芽生え -暗殺契約-

 ヴァッツ達が里帰りをしていた頃、『ネ=ウィン』から『アデルハイド』に一通の報せが送られてきた。

内容は『トリスト』にいるであろう『暗闇夜天』のハルカに話があるというものだ。

スラヴォフィルが彼らを専属という名目で縛り付けてしまおうと画策していた所へ思わぬ邪魔が入った形となる。

「うーむ・・・・・」

無視を決め込んでもよかったが『ネ=ウィン』も馬鹿ではない。話を多方面に流して彼女以外の所から接触を試みるだろうしそうなると余計な混乱を招く恐れがある。


今回『羅刹』が『暗闇夜天』を取り込もうと思った理由は戦力増強の他に『緑紅』の件も絡んでいた。

ハルカはルルーの秘密を知っており『緑紅』姉妹と仲が良く更に自身の娘達とも良好な関係を築き上げている。

それらも考慮して無理矢理な形で口止めをするより、その一族ごと引き込んでしまおうと考えた結果だったわけだ。

ただ、ハルカは幼いながらも芯の通った少女で『暗闇夜天』の事を何よりも考えている。そんな彼女にこの話をしてしまった時に思わず後悔したものだ。


大事な友人達と一族を両天秤に掛けるという提案。


『トリスト』への編入が決まれば他からの仕事とは手を切ってもらわねばならないし収入は安定こそすれど激減する。

その辺りへの理解も浅かった事から契約を締結に持ち込めずにいたスラヴォフィル。そこにきて『ネ=ウィン』からの横槍。

「国力を増やすというのも中々大変じゃな・・・・・」

断り続けてもいずれ彼らの耳に届くだろう。ならばその前にこちらから先手を打つべきは明白だ。

決断したスラヴォフィルは彼女の上官となっているヴァッツといざという時の輸送役アルヴィーヌに時雨を付けて『ネ=ウィン』での会談に臨むよう命令を下したのだった。




里帰りから戻った一行と共に『ネ=ウィン』での用件を聞いて来いという話がハルカに届いた時。

あれ?別の仕事も受けていいんだ?これが率直な感想だった。

正直契約など結ばなくてもリリー姉妹や王女姉妹が悲しむ仕事は絶対に取らないと心に誓っていたので

『トリスト』に所属したまま他の依頼を受けるという点だけで契約に至らなかった為、この話を聞いたときは国王が折れてくれたのだと思っていた。

一つだけ不満があるとすれば、

「何で貴方と一緒なのよ・・・」

久しぶりに登城したハルカは主であるヴァッツの部屋に通されてレドラの入れた美味しいお茶を頂きながらも真っ直ぐな不満を口にする。

過去の過ちからヴァッツの従者になっている事を忘れたかのような発言に時雨が眉を顰めていたが、

「え?私が一緒じゃ駄目だった?」

「うううん。アルは大歓迎!!」

勘違いしたアルヴィーヌが驚愕の表情を浮かべていたので即座に否定しつつお詫びと喜びの気持ちを込めて抱擁を交わす。

「いい加減にしろ!」

「あたたた!!」

その後隣にいた少年にわざとらしい視線を向けたのだがこれが第一位従者の怒りを買ってしまい時雨が背後に回ると両拳で頭を挟んで王女から引っぺがされた。

正直この従者は感情に流されすぎだと思うのだが誰か咎めないのだろうか?それとも自分が素直に思った事を口に出しすぎてるのが原因か?

一人で勝手に思考の渦に陥っていると、

「『ネ=ウィン』ですか。最近ですと死刑囚と共に逃げ出した将軍が話題になっていましたね。」

レドラがお茶菓子を小さな円卓にそっと用意しながら話題を切り替えてくれた。

これはハルカの耳にも届いている。確かセンフィスとかいう成り上がり者が主犯だったはずだ。

「最近色んな所に行けて楽しいね!ビアードの子供、ビシールだっけ?今度はオレもいっぱい話してみたいな。」

「えー。ヴァッツは時雨と一緒にいてあげなさい。そのほうが時雨も喜・・・いたたた。」

6年以上も一緒に暮らしていた関係は時に主従を超えてくる。先程自分が食らった攻撃を今度は王女に放っているのだから恐ろしい。

前回アルヴィーヌとヴァッツがレドラを引き抜きにいった時ビアードの家に招かれたらしい。

そこでの歓待も楽しかったというのは何度か聞いていたがビシールという少年。

ハルカの見立てでは戦いの才能は乏しく臆病な印象だったので『ネ=ウィン』に雇われていた時も深く関わろうとはしなかった人物だ。

何がそこまで2人の興味を駆り立てるのかはわからない。いや、当時の自分にはわからなかった何かを彼はもっているのか?

「まぁ今回は私への話が目的なんだし、皆邪魔だけはしないでね?」


頭領となって以来未だに暗殺の仕事を達成した事のなかったハルカは今度こそ真っ当な成果を挙げられるかもしれないと期待を胸に膨らませる。


クンシェオルトから貰った莫大な報酬は郷の皆に喜ばれはしたが『暗闇夜天』の本業はあくまで目標の排除なのだ。

日夜訓練に明け暮れ、門外不出の高い技術を代々受け継いできた。祖先が築き上げてきたものを自分達も後世に伝えていかねばならぬのだ。

その為に8歳で頭領となったハルカ、現在2年目である彼女には郷に錦を飾れるわかりやすい功績が必要だった。

(別に無理して郷に帰るつもりもないけど・・・やっぱり箔はつけておかないとね!)

