動乱は醜悪ゆえに -闘争と本能-
アルヴィーヌにこだわりなどはない。自分らしさも自身の気持ち次第で自由に形を変えるからだ。
今まで散々王女らしからぬ行動を続けていた彼女だがハルカが大怪我を負ったりリリーが手籠めにされそうになったりすると自分にはいつの間にか護るべきものが増えていたのだと気が付く。
なので今回は誰かに任せるのではなく自らがあの男を捕らえようと動いたのだ。あれを放置したらまた身の回りの誰かに危害を加えられかねないと考えて。
かなりの速度で東へと飛んでいたようだがアルヴィーヌが少し本気を出せばあっという間に追いつく。
回り込む形で通せんぼするとダクリバンは青ざめた顔で慌てて後ろを振り返った。しかしアルヴィーヌ1人だけだとわかると不思議そうな顔で尋ねてくる。
「うむっ?!・・・お、お前だけか?ヴァッツはどうした?」
どうした・・・どうしているのだろう?質問の意味もわからないし彼は空を飛べないのだ。今頃はショウやリリー達と楽しく歓談しているのかもしれない。
「さぁ?甥っ子の事より今は貴方。死なない程度に相手をするつもりだけど無抵抗で捕まってくれるのならよしよししてあげる。」
「甥っ子?!・・・そうか。やはり奴にも天族の血が・・・・・ふむむ。」
この大男を連れ帰って誰かしらに突き出せば皆が騒いでいた問題も解決するだろう。その場合妙な力を使って周囲の人間を操られないようしっかりと注意しておかねばならない。
(我ながらよく考えられた作戦・・・うふふふ。)
もしかすると左宰相のショウくらい切れているのではないだろうか?あまり考えた事はないが大手柄というやつになるのではないだろうか?この一件で今までやってなかった(やるつもりもない)国務を帳消し出来るほどの功績として皆に認められるのではないだろうか?
滅多に褒められる機会のないアルヴィーヌが笑みを浮かべて皮算用を始めるとダクリバンの方もこちらの下心を見抜いたのか少し安心した様子を見せる。
「・・・では少しだけ抵抗させてもらおうか。まずはお前がどの程度の天族か見極めてやるっ!!」
そう言って腰の刀を抜いたダクリバンが鬼のような形相を向けると真っ直ぐに飛び込んできた。巨体とは思えぬ素早い動きが出来るのは流石天人族といったところか。
並の相手ならその一刀で命を断ち斬られたかもしれないが運が悪い事に彼が襲い掛かっているのはアルヴィーヌだ。
目で捉える事すら難しい速さをじっくりと眺めていたのは魔術を展開するか無手で引っ叩くかを迷っただけで反応出来なかった訳ではない。
ぴっ!
悩んだ結果ヴァッツがやったように右手でその刀身を摘まんでみた。年単位で自身の体を使って戦う事を避けていた為まずは簡単な動作から始めようと決めたのだ。
「んぬぅっ?!」
ダクリバンは先程と同じように驚いた表情を浮かべていたが今度はその刃を無理矢理押し通そうと力を込めている。
みきっみみみみみんっ・・・
すると刀身が中から裂け始めて妙な異音が耳に届いた。想像を超える力を掛けられた為に刀がへばってしまったらしい。と、ここで経験の差が出る。
使い物にならなくなった刀から手を離したダクリバンはすぐさま右側に回り込んで大木のような足で蹴りを放ってきたのだ。
未だ摘まみっぱなしだったアルヴィーヌはその腹部が隙だらけだった為彼はそこに狙いを定めたらしい。実力が近ければ有効打になっていたかもしれないが相手は天界の王セイラムの子だ。
ぱしぃっん!
