第64話

 握手会場からはコンコースを抜けてスタジアムを出る順路になっていた。通路には握手会の興奮冷めやらぬファン達がまだ残り、所々で語り合ったり余韻に浸ったりしている。

「やばいやばいやばい」

 俺は小さく呟きながら出口を探して忙しく足を動かし続けた。幸い、似たようなテンションで何かを呟いているファン限界オタクが俺の他にも何人かいるのでさほど目立つ姿ではない。

「あ、ショーキチ殿!」

 なんと、向こうから同じく小走りで近づいてきたナリンさんと偶然、出会う事ができた。すぐさま合流し、通路を曲がる。

「ナリンさん! どうしたんですか、そんな急いで」

「ショーキチ殿こそ、追われていませんか?」

 二人して後ろを振り返ると、いつの間にかあの剥がし役のオークさん始め数人の警備員さんが俺たちを追って来ている。

「うわ、やばい!」

「お心当たりが?」

「ええ。ちょっと長話して名前を聞かれたんですけど、誤魔化し方を思いつかなくて逃げてしまったんです。そういうナリンさんは?」

 そう、オークさん達は俺「たち」を追っているような雰囲気なのだ。

「少し似ています。トレパーさん、私の見た目というか髪とか顔が気になるらしく、執拗に『ひけつ』とやらを聞いてきて……」

 ナリンさんは恥ずかしそうに言葉を濁した。ははーん、さては『美貌の秘訣』だな? トレパーさん、顔は可愛い系だが憧れはナリンさんみたいな、整った美人なのか?

「そうですか。参ったな、逃げ切れないか……」

 混乱を招きたくないのか、オークさん達はあからさまに声を出したり走ったりしていない。

「あのファン気になるから呼んできてくれない?」

みたいなお願いをされた程度だろう。

 一方の俺たちも、出口が分からないので完全に逃げてはいない。俺たちが駆け出した時が、本格的な攻防の始まりだ、きっと。

「あ! ショーキチ殿、こっちです!」

 角を曲がりつつ何かに気づいたナリンさんが変装に使っていた帽子と眼鏡をゴミ箱に捨てつつ、俺の手を引いてコンコースのベンチに座らせた。

「え、ナリンさん? どういう策……」

「私に任せて下さい!」

 そう言うとナリンさんは上着の前を開けて大きく胸をはだけつつ、俺の腰の上に真正面から座る。

「なななナリンさん!?」

「黙って下さい!」

 そう言うとナリンさんは有無を言わせず、俺の唇を自分の唇で塞いだ。

「(これは追われている男女が追っ手を撒く為に使う、いちゃついているカップルにみせかける必殺技映画とかでみるやつ! まさかナリンさんがこんなハリウッド映画みたいな手段を!?)」

 小走りによって上気し息も荒いナリンさんに唇と身体を押しつけられ、俺の脳は謎のポイントでぐるぐる回っていた。

「(口臭予防の小枝の効果、まだ効いてるっけ!?)」

「本当にこっちか? おっとブヒ!」

 思考回路はショート寸前な俺の元へオークさん達がやってきた。

「きゃ!」

 とっくに分かっていただろうナリンさんがだって純情どうしよう? といった演技でオークさん達に気づき、驚きの声をあげ恥じらいそっぽを向く。

「ブッヒッヒ。お邪魔したブヒ。ミラクルロマンスごゆっくり……」

 オークに求められる期待エロ漫画の悪役以上のものを発揮しつつ、警備員さんたちはナリンさんの胸元を眺め下卑た笑いを浮かべつつ別の廊下へ消える。

「あの、ナリンさん……」

「あ、すみません!」

 オークさん達が完全に消えたのを確認してから声をかけると、ナリンさんは素早く俺の上から降り服装を直した。

「ももももう大丈夫ですよね?」

「ええええ、行きましょうか」

 ナリンさんは顔を合わせないまま二、三歩進み、すっと後ろにいる俺の方へ手を差し出した。

「???」

 と思いながらもその手を掴むと、ナリンさんはずいずいと進んでいく。無言で50mほど歩くと出口が見つかり、俺たちは無事にスタジアムを脱出した。

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