今後の為、一族の為にもまずは一仕事を完遂する。彼女は人知れずやる気に心を滾らせていた。






 『トリスト』は『アデルハイド』を地上の本拠地として利用しているのでまずは4人を乗せた飛空馬車がその地に降り立つ。

そこから普通の馬車に乗り換えて地上の目的地に向かうというのが定型となっていた。

時雨とは交代で御者席に座って馬を走らせるハルカ。ふと久しぶりに1人の時間が出来たので色々考えに耽る。

思えばリリー姉妹と一緒に暮らし始めてから毎日が楽しすぎた。時々ヴァッツの従者として呼び出しをされたものの郷では厳しい修行の日々。

同い年の子供はいたが自分とは身分の違いからあまり仲良く接する事はなかった思い出。

気が付けば今着ている衣装も少しきつくなってきている。遊び過ぎて太ったか成長したのか・・・

そうだ。今回は姉妹にお土産を買って帰ろう。何がいいかな?あの国は戦闘国家なので特産品などはあまり記憶にないな。

「姫様。姫様。」

いきなり声を掛けられた事でハルカは楽しい妄想から一気に引き戻される。

「な、何?!」

気が付けば御者席の縁を掴んで身を潜めたミカヅキの姿があった。いくら物思いにふけっていたとはいえ気を緩めすぎたか。

配下からも心配そうな眼差しが向けられているので少し気まずい。取り繕うように頭領らしく表情を作り直すと、

「姫様。『ネ=ウィン』からの依頼は恐らく逆臣の始末、密偵の準備をしておきましょうか?」

「逆臣、センフィスだっけ?でもあいつらの場所ってまだわからないでしょ?」

「・・・目立つ存在だったので当たりはついています。恐らく『リングストン』内でしょう。」

その名前を聞いてハルカは本来の気配を取り戻す。

あの国では2つほどやらねばならぬ仕事があるのだ。ひりついた空気を感じたのかミカヅキも静かに目を伏せて指示を待っている。

「わかったわ。10人ほど使っていいから送っておいて。」

声を抑えて命令を出すと頭領補佐は短く返事を残して姿を消した。




『ネ=ウィン』に入国してから速やかに話し合いが行われるかと思っていたのだが、

「えー?ビアードの家じゃないの?」

今回は国としての依頼を『暗闇夜天』に申し込もうというのが本題だ。

「す、すみません。まさか王女様や大将軍様がまたいらっしゃるとは思っておらず・・・」

城内で再会した4将ビアードも少し申し訳なさそうに平謝りを繰り返す。と、そこに後ろからある人物が声を掛けてきた。

「いいではないか。話なら私がしよう。お前は王女様と大将軍様を御もてなしして差し上げてくれ。」

「ナ、ナルサス様?!しかし・・・」

皇位継承者である末弟が笑顔で登場するとハルカはふと違和感を覚える。

元々冷酷な印象ではあったが今はそれを隠そうとしてより不気味な雰囲気を纏っているようだ。

(あれ?なんか雰囲気が変わってる?・・・ああ。アルとヴァッツがいるからか。)