刀を放して最小限の動きで手の平を広げるとまるで息を合わせたかのように足の甲が収まった。ここまでの情報から相当な力量差が窺えるはずなのだがダクリバンは止める事無く拳と蹴りを放ち続ける。
しかしこれはこれでアルヴィーヌとしても有難い。何せ自身の体を使っての本格的な戦いだ。カズキの時と違って相手に遠慮がいらないのも素晴らしい。最悪殺してしまっても誰からも文句は言われないのも好都合である。
一方的に繰り出される攻撃を躱し、受ける事で体の動かし方を思い出すアルヴィーヌ。時折翼や長い銀の髪が風圧で舞い上がりはするものの天人族の攻撃が彼女の体に触れる事は一切無く1分程が経った。
「はぁっはぁっ!!さ、流石ヴァッツの叔母だなっ?!」
息を切らしてこちらに賛辞を贈るもそれでも負けを認める気はないようだ。
というか強い力を保有している割にはばてるのが早すぎる。これは研鑽を怠って来たものの顕著な症状だ。持久力というものは日々の積み重ねから鍛え上げ、そして維持するものであり筋力とは別なのだ。
当然これは彼女にも当てはまる案件だが幸い相手は格下である為アルヴィーヌが息を切らす場面にはなりそうもない。
(そろそろ飽きてきたな。こっちからの攻撃も試しておこう。)
まだ相手が元気なうちにと心に決めたアルヴィーヌは今まで脱力していた右手に力を込めて大振りになっていた攻撃を躱した後、懐に勢いよく飛び込むとその拳を突き出す。
だが彼女の拳が届く前に自身の背中には大きな刀傷が走り、真っ白な美しい翼には朱の華が咲き乱れていた。
今まで感じたことのない痛みと傷を負って思わず固まってしまうアルヴィーヌ。これもまた実戦未経験ゆえの弊害だろう。
「もらったぁっ!!」
そして怠惰な生活を送っていたであろうダクリバンも勝負の嗅覚は鈍っていないらしい。目に見えて致命傷を負ったアルヴィーヌに止めを刺すが如く本気の拳を突き出してくる。
「うざい。」
しかし面倒臭そうな一言と共に中空で直立不動のまま軽く腕を回した動きは突進の力を絡め取ってしまう。彼の体は自分の意思で制御出来ないほどのきりもみ状態から勢い良く地面へ叩きつけられると動かなくなった。
ただアルヴィーヌにもはや余裕はなく、下手に動くと背中の傷が開いてしまう為体幹を一切動かす事無く周囲をくるりと見やる。
(・・・何も無い・・・)
ずぶぉっ・・・!!
何もないはずだった。少なくとも彼女の五感で何かを捕らえる事は出来なかった。なのにまたも追撃がアルヴィーヌを襲う。
見れば右腹部に何かしらの刺し傷が入っている。それも一瞬でいつ、誰が、どういった武器で攻撃してきたのか全くわからなかった。唯一理解出来ている事といえばこのままだと自分は倒れてしまう、最悪死んでしまうのかもしれないという事だけだ。
(わからないのなら・・・仕方ない。)
アルヴィーヌは無手で戦う事を諦めると右手に魔術用の杖を顕現してすぐに自身を巨大な炎の魔術で包み込んだ。少なくともこれで訳の分からない攻撃から身を護れるはずだ。慣れない痛みの中必死で導き出した答えだったが・・・
びしゃんっ!!
自分の体を包み込んでいた火球が縦に切断される。と、同時にその方向へ左の拳を突き出した。魔術はあくまできっかけを作るための展開であり、事実火球を放つより自身の手足を伸ばした方が速いし強いのだ。
だが自身の視界には何も捉えられない。何かしらがそこにいて鋭利な凶器を手にアルヴィーヌを襲っているのは間違いないはずなのに。
それでも放った拳から僅かに存在は感じ取れた。恐らく衣類とほんの少し相手の体に触れる事が出来た気はする。
(・・・人なのかな?完全に見えなくなるのって凄いな・・・魔術かな?)
満身創痍なのにも関わらず初めての実戦を楽しんでいるアルヴィーヌはやはり生粋の天族らしい。赤い目を激しく輝かせると今度こそ相手を見極めるべく無数の火球を全方位に展開して鳴子のように仕掛ける。
隙間なく埋め尽くして拡張しながらも更に彼女自身が四方八方へと飛び回るのだ。相手がこちらの命を狙っているのならまだ近くにいるはずなのだが展開している火球には反応がない。
再度動きを止めて周囲を伺っても何もわからない。そこで今度は全てを収束させてゆっくりと地上へ降り始める。
ほんの数秒だ。数秒だけわざと隙をみせてみた。
もちろんこのままではまた訳も分からず攻撃を貰ってしまうだろう。実戦経験がなくともそれくらいはわかるし彼女自身決して頭が悪い訳ではない。
そろそろ攻撃が来てもおかしくない。その瞬間を狙って再度数千の火球を一気に展開すると自身の左下に何かしらが当たった感触を得た。
一瞬で半径10間(約18m)を超える魔術の鳴子を今度は攻撃として反応のあった部分に撃ち放つと自身もその正体不明の敵に向かって突っ込んでいく。
いくつかの火球が当たっているはずなのに相変わらず何も見えないのが不思議で仕方ないが誰かがいるのは間違いないのだ。
そして火球からの感触と己の勘を頼りに左の拳と蹴りを放つとアルヴィーヌはついに見えない相手を捉える。
当たったらしい場所を中心に更なる火球を展開して見えざる敵を囲い込むアルヴィーヌ。
そこに自身の翼を思い切りはためかせて滴り落ちていた血を放ってみたが着弾と同時に赤い血が姿を消していくのには驚いた。
「へぇ~。どうやってるのかわからないけどすごいね?」
それでも相手の位置に当たりがついているからかアルヴィーヌに焦りはない。本気で感心しながら蹴りを放ちつつ動きを封じるために左手でその体を掴みにいく。
ざしゅっ!!
