身体、と聞いてふつう真っ先に想像するのはムキムキガチガチの筋肉だろうか? だが彼女の裸足は驚くほど柔らかかった。

「うふふ、くすぐったーい」

「すみません、我慢して下さい。少しづつやるので痛い所があれば言って下さいね?」

「はーい」

 見よう見まねで、と言うか実はアローズのメディカル班に教えて貰って少し知っているのでその範囲で、俺は中指を折り曲げ第二関節の突起でシャマーさんの足裏のツボを押していく。

「おっおっ……」

「シャマーさん、笑わせないで下さい」

「笑わせっ、くすぐってっ、いるのはショーちゃんじゃない! あはは」 

 シャマーさんがマッサージを受けるオッサンみたいな声を出し、俺は思わず吹き出してしまった。苦情を言うとすかさず彼女も反論する。

「じゃあ真面目な話をしましょう。少し先の話と、目前のゴブリン戦の話です」



「……そんな事まで考えるものなのね、監督って」

 脚部のマッサージを受けつつ俺の目論見を聞いたシャマーさんは呆れたような声で言った。

「さあ? 俺も初めてなので分かりませんが。あ、ここから背中に行くので腰の上に跨がらせて貰いますね」

「あいー」

 俺は一言、断りを入れると持参した毛布をシャマーさんの腰から臀部あたりへかけ、その上を跨いだ。

「もっと体重かけて良いよー」

「いや、それじゃあそっちに負荷がかかりますし」

 それに何より、ちょっとエッチな姿勢になっちゃうしね!

「なっちゃうも何も、まだする気にならない? おかしいなー」

「何か言いました?」

 シャマーさんが小さく呟き、俺は訊ねた。

「ううん、何でもないー」

「じゃあ、さっきのよりちょっと監督らしい話をしましょうか。次のゴブリン戦ですが」

 そう言いながら今度はシャマーさんの腰を、両手の親指で押してほぐしていく。

「あーそれ気持ち良いー」

「ゴブリン代表は勢いのあるチームで攻撃の波に乗らせると難しいので、逆に言えばどれだけゲームの流れをブツ切りにできるか? にかかっています」

 ゴブリン代表の攻撃は詰まったら後ろへ、そして横へと展開を続けていく所に特徴がある。エルフ的に言えば一度外した! と思ってもすぐに矢を再装填して撃ってくる射手のようなモノだ。

「つまりオフサイドトラップが肝って事ねー?」

「ええ。かけまくって、試合を止めまくりましょう。ブーイングはすさまじいモノになるでしょうが、気にせずゆっくりとボールをセットしてラインを上げてから試合を再開して下さい」

 いにしえのサッカードウのリーグでは

「殺到するゴブリン代表の攻撃を前にいつもの冷静さを失うエルフ代表」

という風景がその両チームの試合の風物詩だったらしい。

 だが今のアローズにはオフサイドトラップという新しい武器がある。

「相手がボールを下げた時に容赦なくラインを上げて、FWを置き去りにしてやってください。リスクはありますが、試合の流れは切れるし安全にこちらボールになるし、その分のリターンはあります」

 シャマーさんと彼女が率いるDFラインはチーム始動からもっとも時間をかけてきた部分で、かなりの成熟度にある。しかも今回はルーナさんも復帰しベストメンバーでゾーンを組める。難なくゴブリン代表の攻撃を封じ込める筈だ。

「大丈夫、スリルは大歓迎だからー。ガンガンあげちゃう」

 シャマーさんはそう言いながら少し腰を上げ、お尻を突き上げた。

「うわ、ゆれ、ちょっと危ないですよ!」

「うふふ。ショーちゃん、どんな感じ?」

 シャマーさんはそう言って妖艶に笑いながら下から俺を見上げた。その光景を見て俺の中に何か、こみ上げて来るモノがあった。

「シャマーさん……」

 俺は……我慢していたものが溢れ出しそうなのを感じていた。

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