ただ、彼も国の代表2人の前でそのような面を見せる訳にはいかない。取り繕った結果が今のナルサスを形作っているのだろう。

イルフォシアに歯の浮くような言葉を浴びせかけた話も聞いている。ならばより丁重に御もてなしするのは当然か。

「おー。あなた中々話がわかる。えっと、誰?」

しかしその場にいたはずの姉には全く覚えてもらえていなかったらしい。吹き出しはしなかったものの笑いそうになった表情を必死で堪えるハルカと時雨。

「アルヴィーヌも一度会ってるでしょ?!たしかナルサス・・・だよね?」

ヴァッツの方は覚えていたが身分を考えるとここは敬称を付けるべきだろう。

相変わらず行動が読めない2人のやり取りに『トリスト』を未だ他国だと認識していたハルカはもう大声で笑おうかなと諦めかけたが、

「流石ヴァッツ様。アルヴィーヌ様とも以前クンシェオルトの葬儀の時にお会いしております。」

特に機嫌を損ねる事無くすんなりと反応したナルサスを見て楽しさが倍増してくる。これもまた国同士の水面下による駆け引きの類なのかもしれない。

「ではハルカ。久しぶりに私の部屋へ行こうか。場所は覚えてるな?」

「当然。ここだけじゃなくて他国の城内だって全部把握してるのよ?」

ここで本来の目的ともてなしを受ける二手に分かれる事になったハルカ達。

別れ際に一瞬時雨がこちらに付いてくるか迷ったのがやや気になるが、いよいよ自身の本業『暗殺依頼』についての話し合いが始まろうとしていた。




「ハルカは大丈夫でしょうか・・・・・」

第一位従者の時雨はビアードの家に案内される途中、2人に向かってその悩みを口に出す事を選んだ。

アルヴィーヌとヴァッツは純粋で無知な部分も多いが決して頭が悪い訳ではない。

「ハルカ?何かあった?」

主である少年がきょとんとした顔で小首を傾げている。彼は心の変化を機敏に捉えてくるのでその反応から今は心配ないのかなと時雨は悟るも、

「いえ。リリーからも散々言われておりまして。ハルカは自分の中にとんでもなく大きな悩みや考えを抱えたまま気取らせないのが非常に得意だと。

そういった部分がとても危なっかしいから注意して見ていてくれとも。」

それは忍びの掟にも通ずる部分がある。決して口を割らない為にそういった訓練をしているのだ。

ただハルカは稀に見る天才で戦闘面だけではなく気配はもちろん心の中を読ませない術にも長けている。それが友人達からすれば非常に厄介なのだ。

「なるほど。たしかにハルカは隠し事がうまい。でも私は何もわからなかった。」

アルヴィーヌも納得はしたがやはり何も感じ取る事は出来ていないらしい。

今回『ネ=ウィン』がハルカに用があるというのも『暗殺依頼』で間違いないだろうし、リリーはこれも止めたいと考えている。

素直な一面を見てきた時雨ですら友人の意見に頷けるものもあったが彼女はあくまで裏家業の出自でありその頭領だ。


「あの子はわかっているのでしょうか。彼女の周りには色んな心配をしてくれている人間が沢山いる事に・・・」


ここまで口に出してふと漏らしすぎたかと後悔する時雨。そもそも自身は最初ハルカに相当ないたぶられ方をされている。

あれから『トリスト』でルルーに癒してもらえたからよかったものの下手をすればどこかしらに不具合が残っていたかもしれないのに。


「時雨はハルカの事が大事なんだね。大丈夫。オレもハルカの事大事だから!」


いらない事を口走ったにも関わらず主の少年は優しく全力で応えてくれると時雨の頭を撫でてくる。

まただ。

また主に甘えてしまった。しかもいつの間にか自分の頭を無理なく撫でられる程大きくなられている。

その行動と気遣いに深く反省しつつも心が救われるように感じた時雨は嬉しそうに笑みを零していた。






 久しぶりに入った皇子の部屋。そして以前と同じように見えない所には自身の配下を仕込んでおく。

ここからは仕事の話だ。全ての情報を聞き洩らさないように心を高ぶらせたハルカは早速話を始めた。

「で、皇子から直接ご説明頂ける依頼ってどんなのかしら?」

「相変わらずせっかちだな。まぁ『暗闇夜天』なら察しはついているだろう?この国の元将軍センフィス、それと重罪人カーディアンだ。」

1人は予想通りだったが重罪人の方には全く記憶が無かったハルカはそこからまず詳しい説明を求める。


彼の話によると数カ月前にロークスで起こった大暴動、それの主犯格らしい。

更にその女が『ユリアン教』だという話を聞いてハルカの脳裏にはまた1つ新しい項目が追加される。


「また『ユリアン教』か。私その言葉二度と聞きたくないから粉々にしてきていい?」

クンシェオルトの命を大きく縮めてしまった原因であり、最後は彼の体すら乗っ取ったという話は聞いていた。

あの時ヴァッツが戦っていればクンシェオルトとその妹が死ぬことはなかったという考え方も出来るが、

彼に救われて更に彼の友人である王子にも命を助けられた今、ハルカの矛先は必然的に根本である『ユリアン』に向けられる。

「構わん。そっちはお前の好きなようにすればいい。ただセンフィスについては別だ。」

しかしナルサスからすれば真逆らしい。そのカーディアンという重罪人はどうでもよく、本命はセンフィスという青年だという。

「奴は身の丈に見合わない黒く豪奢な剣を持っている。それを必ずもって帰って欲しい。センフィス自体はお前の判断に任せよう。」

「任せるって・・・そのセンフィスっていう奴の暗殺より剣を奪うっていうのが大事って事?」

「うむ。その通りだ。信じられんかもしれんがあいつの強さはその黒い剣から来ている。それさえ取り上げれば『ネ=ウィン』の兵卒以下。もはや生死などどうでも良い。」

何とも眉唾な話だが実際西の大陸ではワーディライという『孤高』の1人がよくわからない武器を持っていて脅威だと聞いていた。

それをヴァッツがこねくり回して全く別の武器に変えたとも。ナルサスがいうのもその系の武器という事だろうか。

「まぁ概ね理解したわ。それで報酬なんだけど・・・」

「待て、今回は『ネ=ウィン』の顔に大きく泥を塗られた。よって標的をもう一つ上乗せする。ラカンかネヴラディン。どちらかを仕留めてくれ。」

国としての面子からか。あまりに大物の名が挙がった事で一気に緊張が走る。

そしてハルカの中で大きなしこりとなって残っていた大将軍ラカン。これは誰かに言われなくともいずれ決着を付けねばと考えていた。

『リングストン』が侵攻して来た時、相手の力量を読み誤ったのもあるが不覚を取ったのは事実だ。

「・・・わかったわ。標的の選択も私に任せてもらえるのよね?」

「ああ。今回はお前の裁量に委ねる部分が多い。報酬は金貨1000万枚、前払いは3割。完遂時に7割でどうだ?」

・・・・・

クンシェオルトから1億の金貨を貰っていたので一瞬少ないと感じてしまうが本来ならこれでも破格なのだ。

前払いなど普通は1割が相場だろう。ハルカは切り替えるために一度亡き4将筆頭の事を頭の片隅に追いやると、

「結構よ。それじゃ契約証はミカヅキに任せるわ。」

配下の名前を出すと柱の影から頭領補佐が静かに姿を現す。

本来契約証は今のやり取りに不一致が生じないようにお互いの書記官が合同で作成するのだが『暗闇夜天』に書記専用の人間などいるはずもなく、こういった場面では補佐がその役割を果たすのだ。

話がまとまるとハルカは席を立って挨拶も草々に退出しようとすると、

「久しぶりの再会だ。今夜は目一杯もてなそう。一族配下にも声を掛けておくといい。」

ナルサスが晩餐について提案してくれる。今までなら喜んで配下全員を参加させていたのだがどうにも今の彼女はその気になれない。

「わかった。いっぱい美味しい料理を用意しといてね。」

だがこれも仕事のうちだ。皇子に明るく答えると軽い足取りを演じながら彼女は部屋を後にした。




今までは一族が自身の世界そのものだった。なのにいつからだろう。友人達と少しでも離れていると心が落ち着かなくなったのは。

配下にはナルサス主催の晩餐は代表としてミカヅキが、そして一族も全員が参加するように命じると素早く地面を蹴って彼らの下に走る。


とんとんとん


相変わらず4将が住んでいるとは思えない地味な家の扉を叩く。

「はーい。あら?確かハルカ様・・・」

召使いもいないこの家は彼の妻と息子の3人しかいないのも当然知っていた。

「お久しぶりです。ここにアルとヴァッツととっても怖い時雨っていうのが来てると思うんですけど・・・」

「ああ!あのお三方なら今は夫と息子とで街を散策しに行ってますよ。」

入れ違いになってしまったか。確かにまだ夕飯には早い。

ならば自分も街に出てみようと思ったのだがその前に彼女には一言断っておくべきだろう。

「わかりました。あ、あの一応私も大将軍の従者なのでその、今日のお夕飯、ここで戴いてもいいですか?」

考えてみれば従者という立場で他者に接触したのは今回が初めてだ。

何とか言葉遣いに気をつけながら自分も後ほど戻ってくると告げたところ、センナは笑顔で了承してくれる。

軽く頭を下げて礼を言うとハルカは少し考えてから以前教わっていた場所に足を運んだ。




クンシェオルトとメイの墓にたどり着いたハルカ。偶然にもそこには自身の主や友人達も揃っていた。

「あ、ハルカ。もう話は済んだの?」

「うん。皆もここに来てたんだ。」

アルヴィーヌと手を振って挨拶を交わしながら合流するとハルカは墓前の前に跪いて祈りを奉げる。

(来るのが遅くなってごめんね・・・)

まずは謝罪から入り、今までの出来事やクンシェオルトから貰った報酬への感謝を今一度伝えると、

「ハルカ、ちょっと。」

とっても怖い時雨が袖をひっぱって何やら小声で呼びかけてくる。何となく当たりはついているのでとぼけ気味に尋ねるハルカ。

「『暗殺依頼』はどんな内容だった?」

「貴女ねぇ・・・・・仮にも忍びでしょ?それを教えると思うの??」

そうなのだ。時雨はそこそこ腕は立つものの言動にその意識が見られない。非常に三流っぽい動きをしてくる時がままある。

「しかしそれ以前にお前はヴァッツ様の従者だ。私も立場上お前の上司だからな。知っておく権利はある。」

2人がこそこそと話をしているので他の4人が何ともいえない視線を向けてきているのに気にしないという次点で心底あきれ返る。

もう少し場所をわきまえるとか気取られないようにとか・・・もし同じ一族なら厳しく叩き直すところだ。

「それはそれ。これはこれでしょ?まぁ心配なのはわかるわ。私も『トリスト』やルー達に迷惑はかけたくないし、後でちゃんと説明するから。ね?」

一先ずこう言っておけば大丈夫だろう。時雨も諦めたようでヴァッツの傍に戻っていく。

「さて、お参りも終わった事ですし今日の食材を買って帰りましょうか。」

4将で最も常識人であり目立たない男ビアードの提案により夕方の市場でいくつかの特産品を購入するとその夜はとても楽しく騒がしい晩餐で一日の幕を下ろした。






 「またいつでも遊びにいらして下さい。我が家でよろしければ全力で御もてなしさせていただきますぞ。」

ビアードは朝からとてもご機嫌な様子で皆を見送ってくれる。息子のビシールは本当に彼の血を受け継いでいるのかと疑いたくなるほど小さな声で、

「アルヴィーヌ様、ヴァッツ様、時雨・・・様、ハルカ・・・様、ま、またいらして下さい。」

全員の名前を呼んで小さなお辞儀をしている。

やはり彼に何かあるとは思えないハルカは愛想笑いで軽く手を振り返すもアルヴィーヌとヴァッツは何故か硬い握手と抱擁まで交わしていた。そしてそれを見て顔を白くしている時雨。

一体彼のどこに魅力を感じているのだろう?それこそ後で問い詰める必要があるかもしれない。

「それじゃオレ達は行くね!また来るからねー!」




『ネ=ウィン』を去ったその夜、早速時雨が依頼についての話を聞いてきたので、

「『ネ=ウィン』の逆臣センフィスっていうのとロークスで暴動騒ぎを起こした重罪人の後始末だけよ。」

ヴァッツの耳に入る事を恐れたハルカはここで素直に吐露してしまう。彼は何かと戦いに反対してくるし今回自分がやろうとしている事は『ボラムス』侵攻時の比にはならないだろう。