目に見えてはいないが相手は確かに鋭利な武器を持っているようだ。それが手首に食い込んだので力を込めて刃を抜けないように試すが相手の力量も相当なものらしく一瞬で抜き取られる。
ただ、そのおかげでより正確な位置を掴んだアルヴィーヌは凄まじい勢いの蹴りで攻撃を組み立てていく。
2人の高度は木々の頂点辺りにまで下がっており彼女が激しく足を放つ度に風圧と衝撃でそれらがめきめきと音を立てながら折れて吹っ飛ぶが目に映らない相手への致命打を与える事は出来ていない。
(不味いな・・・これ以上は私の体が・・・)
背中を大きく斬り裂かれ腹部にも重傷を負っている。更に左手の手首にも大きな傷が走っており正に満身創痍なアルヴィーヌはその不利を悟ると一瞬で決断した。
見えない相手の姿を捉えるべく周囲に展開していた火球全てを倍以上に巨大化させると敵がいるであろう中心へ一斉に放つ。
それらに紛れるように本人も全力で突っ込むと敵の背後を取るべく大きく右回りで迂回してから思いっきり抱きついた。
「お、やった。」
正直何をどう抱きしめているのかはわからないが何かしらの感触を感じたアルヴィーヌは思わず声を上げて喜ぶ。同時に自身の腹部にまたも鋭い痛みと刺し傷が走ったので強引に地面へと急降下した。
ずしぃん・・・っ!!!
全力で真下に飛ぶなど初めての経験だったが何とか正体の分からない敵を思い切り叩きつける事が出来たらしい。
それでも未だに相手の様子が全く分からない為手探りで馬乗り状態へと移行すると右手の杖を手放して思い切り真下へ全力の拳を振り下ろしてみる。
ばちぃぃぃん!!
流石に相手も反撃するだけの余裕はなかったらしく恐らく両手だろうか?その手の平で彼女の拳を受け切ったのだから大したものだ。
過去に怒りのまま妹の両手を軽く振るっただけでその両腕が吹き飛んでしまった。比類なきアルヴィーヌの力を両手とはいえ相手は凌いだのだから。
「お、おのれ・・・何という力だ・・・」
幼さの残る声が恨めしそうに漏れた事で少しずつ敵の姿が見えてきた。先程体を抱きしめた時に何となく性別くらいは予想出来たが相手は自分よりもやや年上の少女らしい。
「お?やっと見えた。貴女お名前は?」
「・・・貴様などに名乗る名は持ち合わせておらん。」
身に着けている黒い外套は大きく乱れ、黒い肌と乱れた灰色の髪を見せた少女はこちらを睨みつけてくるが既に形勢は逆転している。体中に痛みは走るもののアルヴィーヌが更に力を籠めれば馬乗りされている少女の命は粉砕されるだろう。
その可愛らしい姿にほんの少しだけ心が動いたがこの敵を解き放てば自分以外が殺されるかもしれない。そう考えると彼女は全身に力を込めてその右拳で押しつぶそうとする。
「おーい!!アルヴィーヌーーー!!!」
そこに全く緊張感のない声が届いてきた事で2人の少女はその声の方へと視線を向けた。
見ると『ジグラト』の方向から木々が地面に根を張ったままひとりでに動いて即興の道を拓く。そこを甥っ子が駆け抜けてきたので少女達は一瞬だけ戦いを忘れていた。
「ってあれ?!ティナマじゃん!アルヴィーヌ大怪我してるし?!2人で何してるの?!?!」
こちらを見て慌てたヴァッツは何故かこの少女を知っていたらしく名前を明かしてくれる。しかしアルヴィーヌの記憶にはない名前だ。
「この子に襲われた。なのでここで倒し切ろうとしている最中。」
今でこそ馬乗り状態で最後の一撃を放つ所だがこの流れを掴むまでに相当な苦労をしたアルヴィーヌは淡々と説明する。
相手の素性はわからないが自身を襲ってきただけでなくかなりの力を持つティナマという少女。これは絶対に倒し切っておかねばと天族の勘が訴えてくるのだ。
「うぐぐ・・・む、無念だ・・・せめてヴァッツにやられるのならまだ・・・」
一瞬でその拳が首元まで降りてくると死を悟ったティナマが悔しそうにそう言い残す。しかし満身創痍のアルヴィーヌもこれ以上ティナマという少女に干渉を続ける余裕はない。
彼女が何故ヴァッツの事を知っているかなんて後から尋ねればいいだけだ。そう思って情け容赦なくすべての力を込めた瞬間。
「・・・ヴァーーーッツ。貴方いい加減にしないと本気で怒るよ?」
