第15話
メインスタンドの内部はまだ騒然としていた。興奮するエルフ側スタッフの歓声、試合運営担当らしきリザードマンやゴブリンの奮闘、破れたミノタウロス側スタッフの落胆。
そんな混沌の中、ダリオさんは時折訪れる関係者の祝福に笑顔で応えながらも歩みを止めず進んでいく。やがて、何階分か階段を登った所に目的地らしき部屋があった。
監督室、とナリンさんは言っていた筈だ。確かに机や椅子や黒板があり、フォーメーションや背番号が書かれたメモが乱雑に散らかっている。なんと、卓上にはスタジアムの巨大水晶球の小型版があり、インタビュアーに何か答えているナリンさんとカイヤさんの姿があった。中継まであるのかよ。
『翻訳の魔法をかけます』
ダリオさんは俺に椅子を勧め扉を閉めると、口と耳を指さして何か言った。
「あ、はい。どうぞ……」
その仕草で事情を察し、俺は立ったまま目を閉じ腕を広げる。今度はダリオさんとか……ドキドキ。
「どうですか? 理解できますか?」
唇と耳に細く柔らかい物が触れ、ダリオさんの言葉が意味を成すモノに変わった。
「あれ? 指? キスじゃなくて良いんですか?」
「あら? キスが必要ですか?」
知らない。いや、完全に理解した。アレはシャマーさん独自のやり方だな、おのれあの悪戯娘!
「いえ、たぶん俺の勘違……」
「動かないで下さい……ん」
ダリオさんは俺を抱きしめ、唇に唇を重ねる。俺の後頭部に回した手と吐息が色っぽい。微かに舌が俺の歯に触れ甘い柑橘系の匂いがした。
「今日の勝利のお礼です。……さて、ここからは大事な話を」
今の行為以上に大事な話なんてあるのか!?
「ナリンやカイヤとどういう話になっていたかは存じ上げませんが、貴方を正式にエルフ代表チームの監督として迎えたいと思います」
「あっ……そっすか」
「驚かないのですね。自信アリ、てことでしょうか?」
ダリオさんはゾクっとするような笑みを浮かべて言う。
「自信はないですけれど」
既にミノタウロスさんとドラゴン氏、二人というか二頭からそういう話をされているのだ。いい加減、俺にも方向性が見えてくる。
「もしかして既に何処かからオファーを受けていますか?」
「いや、アシスタントコーチですけれど。ミノタウロスの監督さんから『美女と迷宮を用意する』って。ジョークっぽいですよね?」
「げ! マジ? 最大のオファーじゃない、もう!」
驚いた。アレは本気の話だったのか。それとダリオさんの口調。
「普段の喋りはそんな感じなんすね」
「え? やだ、私としたことが……」
ダリオさんは気まずそうにテーブルの水差しに手を伸ばし、コップに一杯注いで飲む。
「美女と迷宮て本当にあるんですか?」
話を逸らそうと俺の方から問いかける。
「え? あっ、ええ。彼らは迷宮に住むのが一つのステータスなのです」
美女の方は教えてくれなかった。いや、別に大事じゃないし!
「まいりました。こちらもそれを上回るオファーを出さないと」
「ダリオさんの一存で決められるものなんですか?」
「ええ。私はエルフサッカードウ協会の会長です」
げ! マジ? 会長で監督で姫でキャプテンって……忙し過ぎじゃない? 労基に電話しようか?
「パパに頼んで宝物庫を開けますか……」
「いや、待って下さい! 普通で! ふつーで良いですよ」
エルフの宝物なんておっかなくて触りたくない。
「では受けてくださるのですか?」
「ええ。報酬は……普通の衣食住を確保してくれるだけで良いです」
実際、まだスタジアムから一歩も出てないのでこの世界やエルフの王国がどんな魔境かは分からないのだ。街の外は魔獣が跋扈する荒野で、俺には生計を立てる手段も身を守る術もないかもしれない。だったら衣食住をエルフさんに保証されるのが一番だ。
まあサッカーができて娯楽として観戦される程度には文明国っぽいけど。
「でもそれとは別に幾つか条件があります」
「聞きます」
「誤解があるみたいなんですけど、俺はサッカーに詳しい訳じゃないんです。DAZNやYOUTUBEで過去も現在の試合も観るしゲームもするけど。練習の指導なんて、とでもできそうにない」
途中、彼女には意味不明の単語が入ったが、ダリオさんは我慢強く聞いてくれている。
「だから、コーチを何人かつけて下さい。何なら俺の給料から回しても良い。俺が観てきた戦術や概念をコーチ達に伝える、それを実現する手段と練習をコーチ達が考えて選手に指導する。そういう形ならいけるかもです」
いけるかも? だからね!
「なるほど。言わば貴方が将軍で戦略を決め、参謀や千人隊長が具体的な戦術を考える……といった形ですね」
将軍……プラティニか。悪くはないな。
「俺の世界ではGM、総監督とも言いますね。練習環境を整えたり選手獲得を決めたりもしますが。欲張り過ぎですか?」
「いえ、正直助かります。全部、私が一人でやってきた部分ですので」
労基! 労基仕事して!
「じゃあいっその事お手伝い兼異世界の知識を時々入れ知恵マンだと思って雇って下さいよ」
可哀想過ぎて少し慰めるように言う。
「それは私たちのオファーを受ける、という意味で良いのですね?」
「はい。契約書はいま書きますか?」
「いいえ、それは王城で。でもここは握手で仮締結しましょう」
ダリオさんはにこっと笑って手を差し出す。俺も微笑みながら彼女の手を握った。
「目標は一部リーグ優勝ですか?」
「まさか。残念ながら今年と同じく残留が現実的な目標です。中位で成功、5位以内なら大成功です」
ずいぶんささやかな目標だな。3位のミノタウロスさんに勝ったのに。でも正直、それなら余裕で勝算アリだろう。他のチーム知らないけど。
DFにはぶっつけ本番でアレをやってのけた三名がいる。リーシャさんダリオさんも計算できるし、なにせ中盤にはあのカイヤさんがいる。高いテクニックと戦術理解度。彼女がいるなら、色んな戦術を試せるだろう。
「でも受けてくれて本当に良かったです。これでカイヤも安心してサンキューに入れるでしょう」
「はい? お礼が何か?」
ダリオさん、また口調が砕けたものになったか?
「そうですね、カイヤもお礼を言いたい筈です。有終の美を飾って、産休期間に入れるのですから」
「有終の美?」
「あら、ご存じでないのですか? 彼女、妊娠初期です。今季終了後から選手を一時引退する予定でしたが、大事をとってシーズン後半から試合に出てませんでした。でも最後に大仕事をしてくれました」
「妊娠……!?」
俺は水晶球に映るカイヤさんを見つめた。プレイヤー・オブ・ザ・マッチのトロフィーを受け取る彼女の顔には、溢れんばかりの喜びと……母性が滲み出している。
「ええ。あ、旦那さんです。素敵なカップルですよね」
水晶球にスタンドから身を乗り出して手を振るイケメンエルフ男性の姿が映る。
「そんな……騙された……」
こうして、DAZNとYOUTUBEとウイイレでしかサッカーを知らない俺が女子エルフ代表の監督に就任した訳だが……俺は就任直後に最も信頼できるゲームメイカーと、片想いのエルフを失ってしまった。
第一章:完
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