恐らくカーディアンという女には容赦なく全てを使ってあらゆる情報を手に入れる。それがクンシェオルトへの手向けだ。

そして時雨には言っていないが国の要であるラカンを暗殺する。ネヴラディンの選択もあったが今のハルカにそれを選ぶ事はなかった。

出来ればこちらにもある程度の痛みを与えて情報を引き出したい所だが相手は強い。ならば暗殺者らしいやり方でその命を絶ってから周辺を調べた方がいいだろう。

「・・・・・お前の家業と考えると軽々しく反対は出来ないが・・・無理だけはするなよ?」

「あら?心配してくれるんだ?でも大丈夫。さくっと終わらせてさっさと帰って来るから。」

思いのほか簡単に納得してくれる時雨に元気良く答えるハルカ。後はこの帰還途中に別れる事だけを告げておく。

「一日でも早く帰りたいからね?」

これだけは本心だった。

クレイスが『トリスト』で兵卒として迎え入れられた時期と同じくらいからルーの家に住んでいたハルカは既に自分が思っている以上に友人との交わりを大切にするよう心境の変化が起こっていたのだ。

それでも家業を裏切る訳にはいかず、今は従者と二束の草鞋といった状態だが自分なら問題ないと思っていた。

「じゃあそうリリーにも伝えておくよ。」

その名前を聞いて一瞬だけ体が強張るのを感じる。嘘ではない。嘘はついていない。ただ情報を少しだけ出し惜しみしただけだ・・・

姉と慕う少女の名を聞いて笑顔を浮かべるのが精一杯だったハルカは次の日『リングストン』に向かう為に彼らと別れを告げた。








『暗闇夜天』の結束と掟は厳しく硬い。

普通なら自国への動きはどこからか漏れて情報が届くところだが『ネ=ウィン』がハルカと接触してからもそういった憶測すら『リングストン』内には飛んでいなかった。

先遣隊を回していた為彼らが王都リングストンにいる事も2人が夫婦だという事も情報として手元にあったハルカは街から少し離れた林の中で最終調整を行う。

「それじゃさくさくっと終わらせちゃいましょう。センフィスって一応将軍なんでしょ?毎日登城してるの?」

「はっ。調べた所奴は三日間登城、二日間は休暇といった予定で動いているようです。」

「ふーん。休暇時の動きは?」

「はっ。重罪人カーディアンと共に屋敷にいる事が多いようです。我々が調べ始めてから長時間の外出などはありませんでした。」

ナルサスの話ではセンフィスという男、黒い剣を持っていなければ一兵卒にも劣るほどらしい。そして重罪人にも大した武力はないのだろう。

必然的に彼が黒い剣を携えて近くに付いておかねばならないはずだ。

「センフィスが登城してる間の護衛は?」

「はっ。下級兵士が4名。2交代で入っています。」

「え?それだけ??」

あまりの少なさに間髪入れずに聞き返すハルカ。ロークスで暴動を起こした重罪人とはいえ将軍として引き入れた男の妻だ。

更に『ネ=ウィン』への挑発行為とも取れる書簡を送ってきた話も聞いていた。ならばもう少し警備を厳重にすべきだと思うのだが。

(・・・・・罠か?)

「屋敷内の人員は?」

「はっ。召使いが2人。以上です。」

ということはその2人が相当な猛者という可能性が考えられるか。どちらにせよあまりにも警備がザル過ぎて無暗に手を出す気は起こらないのは間違いない。

「これは思っていた以上に面倒みたいね。」

ただ今回はクレイス王子拉致の依頼と違ってハルカに油断はなかった。誰かと剣を交えて遊ぶような事も一切考えていない。

速やかに仕事を終えて早く友人達の下へ帰る。それだけを考えて真剣に策を練っていたのだ。

(センフィスの手から黒い剣さえ奪えれば戦力は問題ないはず。となれば・・・)

「・・・登城三日目に行動を移す。屋敷に帰って来る1時間前に襲撃してカーディアンから始末ね。」

1時間の内に『ユリアン教』に関わる情報を聞き出して後は人質として使い黒い剣と交換する。

もちろんカーディアンは彼が帰って来るまでは生かしておくものの後ほど必ず殺せるように仕込みをしておかねばならない。

対してセンフィスは黒剣を手元から奪ってしまえば戦力は一兵卒だという。この辺りはどうとでもなるだろう。


問題はそのまま王城に入ってラカンを始末せねばならない事だ。

一度騒ぎを起こしてしまえば警備が厳重になるのは目に見えている。短時間で全てを終わらせる必要があるのだ。

しかもハルカにとってはこちらが本命なのである。

リリー姉妹を攫ってルーを人質に姉を暗殺者として利用していた集団。それの正体を暴き、壊滅させねばならない。

『緑紅』姉妹の秘密がこれ以上漏れないようにする為に、そして二度とそのような愚行を起こさせない為にも。


「それじゃラカンの件だけど・・・」

ハルカは頭の中で全ての計画を立て終わると早速配下にその説明を始めるのだった。






 あまり長い期間滞在する訳にもいかなかったハルカは二日間で屋敷の構造とそれに関わる下級兵士、召使いなどの素性を洗い出す。

その情報を配下達にも共有させて万全の体制を整えると決行日である登城三日目まで各々が姿を眩ました。

今回この仕事に集めた配下は自分も含めて12人。これが一箇所に集まっていると遠方から見てもかなり目立つからだ。

なので何かしらの命令を下す時以外はなるべく散開して皆がその日の為に英気を養っていた。


そして運命の日。


下級兵士を速やかに無力化した後すぐに『暗闇夜天』から変装させた人間と入れ替える。これでセンフィスが帰って来るまではやり過ごす計画だ。

屋敷の内部に忍び込むと召使い達を先に捕えて本命のカーディアンがいる部屋に向かうハルカと2人の配下。

どういった人物かはわからないのでまずは静かに扉を開けて彼女の姿を捉えると無言で近づいていく。

突然の来客だがカーディアンという女は驚きはしたものの大声をあげたり逃げたりするような素振りは見せず、むしろ真っ直ぐにこちらを向き直してきた。

「へぇ・・・流石扇動を起こすだけはあるわね。中々肝が据わってるじゃない?」

「まさか『ネ=ウィン』からの刺客が貴女のようなだ子供なんて・・・『ユリアン』様が見れば喜ばれますね。」

その名を聞いて一刀で斬り捨ててやろうかとも思ったが何よりもまずは情報だ。今後この名前を二度と聞かなくていい世界を作る為に。

「その『ユリアン』っていうの。今は何処にいるの?」

「『ユリアン』様は常に我々の中にあらせられます。」

・・・・・

そうだった。『ユリアン教』という狂った宗教の信者相手にまともな話し合いが成立する訳が無かったのだ。

少し考えた後、自身の暗殺者という肩書を思い出したハルカは矢じりのように細い手裏剣をちらりと見せつけながら、

「私は『ユリアン』の姿を知っているの。一度『ユリアン公国』に足を踏み入れたしね。クンシェオルト様に細切れにされてた所も見たんだけどそれでも生きてるんでしょ?

