第210話

 木製の階段をきしませない様に歩くのは非常に困難だったが、俺はなんとか登り切り船内に入った。船の形をした俺のツリーハウスの階段の踊り場は船腹の片端であり、廊下を挟んだ向こうに居間がある。空けていたのはほんの数日なのにかなり久しぶり感じる我が家は、幽霊船の様に真っ暗で不気味だった。

「誰かいますか?」

 そう小声で呼びかけながら、唯一あかりが指していた居間を覗き込む。大きなテーブルが中央を占めるその部屋に人影はなく、ただ小さな魔法のロウソクが静かに揺らめいていた。

「あ、ごはんだ……そう言えば」

 机の上に並べられた干し肉、チーズ、パンといった軽食類を見て、思わず自分が空腹だった事を思い出す。と同時に先ほどまであった恐怖も霧散した。

「……美味いな。誰かが差し入れを置いていってくれたのかな?」

 中へ入りスパイスの効いた干し肉を手に取り齧りながら心当たりを探す。俺の家を知っていてそういった気配り差し入れが出来る存在……となると筆頭はナリンさんだが、彼女は今日ほとんど俺と一緒にいたのでその機会が無い。レイさんもナリンさんとほぼ同様だし、スタッフに目を向けてもみんな今の状況の対応で大忙しの筈だ。

「分からん! まあ誰か分かったらその時ちゃんとお礼するか……」

 今は頭が疲れ切って動かない。でも確か食べ物を良く噛むと脳に刺激が行ってなんとかかんとか……て言うし、喰ってる間に思いつくかもしれない。

 そう言えばスポーツ選手がガムや噛み煙草を咀嚼しているのも、脳と精神に良い影響を与える為もあるらしいな? そんな事を考えながら、俺は再びオークの試合映像を見つつ部屋を出て寝室へ向かった。


 居間以外は暗いままだが俺は特に灯りをつけずに廊下を歩いて船長室へ入った。映像の光で十分だからだ。森を歩いていた時からもそうだが、スマホのライトだけで夜道を歩く感覚に近くて少し懐かしい感覚だ。

 スマホついでに言うと寝る前にスマホをイジるのも寝付きが悪くなって良くないんだよな。

「でもこれはスマホじゃなくて魔法の水晶球だから良いもーん」

 誰に聞かせるでもなくそんな言い訳を呟いて、俺はベッドに後ろ向きに倒れ込んだ。

 そして、柔らかいものが背中に当たった。

「えっ!?」

「きゃー!」

 ベッドの中に誰かいた! 女性の悲鳴が聞こえて一瞬で飛び上がる。

「すみません! だっ誰ですか!?」

 俺は謝りつつも水晶球をライト代わりにかざして相手を照らす。俺の家に誰かが入り込むのは何度目だ!?

「照らさないで! ちょっと、それ下げてよ!」

 そこには下着姿で目を吊り上げて怒るリーシャさんの姿があった。

「リーシャさん!? 何で?」

「いいから向こうを見なさい!」

 勝手に部屋に入ってそんな格好で俺のベッドで寝てた癖になんて言い草だ! と思いつつ目を逸らさないといけないのも事実だ。

「見えてませんよ! 言った事があるかもしれませんけど、俺たち人間はエルフほど夜目が効きませんからね!」

 彼女に背を向けつつ、悔しいから一言投げ返す。いや実際エルフさんたちは非常に眼が良く俺にとっての暗闇が彼女らにとっては薄暗い、人間にとっての薄暗いがエルフにとっては明るいだったりする。

「本当? 実は見えてたでしょ? 私の下着は何色だった?」

「白?」

「やっぱり見てたじゃない!」

 そんな罵声とともに枕が飛んできて俺の後頭部に当たる。しまった、会話のテンポ重視で即答した適当な答えが正解してしまった! 関西人の血ノリが裏目に!

「バカ! エッチ!」

 背中方面から枕に続いてシーツ、ブーツ、衣類などが飛んでくるのを背中に受ける。へ? 衣類?

「ちょっとリーシャさん落ち着いて! 服まで投げちゃって良いんですか!?」

「あっ……」

 激怒した時と同じくらい唐突にリーシャさんは沈静化した。

「うっ……返してよ」

「はいはい」

 別に俺が取った訳じゃないけどな! 俺は苦笑しながら散らばった衣服を拾い、背を向けたまま彼女の方へ差し出した。

「もう少し先の事を考えて下さいね」

 レイさんやポリンさんと比べればそりゃ大人だが、リーシャさんもかなり若いエルフでまだまだ未熟なんだよな。

「うん……。ごめんなさい、痛くなかった?」

 背中方面なので予想でしかないが、リーシャさんは片手で服を受け取り片手で俺の後頭部をそっと撫でた。

「まあそんなに痛くは。ブーツ以外は」

「ごめんなさい! ……もっと怒らないの?」

 俺に触れていた手がビクっと下がって離れた。もうちょっと撫でていて欲しかったな、と思いながらも応える。

「こんな時間に、しかも独りでユイノさんも連れずに来たんだ。何か悩み事があって来たんでしょ? で、待ち疲れて寝てしまったと。じゃあ聞きますよ」

「えっ!? 何で分かったの?」

 実のところそれほど確信があった訳ではないが、急にしおらしくなった辺りから予想はついた。『しおかん』じゃなくて『しおリーシャ』だ。

「そりゃまあ見てますから。あ、下着じゃなくて普段の態度の事ですよ?」

「バカ! 何を言ってるのよ」

 リーシャさんは少し吹き出してそう言ったが、すぐに両手で俺を引き寄せ背中から抱き締めた。

「ごめんなさい。あと、ありがとう」

 お、おう……。リーシャさんはしおらしいを通り越して愛らしい声でそう囁いた。しかも下着姿のまま、だ。恐らく。

「いっ、居間の食べ物はリーシャさんが持ってきてくれたんですよね?」

「うん。ユイノが『お願い事する時はワイロを持って行け』って」

 賄賂か。どちらかと言うと食べ物よりこの背中の感触の方がありがたいけどな。言えないけどな。

「向こうでそれを食べながら待ってますので、着替えて心構えができたら来て下さい」

「うん。あ、でももう少しこのまま……」

「このまま?」

「うん。もう少しこのままでいて……」

「いてーーー!!」

 突然、背後のクローゼットから轟音と叫び声がした。

「え? 何!?」

 リーシャさんの見つめる方向には激しい光を放ちながら揺れる衣装入れのドアがあり、中で何かがモゾモゾと動いている気配がする。

「またこのパターンか……」

「なにそれ?」

 まあその疑問はもっともだな。だが俺が返事の口を開くより先に中から声がした。

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