第180話

 翌日。朝食を終えた俺たちは宿舎から直接、繋がる地下道トンネル――といってもここは全てが地下だが――を通ってスタジアムへ向かった。

 地球であれば宿舎そのものや道中でサポーターの起こす騒音や罵声にさらされ、これぞアウェイの洗礼……ということもあろうがトンネルではそんな不安もない。ドワーフさんらしい高潔さと真面目さか。

 そんな事を考える間に何事もなく移動が終了し、俺たちは「ミスラル・ボウル」に足を踏み入れた。


 ドワーフ代表のホームスタジアムは想像以上の圧迫感だった。必要もないのに全座席を覆う屋根というかドームがあり、その座席の傾斜は当然、前方から後方にかけて斜めになっている筈だがピッチ側から見るとこちらに倒れかかってくるかのように見えた。

 試合ともなればそこに大量の髭のオッサンが押し掛け大声が反響する。慣れていなければ恐怖すら覚えるだろう。

 もっとも今、そこにいるのは数十名のサッカードウ報道関係者だけであり、先に練習を終えて引き上げるドワーフ代表とそのスタッフに熱烈な取材を行っていただけだが。

「練習は気合い十分といった所ですか?」

「『5-0で勝つ』というのは本当ですか!?」

「ポビッチ監督が仰ってた『秘策』とは?」

 報道陣は観客席から必死に身体を伸ばし、なんとかコメントを取ろうとしている。落ちないのかな、あれ。

「おうおう、盛り上がってんな! 『5-0で勝つ』とか言って!」

 その様子を見ていつの間にか隣に来たステフが嬉しそうに笑った。練習も護衛して欲しいとお願いした時はノリ気ではなかったが、事件や喧噪があると途端に元気になるな。

「そうなんだ。てか、良く聞こえるね。他になんて言ってる?」

 エルフの皆さんの目や耳が良い事にはまだ慣れない。と言うかステフに至っては他言語に精通してるのな。だからガイドにも雇ったんだが。

「んー。『めっちゃ熱の入った練習』とか『必勝の策』とか言ってる」

 なるほどそれは盛り上がるコメントだ。報道向けのリップサービスだとは思うが。

「ショーキチもああいうの言わんのか?」

「別に。こっちは淡々と準備を行うだけだし、公に言ったり見せたりできることなんて、たいしたことないしね」

 俺は公開練習の存在意義を否定するような事を言い放った。まあ公開練習で見せる部分なんてウォーミングアップと軽いサッカーバレーとかばっかだからね。

「その割にラビンさんの旦那さんをドワーフの視察へ先に行かせてたんじゃないのか?」

 ザックコーチをそう呼ぶなや! と思ったがステフやスワッグや一部選手はクラブハウスの料理長であるラビンさんにがっつり胃袋を掴まれて(捕まれて、か?)おり、彼の事はどうしても『ラビンさんの夫』という認識になっていまうらしい。

「そこの矛盾は認めるよ。だってザックコーチなら公開部分で選手の動きを見るだけで、だいたいのコンディション分かるし」

 ミノタウロス代表の元監督は戦術家という訳ではなかったが、選手たちのスタミナや調子を見抜き、管理するのが上手かった。その上で総責任者としての実戦経験も豊富だから、彼だけ先んじてドワーフ代表の公開練習を見て貰っていたのだ。

「ふうん。その上でこっちの練習の指揮もするのか。『馬車馬のように働く』じゃなくて『牛車のように働く』だな!」

 目の前では選手たちがグランドに広がりアップを初めていた。それを指導するザックコーチを見てステフが感心したように呟く。

 牛車のように働くって何だ? とか現代日本の馬車ってめっちゃ労働環境整えられてるんだぞ? とか思ったが俺は何も言わず観客席へ繋がる階段を登り、高い所から全体を眺めることにした。

「あ、ショーキチ殿! ステフさん!」

 メインスタンドのベンチ裏、一番良い席にはナリンさんが先に陣取り、練習風景を撮影する魔法の双眼鏡やメモを書く為のノートを広げていた。

「おっす! 警備主任のアタシが見守ってるから安心して練習しな!」

「はい。よろしくお願いしますね」

 そう言いつつ椅子に横たわるステフにはまるでヤル気が見えないんだけどな……と思いつつも俺はナリンさんの横に座り、スタジアム全体を眺める。

「ナリンさん準備お疲れさまです。しかし立派なスタジアムですね~。器もデカいしピッチも綺麗だし。あ、でも芝生の養生ってどうやってるんだろう?」

 デカい建築物を見たとき特有のゾワゾワ感にやや震えながらも言う。

「しばくの幼女!? なんだ!? ドワーフ夫婦のDVでも見たか!?」

 ステフが飛び起き、双眼鏡を覗き込んで左右に振った。

「何も無い所に事件性を見い出すな! 幼女に暴力をふるうのじゃなくて、芝生を育成するの! こんな地下じゃ日光も風もなくて草が生長しなかったり根が腐ったりしそうじゃん!」

 性根の腐ったドワーフの旦那が奥さんを、とまだ粘るステフから双眼鏡を取り返し、ピッチ方向へ戻す。

「日光については光の精霊を、風については送風装置を利用して芝にベストな環境を与えています」

 ナリンさんがスタジアムのそこかしこを指さしながら説明した。植物の育成管理についてはエルフが最高級の技術をもっており殆どの種族が――それにはドワーフやドラゴンも含まれる――我らに頼っている、と付け足すのも忘れなかった。謙虚なナリンさんにしては珍しく自慢げだ。

「送風装置!? すげえな! アタシもコンサートで暴風に吹かれながら歌ってみてえ! でもどんな仕組みなんだ? でっかい巨人や牛魔王が団扇で仰いでいたりする?」

 暴風に吹かれるのは主にMVの中で、コンサートではそこまで吹かさないだろ! とかそんな訳あるか! とか思ったが俺が口にしたのは別の言葉だった。

「ステフさ。一つの台詞の中で複数のボケを入れるの辞めてくんない? ツッコミが絞り込めない」

「いや悪い悪い~。ナリンちゃんもいるし大丈夫かなって?」

「暴風に吹かれて歌う、ですか? あと巨人は分かりますが牛魔王ってミノタウロス族と何か関係が?」

 ほらどっちかと言うと二人でつっこめるというかナリンさんにも説明する必要ができて二度手間どころか三度手間じゃないか。

「地球の歌手に風に吹かれてコートやマフラーを靡かせながら歌う人種が何名もいるんですよ。牛魔王ってのはこんな格好の魔物で……」

 その時。ナリンさんに画で説明しようと伸ばした手が滑って、メモ用紙の一つが舞い上がった。と同時に背後の方から風圧が押し寄せてそれを更に上空へ飛ばした。

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