そいつの正体やら居場所、現在の『ユリアン教』についてを洗いざらい吐いてもらう。わかるわよね?」

真偽を交えて質問をすると同時に配下の2人がカーディアンの脇に移動していつでも対応出来る位置で待機する。

「・・・私もその話は聞いています。神に仇成す邪教徒達の1人が貴女でしたか。」

しかし狂信者は彼らの存在などを微塵も恐れていなかったらしい。非常に素人じみた動きで懐から短剣を抜き出すとハルカに向かって襲い掛かろうとする。

当然のように2人の配下がそれを抑え付けて一瞬で無力化されるカーディアン。ここまで話が通じないとなると多少手荒な事は致し方ない。

ハルカが軽く顎で合図を送ると彼女の左側で抑え込んでいた配下がその手を前に引っ張り出す。そこに、


だんっ!


「んんんんっ・・・!!」

先程取り出した棒手裏剣を深く突き刺したハルカ。同時に悲鳴が上がりそうになったのを右側で抑え込んでいた配下がその口を塞いで声を殺す。

大規模な暴動を起こした人間であり死刑執行の時にセンフィスという青年に助けられたというカーディアン。

この屋敷での対面時にも落ち着き払っていた事から相当な曲者だと判断し、苦痛には強い人物かと勝手に思い込んでいたのだが・・・


悲痛な表情と僅かに涙を浮かべている様子を見てハルカの心臓が驚くほど強く、激しく鼓動を撃ち始める。


「・・・・・」


何の力も持っていない修練も受けていない人間なら当然の反応だろう。今も痛みに耐える為か大の男2人に押さえ込まれていても肩で息をしているのが見て取れたが、

それ以上にカーディアンの苦しそうな表情と止めて欲しいと懇願してくる目がハルカの心に深く深く突き刺さっていくのだ。

(・・・・・あ、あれ・・・・・何で・・・)

昔から口を割らせる為の方法は叩き込まれて来た。研修といった名目で父や祖父の仕事を見学したり手伝ったりもしてきた。

こんな場面は何度も何度も見てきたはずなのに、何故今更自分は恐怖と後悔で体を震えさせているのだ・・・・・

「・・・・・ぁ・・・」

声を出そうにもそれすら震えている。このまま質問をしようものなら配下達にいらぬ疑惑を掛けられかねない。

かといってこの長い沈黙もいらぬ憶測を生んでしまうだろう。何とか・・・『暗闇夜天』族の頭領として何とかこの先の行動に出なければ。

既にカーディアンの左手からの相当な流血で床が赤黒い大きな染みを作りつつある。そこからどれくらいの時間が経ったのか、

「・・・ミカヅキ。後は任せるわ。」

辛うじて頭領補佐に尋問の続きを命じることが出来たハルカは何も言わずにそのまま部屋を後にした。




気分が優れないまま別室に入って呼吸を整える。それでもカーディアンの悲痛な表情が脳裏から離れてくれない。

(・・・何で・・・?何でなの?!)

今までこんな事はなかった。暗殺者として、『暗闇夜天』として恥ずかしくない仕事を完璧こなしてきた。

今日だってそうだ。『ユリアン教』を消滅させる為に必要な情報を集める。それが亡くなっていったクンシェオルトやメイへのせめてもの手向けだと思っていたからだ。

なのに・・・・・

「・・・どうして・・・クンシェオルト様やメイよりもあの女の方が大切な訳がないのに・・・」

なのに・・・・・心が躊躇してしまったハルカは何度も自身に問い詰める。

今からでもまだ間に合う。心を正常な状態に戻してあの女から全ての情報を聞き出してやる。そう考えはするのだが何故かカーディアンのあの目が思い返される。


戦う力を何も持たない普通の女性から生まれる苦悶と悲痛が混ざった哀願の目。


もしルルーがそんな目にあってしまったら・・・


自分でも気が付けなかった変化。

特別な力を持てど普段は明るく優しい普通の少女ルルーや妹想いの姉達と生活していたハルカは、

長く現場から離れていた事と戦いのない日常から自分が思っていた以上に多くの考え方や感情を彼女達から受け取っていたのだ。

結果、今のハルカには情報を聞き出す手段が一切取れなくなってしまっていた。


「「人を殺さなくても生きていける世界だ。もしそんな世界になれば、お前は何をして生きていきたい?」」


不意に今は亡きクンシェオルトの言葉が蘇る。

あの時はハルカの勘違いからとても恥ずかしい思いをした。まさかこの場で羞恥以上にあの言葉が心に響く日が来ようとは。

「・・・人を殺さずに生きていける世界・・・そんなもの・・・あるわけないでしょ・・・」

気付けばハルカの頬には大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていく。


彼女の心はとっくに侵されていたのだ。その世界が来る事への希望に。


そして大将軍の護る『トリスト』ではそれが実現出来ていたのだという事実に。


戦いから離れて友人達と楽しく過ごして。すっかり牙が抜かれていたハルカはそれを認めたくなかった。

自分は悪名高き暗殺集団『暗闇夜天』族の頭領だ。これを失ってしまえばその存在価値すら失われる事になるのだ。


(あの女を問い詰めるのは今の私には無理。でもラカン・・・あの男を殺すくらいなら。)


暗殺者という生業を背負って生きてきたハルカから非情さが失われた今、彼女の誇りと最後の目的を達成するにはもう戦う道しか残されていない。

あの男には情けなどいらない。拷問は無理でも戦うだけならまだ出来るはずだ。

「・・・・・!」

遠くから漏れてきたカーディアンの悲鳴が耳に届くと居ても立っても居られなくなったハルカは配下を呼んで、


「今からラカンを始末してくるわ。」


それだけ言い残すと屋敷を後にした。






 本当ならラカンからも暗殺集団について問い詰めたいが今の自分にそれは難しいだろう。一度剣を交えたからこそ深く理解していた。あの男は強いのだ。

(あいつの部屋はわかっている。居てくれるといいんだけど。)

下調べした情報によると奴はセンフィスの傍にいる事が多いという。しかしその青年ももうすぐ帰宅の為に城を出るはずだ。

城内を走って標的の姿を探すも発見できないまま彼の執務室まで辿り着くと中の様子を伺うハルカ。

・・・・・

扉の隙間から感じる人間の体温と呼吸の匂い、そして衣服が擦れる僅かな音。

人がいるのは間違いなしここはラカンの執務室。ほぼ標的がいるとみて問題はないだろう。後はどうやって接触するか・・・

『リングストン』の王城はほぼ石造りな構造から上下の隙間を狙って接近するのは難しい。迷う時間も惜しかったハルカはすぐに決断すると、


・・す・・・すすす・・・すす・・


静かに扉を開けて素早く体を中に入れてから改めて室内を確かめる。間違いなくラカンが机に座って仕事をしていた。

(・・・・・どうしよう。)

彼女は暗殺者だ。お互いが名乗りを上げてから正々堂々と立ち合う必要は全くないのだが今日のハルカは不意を突く事すら憚られる程心に隙があった。

早々に仕事を終えてまた友人達に囲まれた優しい日常に戻りたいのに・・・


「いつまでそこに隠れているつもりだ?」


悩みに囚われていたらラカンの方から声を掛けられる。完全に機を逸したハルカは仕方なく物陰から立ち上がって姿を現すと彼は目に見えて驚いている。

「気取られる前に仕掛けてくればよかったものの声を掛けられてからあまつさえ姿を現す。随分と間抜けな暗殺者だな。」

「・・・貴方が何もわからずに死んでいくのが可愛そうだと思ったから気づくまで待っててあげてたのよ。優しいでしょ?」

精一杯強がってみせるハルカはまたも体と心に震えが走っていた。ここからは正々堂々と戦えるのだ。後ろめたい事は何もないはずなのに何故・・・?