アルヴィーヌの右手首を軽くつかんだだけでこちらの全力が止められた意味も含めて怒りを向ける。彼の性格は優しさだけでなく甘さが多分に含まれている為リリーやハルカを襲ったラカンという人間すら殺さなかなった。
この甥っ子はいつになればそれに気が付くのだろう?敵に情けを掛ける行為。それは自身の身の回りに危険を振りまくだけに過ぎないというのに。
「ええええ?!だってこの喧嘩はアルヴィーヌの勝ちでしょ?それ以上やったらティナマ死んじゃうよ?」
「いや。殺そうとしてるの。止めを刺すの。じゃないとまたハルカやリリーや他の友達が危ない目に合うから。わかる?」
「えええええええ?!そ、そうなの?!」
どうもヴァッツはティナマを敵として認識していないらしい。こちらがこっぴどくやられているのには目が行っていないのだろうか?それとも叔母である自分よりティナマとかいう少女の方が大事だとでも言いたいのか?
「・・・そうだ。元服の儀で直接確かめた結果、我々『七神』はまずお前の周りにある戦力を削る事を決めた。」
馬乗りの下で静かに語り出すティナマの発言を聞いて思わず口元がにやついてしまう。内容は決して喜ぶべきものではないにしてもアルヴィーヌの考えが正しかったからだ。
「ほら。この子を逃がしたら危ない。だから今ここで殺す。」
わかったらその手を放してと言うまでもない。彼も『トリスト』を護る大将軍であり自分の友人や仲間は大切なはずだ。
なのにいくら経ってもアルヴィーヌの手首を掴んだままなのでもう1回きつく睨みつけるとヴァッツはティナマを見つめながら何かを考え込んでいる。
「それって止めてって言ったら止めてもらえる?」
「・・・・・我が甥っ子ながら本当に底抜けのお人好し・・・・・」
「無駄だ。配下達には既に命令を下してある。」
そりゃそうでしょう。アルヴィーヌは進展しないやりとりとヴァッツの蜂蜜漬けされた思考にいらいらが止まらなかったがここでやっと彼は行動を見せた。
「・・・わかった。じゃあ殺すっていうのは無しにして、ラカンと同じでその力を奪っちゃうね。」
そう言った後ヴァッツはアルヴィーヌの手首を放すとその右手を彼女の顔に向かって広げた。
一瞬。
アルヴィーヌの感覚をしても一瞬しか感じられなかったが何かしらの力をヴァッツが使ったらしい。すると自身の拳を受け止めていた力ががくんと無くなった。
ほぼ無抵抗にまで力を抜いているのを不思議に感じた彼女は一瞬だけそれに力を入れると、
「うあっ?!?!」
先程までの余裕がある態度と違って本気で恐怖した声がティナマから漏れてきた。
「アルヴィーヌ、放してあげて。もうティナマには何の力も残ってないから」
不思議な事を言ってくる甥っ子に訝しげな表情を向けるも現在下敷きにしている少女の様子は確かにおかしい。
(そういえばラカンだっけ?あれの力も全部奪ったような話は聞いた事がある。)
少し悩みはしたもののもし言っている事が嘘なら一生自分の召使いのように使ってやる。そう勝手に決めたアルヴィーヌはゆっくりと腰を上げてティナマの動向を探る。
相手も驚いた表情を浮かべてしばらくは動かなかったがやがてこちらの顔を交互に見やると静かに立ち上がった。
そして少し離れた場所に落ちていた自身の武器を拾おうとした時に体が大きく揺れる。アルヴィーヌが全力で地面に叩きつけたのだ。目に見えていないだけで相当な傷を負っているのかもしれない。
(・・・今なら倒せるのに・・・)
再び沸き上がる闘争本能が自身の負う怪我の痛みを吹き飛ばして頭の中が沸騰し始める。そうなのだ。例えこのティナマという少女の力を奪った所で彼女が無力化したわけではない。
現に『リングストン』のラカンは別の方法でリリーに危害を加えようとしたじゃないか。思考が本質に到着した瞬間アルヴィーヌは再び敵を屠ろうと拳を作り襲い掛かろうとするもまたヴァッツの手によってその動きは止められた。
「もう!アルヴィーヌってそんなに短気だったの?!」
言われたことのない言葉に一瞬ぽかんとするもこれはそういう問題ではない。しかし振りほどこうとしても彼の腕はびくともしない。
「わらわを解き放つその判断、後ほど大いに悔やむがよい。」
・・・・・
(あれ?)
