第235話
いよいよ開幕戦当日。いまさらバタバタしても始まらない。俺は前日も早めに寝て早朝に起きて、グランド外周を走り身体を暖めた後はトレーニング室へ籠もって色んな種類のウエイトを持ち上げていた。
普段は生真面目なデイエルフの選手の何名かがポツリポツリと姿を表すような時間だが、試合当日の朝となれば流石に誰もいない。しかししばらく汗を流すとベンチ外の選手達が数名、連れ立って部屋に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
互いに思う事は色々とある。だが筋トレの前に言葉は不要だ。俺たちは黙ってトレーニングを続けた。
「ショーキチ殿! おはようございます」
やがて俺を探してナリンさんが現れ、お開きの時間となった。俺はまだ自分の筋肉を痛め続ける選手たちに黙礼を送ると、ナリンさんに続いてトレーニング室を出た。
今日の試合開始はお昼過ぎ、と言うことはつまりドワーフとのプレシーズンマッチと同じだ。故に選手たちのルーティーンもほぼ同じ。起きて、朝食を取って、散歩や柔軟体操などで軽く身体を動かして、スタジアムへ向かう。違う点はここはホームでラビンさんがいるので柔軟体操にヨガの指導がつくとか、スタジアム入りを船で行う……といった所だ。
例によってその最中の選手たちの様子を観察――ただしヨガは別だ。服装的にもポーズ的にも際どいので、男性にジロジロ見られるのは嫌だろうから――し、クラブハウスの至る所にイメージ再生の魔法装置を設置して色々な映像を流した。
今回の「色々な映像」はオーク代表の失点シーンやセットプレーの注意点だけではない。エルフの都の盛り上がる風景やサポーター期待の声、レブロン王の激励自撮り等も間に差し込まれるようにした。チームが一新された事に加えてドワーフ戦の勝利、各種プロモーションの成功に宿敵オークとの対戦、とあって今回の開幕戦の注目度は半端なく高い。それについて怖じ気付くような選手はいないと思うが、急にそれを目の当たりにして驚かないで済むよう慣らしておくことにしたのだ。
まあ、ダリオさんだけは父上の浮き立つ姿を見る度にダメージを受けていたようだが。
「おおう! ゴキゲンじゃねえか!」
ティアさんが船縁から大きく身を乗り出しながら叫んだ。
「危ないから席に座って。でも手は振ってあげてね」
俺はそう言いながら彼女の身体を支える。エルヴィレッジを船で出発し、シソッ湖を横断して試合会場へ近づくアローズの前に現れたのは、リーフズスタジアムを装飾する色とりどりの長い布、運河沿いの街道に立ち並ぶ幟、歓声を上げながらその道を進む観客たち、そして岸辺に設置された特別席から声援を送る熱心なサポーター達の姿であった。
「きゃーダリオ姫ー!」
特別席の最前列に陣取ったダリオ姫の親衛隊――彼女の場合は本物の親衛隊も持っているからややこしいな。ここにいるのはファンの、だ――が悲鳴を上げるとダリオさんは船の座席に座ったままにこやかに手を振った。
「「アローズ! アローズ!」」
席は全てシーズンパス早期購入の特典として割り当てられており、レプリカユニフォームを着てタオルマフラーを振り回すようなサポーターだらけだ。しかも試合開始4時間前からここに集まって
「ありがとうみんな! 一緒に闘おう!」
俺はその集団に向かって声をかけつつ、スーツの胸元に刺繍して貰ったエルフサッカードウ協会のエンブレム――雪山をバックに空を雄々しく駆けるグリフォンだ――を叩いた。お返しは更に大きくなる手拍子と「ショーキチ!」の声援だった。
「まもなく到着するぞ。……長年、船長をやってきたがこんなに感動的な航行は初めてだ。武運を祈る!」
アローズ
「ショーキチ監督、あんたはずいぶん躾が上手いみたいだな」
最後に俺が降りようとすると、船長さんが手を貸しながら囁いてきた。
「いえそんな。それよりお声かけ、ありがとうございます」
「良いって事よ! いや本当の話、この船の船長を40年ほどやってきたが、こんなに雰囲気が良いのは初めてだ。今までは集中していると言えば聞こえは良いが、何というか互いに干渉せず声援にも適当に……と言った感じでな」
まあそうだったのだろうな。毎年、残留争いをしていてピリピリしているチームの移動なんてそんなもんだ。
「それは……気苦労をかけました」
「ところが今年はどうだ? サポーターは熱いし選手も仲が良いみたいだし、船員や俺に船の事を聞いたり礼を言ったりしてくる! あんた、一体なにをしたんだ!?」
「なにって……俺はただ……」
定型文で何々をしただけだが? と言おうとして俺は口ごもった。この数ヶ月の事を一言で言い表すには無理がある。
「まあ、ヨットで訓練をしたりしたから、船にも興味を持ったんですよ。選手達も。その話はまた!」
俺は船長さんにそう言うと最後にしっかりと握手を交わし、スタジアム内の監督室の方へ向かった。
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