自身の気持ちに整理が付いていないまま相手はゆっくりと席を立って双剣を抜く。

「以前も自己紹介したけどもう一度名乗らせてもらうわ。私は『暗闇夜天』の頭領ハルカ。貴方の命を貰いに来た。」

それでも今は戦わねばならないのだ。自分の誇りを今一度口に出す事で何とか鼓舞しようとするも体は硬く、戦う前からかなりの劣勢を強いられている。

「私は大将軍ラカンだ。臆病者よ、死ぬ覚悟は出来ているか?」

相手はこの国の最大武力を保持する男だ。それが両目に緋色の輝きを放つと一瞬で間合いを詰めてハルカに襲い掛かって来た。


ばきききっ!!!がきっ!!がきんっががんっ!!


何度も訓練で培ってきた動きがハルカの意志とは無関係で展開されていく。咄嗟に直刀と苦無を取り出してラカンの斬撃を受けて捌けたのは天才が努力を積み重ねていた証拠だろう。

ただし、その状況になっても彼女自身の闘気が全く追い付いていないのは相手にもすぐ察知される。

激しい緋色の双眸は更に光を増して攻撃速度も上がっていくと、


どごおぉんっ・・・!!


ラカンの左足から放たれた蹴りがハルカの右わき腹に深く突き刺さってそのまま横に吹っ飛んでいった。


ばきゃきゃっ・・・ずずんっ!!


本棚にぶち当たるとそれらは見る影もない程に細かく破壊され、本と木屑の下敷きになるハルカ。だがそれ以上に腹部へ貰ってしまった蹴りの影響が大きく出ている。

一瞬で体力と呼吸を奪われると体中から汗が噴き出てくる。痛みと意識低下で自身の体勢すらわからない。

右手に握っていた剣を納めたラカンは崩れた本棚に腕を突っ込んで彼女の首根っこを掴むと無理矢理引っ張り出すと軽く小さな少女の体を思いっきり石造りの壁に叩きつけた。


ばがんっ!!!!


かなりの厚さがあったそれは大きな音を立てて粉々になり、無防備にそれを受けてしまったハルカは小さな悲鳴を上げるのが唯一出来る抵抗だった。

「お前は・・・本当に以前と同じ奴か?それともあれから弱くなったのか?」

圧倒的な強さを誇るラカンは少し残念そうに尋ねてくるが彼女からすればその質問はとても失礼に当たる。

「わ、私はあの時の、ままよ。舐めないでよね?」

体中に様々な種類の痛みが走っていても鍛えられた者ほどこういった場面では凄まじい底力を発揮するものだ。


ざくっ!


あれだけ一方的に攻撃を受けたにも拘らずその手から離さなかった左手の苦無を自身の首根っこを掴んでいる手の甲に勢いよく突き立てる。

「ほう。それは悪かったな。」


ざくっ!!


謝りながらもラカンがお返しにとばかりに彼女の右太腿へその長剣を深く突き立てた。

お互いが刀傷を与え合う結果ではあるがその武器の威力に大きな違いがある。しかもハルカは未だに首根っこを掴まれたままだ。

(ま、不味い・・・意識が・・・)

慌てて苦無を再度突き立てるも手甲越しにそれが深く刺さる事はなく、右手の直刀では手に余ると判断し懐から別の苦無を取り出して何とかその手を解こうと突き立てる。

だがその追撃が刺さる事はなく、ラカンの方から投げ飛ばされるとハルカの体は崩れた壁から廊下へと放り出された。

体勢を立て直して立とうとするも右太腿の傷が思った以上に酷い為、体を起こすだけでも相当な痛みが走る。

そこに・・・


しゃしゃしゃしゃっ、しゃいっしゃきんっ!!!