最初に聞いた声と聞こえ方が違ったので違和感を覚えたアルヴィーヌ。確かもっと声質がぼやけていて聞き取りにくかったはずなのに今は地声だろうか。しっかりと可愛らしい声が耳に届いてくる。
更におかしな行動をとり始めたのはそのすぐ後だ。こちらを凝視しながらゆっくりと左に移動していく。それを目で追うととても驚いているのだ。
そこから今度は右に動くのでこの人は何をしているんだろう?といった目を向けているとティナマの表情はいよいよ焦りでいっぱいになってくる。
「ダクリバン!!ダクリバンはどこだっ?!」
しまいには先程邪魔だった為に叩き落とした大男の名を必死で呼び始めた。今更あんなお荷物を呼びつけてどうしようというのだろう?
案の定ダクリバンからの返事はなくいよいよ茫然自失といった様子を見せるティナマに段々と腹が立ってきた。
「あの大きな人はいいからさっさと目の前から消えて欲しい。私は貴女を消し去りたいに我慢してるの。わかる?」
アルヴィーヌも相当な強者だ。そんな彼女が甥っ子に止められて仕方なく妥協したというのに相手は一向に飛び立つ気配はなくむしろ素人くさい動きで挑発しているのかとさえ思えてくる。
それでもこちらを睨んできた後木々が折れて倒れての荒野に足を踏み入れてダクリバンとやらを探し出そうとしていた。そんなに大事な配下なのかと不思議で仕方なかったがその答えは甥っ子が握っていたようだ。
「あ。そっか。全部消しちゃったからティナマ飛べないんだよ。だからダクリバンに連れて帰ってもらおうとしてるんだ。」
衝撃の発言に当事者はびくりと体を震わせて動かなくなった。その様子から全てを納得したアルヴィーヌは同時に悪知恵が思い浮かぶ。
「そうなんだ。じゃあヴァッツ、あの子『トリスト』に連れて帰ろう。」
「え?!なんで?!」
「力を奪ってもやる奴はやってくる。実際ラカンの力を奪ってもリリーが危険に晒されたでしょ?元を辿ればあれはしっかり止めを刺さなかった貴方のせい。今回も同じ事。ここで殺すなっていうのなら悪さをしないように『トリスト』で繋ぎ止めておく。いい?」
「えぇぇ・・・うーん。でもそう言われるとそうかもしれない・・・うん。わかった。」
穢れなき少年の心を持ったヴァッツはこちらの話を素直に聞き届けてくれる。これはラカンを生かしたままだったという自責の念もあったのかもしれない。
「でも『トリスト』でも酷い事しちゃ駄目だよ?もうティナマは戦えないんだから。」
「わかってるわかってる。さて、問題は・・・」
2人が勝手にどんどん話を進めてる間にティナマは必死で逃げていたが見た目通りの少女に成り下がった彼女は荒野に足を取られて上手く走れていない。それでも森の中へ入られたら探し出すのが面倒になるので。
ぶふぉんっ!!!