再び右手で長剣を抜いたラカンがあの時見た六つの剣閃を披露した。

体の動きに制限があったハルカは目で追う事は出来ていたもののその威力に体がついていけずに大きく揺さぶられる。そして今回は、

「中々楽しめたぞ。」

その剣を2撃ほど受けてしまったハルカの体は腰からゆっくりと砕け落ちると両手にあった苦無と同時に床へ沈んでいった。






 大将軍ラカンによる『緑緋』の力が籠った6撃によってハルカの左腕は骨を断たれ、何とか皮一枚で繋がっている状態だ。

更にもう一撃は鉢金の上からとはいえ頭部に貰っている。夥しい出血で顔の右半分は血で染まっていた。

「・・・ねぇ。最後に聞いていい?」

目から光を失いながらもハルカは諦める事を良しとせず口を開き始める。

「何だ?」

「・・・この国の暗殺集団って貴方が牛耳ってるんでしょ?」

意識は半分失っていたが心残りからか、使命感からか。彼女は欲しかった情報を手に入れようと藻掻いて見せた。

「だとしたらなんだ?」

「・・・どれくらいの規模なの?強さは?拠点とかは何処なの?」

声からはどんどん力が失われていくがそれでも彼女らしいまくし立てるような質問にラカンは軽くため息をつく。

「死ぬ前だからと欲張り過ぎだろう。まぁ良い。規模は30名、強さは想像に任せよう。拠点は強いて言えばこの城下近辺だな。」

簡潔に答えると彼は右手の長剣を軽く振り上げて止めを刺した。




・・・かに見えた。




その剣はハルカの首を落とそうとはしていたが首元でぴたりと止まっている。更にどういう訳か押す事も引くことも出来ない様子だ。

「・・・なんだこれは?貴様・・・何をやった?」

身動きが取れなくなった状態からラカンがなるべく平常を保ちながら彼女に声を掛けてくるが、それは彼女にもわからない。

ただ1つ、わかっている事はそれを出来るのが恐らくこの世にただ一人だけだという事。そしてその少年の名は、

「・・・ヴァッツ・・・」

彼は『闇を統べる者』を内包しており、その力だけでも常人では考えられない物が揃っている。

そして今、全く身動きの取れない状態でいたラカンの背後からゆっくりと、その影を伝ってヴァッツが姿を現した。

いつもは一瞬で引き込んだり引き揚げたりするので今日の彼は何か不気味な雰囲気を感じるが、

「・・・ハルカごめん!遅くなった?」

「・・・ううん。丁度よかった。聞きたい事も全部聞き出せたし。」

申し訳なさそうな表情を浮かべながらもやはりいつもと雰囲気が違う。いや、そう感じているだけでこの日の彼は以前にも見ていた。

ただし、その時はその表情が時雨やリリーに送られていたものだった。あの時、ハルカがクレイスの身柄を拘束する為に初めて出会ったあの日。

今回は仲間だとしっかり認識して彼が目の前に現れてくれたのだ。となれば敵だと認識された相手の運命は・・・・・


身動きが取れないラカンを他所に彼が静かに近づいてくるとハルカの体を優しく包み込むように抱きかかえてくれる。

2人はゆっくりと影に沈んでいくと、次の瞬間には懐かしい友人の家に到着していた。

「ルルー!!すぐに来て!!」

気が付けばいつも寝泊りしていた部屋の寝具に降ろされてヴァッツが大声でルーの名を呼ぶ。

「あれ?ヴァッツ君いつの間に来てたの?って・・・ハルカちゃん?!」

「お願い、急いで治してあげて!!」

血相を変えて傍に駆け寄って来た友人はハルカの体に手をかざすと惜しみなく『緑紅』の力を発動させる。

以前にもその恩恵を受けた事があったが今回は正に瀕死の重傷だ。その温かい光は体中に駆け巡って痛みからあっという間に解放されていく。

「ハルカ。ゆっくり休んでて。オレはあいつと話をつけてくるから。」

優しく微笑んで軽く頭を撫でてくれたヴァッツはそう言い終えるとまた一瞬で姿を消す。恐らく足元にあった影からラカンの下へ移動したのだろう。

今思えば自分はよくこんな少年にケンカを吹っ掛けたものだと笑いが込み上げてくる。

あの時はその怒りを全身で受けた。心と体が恐怖で凍り付いた。それを今度はあの男が体験する番なのか。


「・・・時雨やクンシェオルト様が心酔する気持ちが少しわかったわ。」


あっという間に傷が治ってくると不意に口から本心が飛び出してきた。

「ハルカちゃん!!まだ終わってないからしゃべっちゃ駄目!!お姉ちゃ~~ん!!包帯!!包帯持ってきて!!」

絶対に敵に回してはいけない存在。そして仲間になれば誰よりも頼れる存在。生前クンシェオルトが求め続けていた理想の国家は彼無しでは成り得ないだろう。


(戦いの無い世界か・・・・・私は何をして生きて行こうかな。)


いつの間にか芽生えてしまった甘さ、これは『暗闇夜天』の仕事を行うには非常に大きな足かせとなった。

本当なら是が非でもかなぐり捨てたい所だが隣にはその甘さを教えてくれた友人が必死になって自分の傷を治してくれている。

ならば自分が選ぶべき道はもう決まっているのかもしれない。

かつて妹の為にと命を賭してまでヴァッツの配下になる事を選んでいたクンシェオルト。彼の先見の明とその志を受け継ぐのも悪くない。

「全く!お前って奴は!!あたし達に心配かけるなって言ってただろっ?!」

気が付けば千切れそうだった左腕や傷の大きかった太腿にリリーが包帯で応急処置を施していた。

彼女達と別れてからそれほど経った訳ではないのに満身創痍ながら随分と懐かしく温かい気持ちで満たされていくハルカ。


「・・・ハルカちゃんごめん!傷が沢山ありすぎて今日だけじゃ全部回復させてあげられないの。続きは明日必ずするから今日はゆっくり休んでね?」


戦いを知らない少女はその短くも強力な力を使い果たしてしまったらしくとても悲しそうに謝ってくる。

(謝るのはこっちの方なのに・・・)

未だに意識が朦朧とする中、微かな笑みを浮かべながらハルカはこの時スラヴォフィルとの契約を快諾しようと決意していた。






 いきなり『トリスト』の大将軍が背後から現れた。そして暗殺者を抱きかかえて床に沈んでいった。

その間も自分の体はずっと剣を薙ぎ払う形のまま身動きが取れずにいたラカンは未だかつてない出来事に若干の冷や汗を流す。

(これは何か毒の類か?麻痺の類を空気に散りばめた・・・なら可能か?)

どれくらいの時が経ったのか。敵らしい姿は周囲にいないが自軍の兵士も誰一人この場に現れない。

ハルカとの戦闘は自室の本棚を粉砕し、更に石造りの壁までも激しく破壊するほどのものだった。城内には相当な揺れと音が届いていたはずなのに。


【不思議そうだな?】


一度だけ聞いた事のある。一度聞いたら忘れる事のない地の底から響いてきそうな低く暗い声が静かにラカンの耳に届いた。

気が付けばまた何の気配もなく『トリスト』の大将軍が背後からゆっくりと歩いてきて自分の正面に立った。

ヴァッツと呼ばれる少年の右目からは黒い靄のようなものが止めどなく溢れ出ていて非常に不気味な雰囲気を纏っていたが、


「『ヤミヲ』、オレはこいつを許すわけにはいかない。どうすればいいかな?」


不気味な声の存在よりヴァッツの声の方に心の底から恐怖を感じるとラカンの全身が一瞬で汗だくになる。

確かな怒りと憎悪が込められた発言に今の自分は全く身動きが取れない状態。彼の都合で命を含む全てが握られているのだ。

「でもオレは相手を傷つけたりするのは嫌なんだ。」

しかしヴァッツは思いもせぬ発言をして困った表情を浮かべてこちらを覗き込んでいる。

何という甘さだ。そういえば『ビ=ダータ』侵略時も大地を隆起こそさせたものの相手の命を奪う事を極力避けていた。

(奴は強い・・・だが言い包める余地はいくらでもありそうだな。)

まずは冷静さを取り戻す事を選んだラカンは汗まみれの体に多少の気持ち悪さを感じながらも静かに深呼吸を繰り返す。とそこに、


【ならばこの男の力を全て消滅させてはどうだ?更に二度とそういった力を取り込めないようにしておく。さすれば今後同じような事にはなるまい。】


『ヤミヲ』と呼ばれる存在が相変わらず地の底から響いてきそうな低く暗い声でヴァッツに提案していた。


・・・・力の全てを消滅・・・・だと?

『緑緋』という力には秘密があった。その中の一つに生来授かった物の上から別の力を加えて昇華させた、というのがある。

元々彼もただの『緑紅』、いや、少し下位の『緑紅』だったのだ。例えるならリリー姉妹の兄と同じような控え目の力しか持ち合わせていなかった。

その負い目を払拭する為に様々な実験を繰り返して今の彼が存在するのだ。結果『緑紅』の弱点である短い制限時間を克服し、完全に上位の力を手に入れた経緯がある。

「オレにそんな事出来るかな?」

【お前に出来ない事など何もない。その男に手をかざして軽く願ってみるが良い。】

ラカンの焦りなど露知らず、2人の会話が成立するとヴァッツは自身に向かって軽く右手を向けてきた。

(力を消滅など有り得ない。あまりにも馬鹿げている。)

心の底ではそう嘲るが自身も『緑紅』の力に別の異能を後付けした事で『緑緋』を手に入れたのだ。ならばそれを外す事は・・・まさか可能なのか?