翼を怪我しているにも関わらずアルヴィーヌは一足飛びで彼女の真上まで飛んでいくとしっかりと体を掴んでヴァッツの元へ戻ってきた。
「今の状態だと2人を抱えて飛ぶのは無理。だからヴァッツ、『ヤミヲ』に頼んで『トリスト』まで移動出来ない?」
「ちょっと待ってね・・・うん。もうクレイスも大丈夫みたいだしいいよ!」
あちらの状況はさっぱりわからないが『闇を統べる者』が直接力を使う為に出張っていた用事も済んだらしい。
ヴァッツが快く返事をした次の瞬間、3人がアルヴィーヌの部屋へと移動を完了していた事でティナマだけは目を白黒させていた。
それからすぐに気配を感じて駆けつけたのが御世話役であるハイジヴラムだ。ただ御世話すべき相手が怪我だらけだった事に仮面の外からでもわかるほど狼狽していた。
「ア、ア、アル、アルヴィーヌ様っ?!そ、その御怪我はっ?!?!」
「ちょっと色々あって。それよりハイジ、この娘をヴァッツの部屋に連れて行って。かなり強いからレドラと一緒に見張ってて欲しい。」
御世話役としてはそんな事よりまずはアルヴィーヌの手当をとわたわたしていたがティナマやハイジヴラムがこの場にいるとルルーに頼めないのだ。
「あ、そっか。ル・・・むぐっ?!」
なのにこの甥っ子ときたら何も考えず友人の名を出そうとしたので慌てて口を押さえる。『七神』の関係者がいる前でルルーの力について情報を漏らしたりしたらリリーに申し訳が立たない。
(後でしっかりと叱らないと。)
叔母の立場として心の中でそう呟くとハイジヴラムも渋々納得してティナマについてくるよう促しつつ部屋を後にした。
「全く。敵の前でルルーの名前を出しちゃ駄目でしょ!でもその考えは正しい。ちょっとルーも呼んできてもらえる?」
2人きりになってからまずは彼の軽率な口を諫めつつ自身の傷を治してもらおうとお願いすると一瞬でルルーが姿を現した。
「・・・あのねヴァッツ君。女の子には色々と事情ってものがあるの。もしお手洗いとか湯浴みの最中だったらどうするの?」
そして開口一番、彼女はまるで姉を諫めるかの如くヴァッツを責め立てる。ルルーは戦う力こそ持ち合わせてはいないが常識と『闇を統べる者』の力を微塵も恐れない度量は相当なものだ。
しかし今回はアルヴィーヌが頼んだ事なのでヴァッツもたじろぎはしつつすぐにこちらへと顔を向ける。
「い、いや。だってアルヴィーヌが怪我をしてるからさ。すぐに呼んだ方がいいかなって・・・」
「ごめんルー。」
彼女は怒ると結構怖い。なので矛先が向いた瞬間に謝罪を述べるとルルーはアルヴィーヌの姿を見て仰天する。
「ちょっと?!アルちゃんその傷どうしたの?!」
背中の翼がもげかかっており大きな刀傷によって朱に染まっているのと腹部への刺し傷は2箇所、左手首も深い傷が走っていて絵にかいたような満身創痍の状態だ。
それからすぐに駆け寄ってくると両手を傷口近くに向けて『緑紅』の力を解放し始めた。話が早いとはまさにこの事だろう。
初めての大怪我と友人の治癒。それらを感じつつ今まで張り詰めていた気が途端に緩みだすと痛みからか、立っているのすら辛くなってきた。
(でも大丈夫。ルーがあっという間に治してくれるから。)
それまでの辛抱だ。自分に言い聞かせてそれが終わるのを静かに待つ2人。だが・・・
「・・・な、なんで・・・何でなの・・・??」
泣きそうな声が気になって彼女の顔を見てみるとそこには絶望のような表情を浮かべたルルーが両手をかざしたまま僅かに震えていた。
「ど、どうしたの?!」
ヴァッツが慌てた様子で尋ねるとルルーは顔を真っ白にしながら小声で答える。
「『緑紅』の力が届かないの・・・治せないの・・・何で・・・今までこんな事なかったのに・・・」
「そっか。じゃあ明日まで寝るから起こさないでね。」
少し残念だったがそれを聞いたアルヴィーヌは簡単に割り切ると自身の寝具へ向かおうとした。
「えっ?!だ、駄目だよ!!その傷じゃ明日までなんて・・・っ!」
慌ててこちらの前に周りこんでくるルルー。その傷の深さから早く手当てをしなければならないという焦燥感は伝わってくるも治癒が通らないのであれば仕方がない。
「私は『天族』だからどんな傷でも夜の零時を過ぎれば治る。」
『天族』が故に『緑紅』の癒しが通らないのかもしれない。そういった憶測も説明したかったがアルヴィーヌは既に限界を超えている。
とにかく脱力したい。身を投げ出して休みたい。命の危険といった問題はわからないが今は休息が欲しかったのだ。
「・・・わ、わかった!じゃあせめて手当てだけはさせて!!」
何かを決意したルルーは急いで隣の部屋から大きな木箱を手に戻ってくると中から包帯と瓶に入った薬を取り出す。
「ヴァッツ君!水を沢山持ってきて!!」
続いて大将軍を顎で使うルルーに驚愕していると甥っ子も彼女の命令を素直に従って駆け足で大きな水瓶をそのまま持ってきた。
「アルちゃん、翼って引っ込められる?」
「うん・・・」
言われるまで自身がずっと戦闘態勢だった事に気がつけなかった。それくらい気が張っていたアルヴィーヌはいつもの姿に戻ると背中の傷がよりくっきりと見えるようになる。
ただこのまま手当てという訳にはいかない。血液が凝固して傷口に張り付いてしまっている衣服、それらを取り除かねば包帯すら巻けないはずだ。
「ヴァッツ君!アルちゃんの服全部、アルちゃんが痛くないように、一瞬で、全てを剥ぎ取って!!」
気合の入った命令だが内容はとても酷い。一瞬友人の正気を疑ったが素直なヴァッツは考える前に実行するとアルヴィーヌの衣服が見事に弾け飛んだ。
痛みはもちろん服がなくなった事にすら気が付かないほど完璧な手腕であったが背中を向けているとはいえ甥っ子の前で全裸にされた事実はアルヴィーヌといえど少し気恥ずかしい。
「まず体をきれいにします!!ヴァッツ君、これでアルちゃんの体を拭いてあげて!!優しくだよ?!」
「はいっ!!」
元気な返事は大変結構だがせめてそこはルルーにしてもらいたいな・・・僅かな乙女心がそちらに視線を向けさせると彼女は何か軟膏らしきものを製作している。
(じゃあ・・・仕方ない・・・)
痛みと疲れから深く考える事をやめたアルヴィーヌはその体をヴァッツに預ける。するとどうだろう。
傷の痛みが和らぐ感覚と心に暖かいそよ風が吹いてくるようだ。大きく逞しく、そして柔らかな彼の掌が体に触れる事に羞恥心は働かず、むしろずっと触っていて欲しいとすら願ってしまう。
今まで感じた事のない経験に意識が朦朧から恍惚へと変化していたのにも気が付かず時間が一瞬で流れると今度は傷口にルルーが作った軟膏が襲ってきた。
「ひっ・・・たぃ・・・」
いきなり現実的な痛みが襲ってきて思わず涙目になるも彼女は残りの傷口である腹部と左手首にもそれを盛るように乗せると大きな包帯でぐるぐる巻きにしていく。
「はい終わり!!ヴァッツ君!!アルちゃんを寝かせてあげて!!」
「はいっ!!!」
失った衣服の代わりに包帯でその身を包む事になったアルヴィーヌはヴァッツにふわりと持ち上げられるとそのまま寝具の上まで運ばれた。
ただ大きな傷が背中にある為仰向けで横になる訳にもいかず、更にルルーがこちらの体をぺたぺたと触って少し考え出す。
「アルちゃんの話を信じない訳じゃないけど・・・ヴァッツ君、アルちゃんを上に乗せる感じで一緒に寝ててもらえる?衣服は出来るだけ脱いで直接お肌で暖めてあげてほしいの。」
「はいっ!!!」
ヴァッツはその指示に難色や疑問を浮かべる事無く一瞬で自身の衣服を脱ぎ捨てるとアルヴィーヌを前から包み込むように抱きしめ直して寝具へぽーんと身を投げる。
こうする事で彼女の背中は真上に向いて傷口を圧迫から回避出来るし、下敷きとなっているヴァッツが暖を与える役目も果たせるのだ。あとは頭の位置をヴァッツの隣になるよう体をずらして大きくて柔らかな枕を共有すれば極上の人力医療寝具が完成する。
「これでよしっ!じゃあ私はご飯の準備があるし一度帰るね。詳しい話は傷が治ったら聞かせてよね?」
2人の上から布団をかけた後全てをやりきった表情のルルーは手をひらひらと振って部屋を後にした。
頼んだのはこちらとはいえ流石に少し気まずかったアルヴィーヌだがそれ以上に血液を失っていた事と傷の痛み、それらを緩和させてくるヴァッツのぬくもりに挟まれると意識は恍惚から幸福感へと変化し、気が付けば深夜零時を超えていた。
一瞬で体が発光すると負っていた傷が全て快復する。『天族』の力を知ってはいたものの自身が経験するのは初めてだった為内心はとても不安だった。
それを和らげる為なのか敷布団のようになって暖と幸福感を与え続けてくれていた甥っ子は零時が来るまでの間、彼女の頭も撫でてくれていたのだ。
「ありがとう。傷は治ったみたい。」
耳元でそう囁くとヴァッツも静かに顔を向けてきたのでお互いの冷たい鼻先が軽く触れ合う。
春にはまだ少し届かない厳冬の真夜中、暖炉に火は熾っているもののその室温は肌寒さを感じるはずなのにアルヴィーヌの体は非常に温かい。
「そっか。よかった。」
ヴァッツの役目は終わったはずだがこの温かさを手放したくないアルヴィーヌは少しだけ体を強張らせて両手にも力を入れる。
しかし鈍感な甥っ子がこちらの意思を汲み取ってくれるかは怪しい。かといって夜明けまでこのままでいて欲しいと言うのは照れ臭い。
「私ね、4歳の時イルと姉妹喧嘩をしたの。もう理由は覚えていないんだけどね。」
気が付けば自身の身の上話を始めていた。先日カズキがこの話題に触れた為時雨や父に今の気持ちを含めて説明はしたものの肝心な部分は隠したままだった。
それを聞いて欲しい訳ではないのだがこの状況を手放したくなかったせいか自然と口から漏れたのだ。
「手を出したり・・・暴力を振るうつもりはなかった。でもイルが私の両手首を掴んだからいらっとしてそれを振り払った。それだけなのにイルの両手は肘から下が捻じ切れたの。」
・・・・・
「一瞬だけ驚いて、その次に恐怖で顔を引きつらせて、最後は大声で泣いていた・・・周りも必死に手当てをしようとしてたけどもう形すら残ってなかったから・・・
あの時皆はイルの事ばかり考えてたけど私・・・私も凄く怖かった・・・だって妹の手が無くなったんだよ?血も一杯出て、骨も見えてて・・・」
気が付けば自身の瞳は大粒の涙が溢れており、ヴァッツは無言で頭を撫で続けている。
「・・・本当に怖かった・・・今まで普通に生活していたはずなのに・・・私が少し怒っただけでそれが全部無くなっちゃう。そう考えたら何もかもが怖くなって・・・でも、今は護りたい友達がたくさん出来たの。」
・・・・・
「だから私、この普通じゃない力を使ってでも皆を護りたい。でももう二度とあんな怖いのは嫌なの。ねぇヴァッツ、これってやっぱり我侭なのかな?」
「そんな事ないよ。アルヴィーヌはとっても優しいんだね。」
周囲の人間はずっとアルヴィーヌに対して強い力を持つ存在としか認識してこなかった。結果彼女の自由奔放且つ我侭を看過してきたし自身もそれに甘えてきた。
実の妹を手にかけた事も深く反省し、だからこそ力を振るう事を放棄したように見えていただろうがそうではない。彼女はただ自身の力を誰よりも恐れていただけなのだ。
今その忌むべき力に再度手を伸ばしたのも護りたい友人達が出来てしまった為、もはや迷っていられなくなった為の選択だったが決して過去の恐怖を克服したわけではない。
「わかった。オレもアルヴィーヌを全力で護るよ。その力を使わないで済むように。何ならその力を消しちゃってもいいし。」
こういう時のヴァッツは強い。一切の不安を見せる事無くその全てを包み込むような大きい事を言ってのけるのだ。しかし力を消すという発言は聞く者によっては心身を震え上がらせるだろう。
だがアルヴィーヌは少しだけ考え込んだ後、
「そうね。もし皆に危険が及ばなくなったら私の力も消してほしい。約束ね?」
そういう平和な世界が訪れたらその時は、と願っての言葉だったがすぐに自身の容姿について思い出す。
(・・・銀の髪だけは残してほしい・・・やっぱり我侭かな?)
父にも言えなかった悩みを打ち明けた事ですっと心が軽くなったのを感じつつ、アルヴィーヌはほんの少しの葛藤だけを残したまま安らかな眠りについていった。
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