ずずぅぅっ・・・


「はううおおおおおっっ!!」

全身から力が抜けていくのを感じて思わず叫び声をあげるラカン。と同時に今まで動かなかった体に自由が戻って来た事で両膝に手をついて激しく息切れを起こす。

【さてラカンよ。今後二度とヴァッツの関係者に関わるな。もし再び過ちを犯せば今度は私がお前を闇に消す。】

『ヤミヲ』と呼ばれた者が軽い口調で忠告をし終えると、

「じゃあ帰ろうか。ハルカが心配だし。」

【待て。外で何やら騒動が起きているぞ。恐らく『ユリアン』とその関係者、ふむ。『暗闇夜天』も関わっているな。】

「ええ?!ハルカは本当に何してるんだよ・・・ちょっと止めに行こう!」

2人の会話からセンフィスとカーディアンにも刺客が送られていた事が発覚する。

だが今のラカンはそれを止める気は起こらず、彼らがまたいきなり姿を消した事でやっと解放されたのだと深く安堵の吐息を漏らすと、


「ラカン様!!センフィスの屋敷で大規模な戦いが起きていま・・・ラ、ラカン様?その御顔は??」

やっと駆けつけてきた側近達が報告に来たのだが何やら様子がおかしい。皆が自分の顔をみて唖然としているではないか。

何かついているのか、怪我か。何となく手を当てて探ってみても痛みや違和感は感じない。

「ラ、ラカン様、これを・・・」

側近の一人が別室から大きめの鏡を無理矢理持って来たので促されるまま彼はそれを覗き込む。


「・・・・・な・・・ど、どうなってるんだこれは?」


するとそこには髪も目からも本来の色が失われて、代わりに白髪と黒い瞳を持つ自分の姿が映し出されていた。






 『リングストン』の研究とやらに参加して一週間が経過していた。

未だにこの黒剣が何なのかは全く解明出来ていない状態だが、センフィスからすればある程度の生活が出来るというだけでも十分だった。

登城してすぐに研究室に入ると黒剣を鞘から抜いて大きな台に載せる。たったそれだけが彼の仕事だ。

最初こそ夜通し研究したいから置いて帰れと言われたがそれだとカーディアンが護れないので固く断る。

更にしつこく食い下がりそうな研究者達にはそれを振るって石壁や鉄器を人参のように斬り刻んで見せた事で黙らせた。


今日の仕事も終えたセンフィスは心を躍らせながら帰宅の準備に入る。

この国に移り住む話になった時カーディアンは激怒していたがあれ以降非常に大人しく、夫婦仲も良好だ。

『リングストン』も『ネ=ウィン』への根回しを完了させたとラカン大将軍も仰っていたので今まで以上に堂々と愛を育めるだろう。

屋敷で何かが起こっているなど夢にも思わず軽い足取りで玄関に入るとすぐに違和感を覚える。

いつもなら召使いがすぐに出てきて仰々しく頭を垂れてくるのだが・・・

(まぁたまにはそういうこともあるのかな?)

しかし幸せの絶頂であった彼は深く考える事をせず、まずは愛する妻の顔を見に行こうと屋敷の奥へ進むと、

「センフィスだな?」

いきなり聞いた事のない声に自分の名前を尋ねられて立ち止まる。元々彼は武具屋の跡取り息子で兵士への訓練も挫折した男だ。

黒剣を使って戦場では多少戦ってきたものの、本物の暗殺者が気配を消した状態で目の前に現れた経験や想定などは一切していなかった。

そもそもこの状態でも相手が暗殺者だという認識を持てなかったセンフィスは固まったまま何から考えればいいかを考え始める。

「・・・その腰にある黒い剣。センフィスで間違いないな?」

だが相手の方が先に痺れを切らして再度確認してくるのでとりあえず肯定だけを伝えると、


「お前と取引をしたい。我らが望むのはその黒い剣だ。それを渡せばお前の妻は返してやろう。」


その言葉を聞いてやっと彼らが何故屋敷内にいるのかを理解する。召使いが出迎えないのも彼らのせいなのだろう。

だが次の瞬間、センフィスはそんな些細な事などどうでも良くなる光景を目の当たりにした。

男達の後ろから両腕を縛られ、傷だらけになった妻が声を上げられないように猿ぐつわを嵌められた状態で姿を現したのだ。

一気に怒りが沸騰して剣を抜こうとするも相手の直刀が妻の喉元に押し当てられているのを捉えると僅かな理性で思いとどまった。

「貴様ら・・・カーディアンに・・・絶対許さないぞ?!」

「立場がわかっていないようだな?抵抗すれば女を殺し、黒い剣を渡せば速やかに返すと言っているのだ。言動には気をつけろよ?」

非常に高圧的な物言いだが彼女の身柄が捕えられている以上従う他に選択肢はないようだ。

センフィスは黙って黒剣を腰から引き抜いて相手に手渡そうとする。と、突然物陰から似たような格好の男が現れてそれを奪い取った。

「や、約束だ!!さぁ!カーディアンを返せ!!」

自身にとってあの剣は今の生活を支えるために必要ではあったが彼女はそれを大きく上回る存在だ。今のセンフィスにとって彼女のいない人生など有り得ない。


どん・・・!


後ろ手に縛られていたカーディアンがふらつきながらもこちらに歩いてくる。その体を慌てて抱きしめると、


ずむっ!!!


「・・・・・」

その背中には彼らの武器らしい直刀が深く刺さっていた。

最初からカーディアンだけは必ず始末せねばならなかった『暗闇夜天』はきっちりと仕事をこなしただけだったが、

暗殺者達の事情など何も知らないセンフィスは自身の腕の中にいる妻が死に逝く様子を目の当たりにして、


「お前らぁぁぁぁあああああっ!!!!」


怒りで我を失った青年はいつの間にかその手に戻った黒剣を握って暗殺者達の前に立っていた。

相手は顔を隠してはいたものの驚愕は手に取るように伝わってくる。しかし今のセンフィスにはどうでもいいことだ。


ざんっ・・・・ざざざんっ・・・・


まるで水に刃を通すかのような音がほとんど立たない斬撃は視界に捕らえた暗殺者達を悉く斬り捨てていく。

今までとは違う。今まででも相当な力を得ていたセンフィスが怒りによって黒剣の限界を超えだのか、遠くのほうで散り散りに逃げていく彼らの気配が手に取るように頭の中へと伝わってくる。

標的を追いかけては斬り捨てて、また次の標的に向かって隼のように飛んでいく。気が付けばその顔にはまるで鬼のような隈取が浮かび上がっていた。

「よ、わい、くせに・・・つけあがりやがッテ・・・ユルサン・・・ゆるさんぞおおおおおおぉぉぉぉ!!!!!!」

あまりにも弱弱しい抵抗しか出来ない暗殺者を瞬殺したところで彼の気持ちが収まる訳もなく、いつのまにか獣のような咆哮を上げていたセンフィス。

やがて最後の一人を捕捉すると力の限り思いっきり振り下ろした。この男こそがカーディアンに直刀を投げつけた張本人。一撃で殺すのは勿体無い。


ざしゅっ!!


鋭い音と剣閃が相手の右腕を一瞬で奪い去ると今度はその両足首を薙ぎ落とす。

「ぐっ!!」

短いうめき声と共に転がりながら大地に倒れるがまだまだ復讐は終わらない。ゆっくりと暗殺者の前に姿を現すセンフィスははち切れんばかりの怒気を放ちながら、

「キサま・・・は、どうやってコロしてくれようカ?」

憤怒が感情を支配している為に上手く言葉が出てこない。だが焦る必要はない。残るはこの男だけだし身動きはほぼ取れない。逃げられる心配はないのだ。

じっくりと、たっぷりといたぶって殺す。カーディアンの受けた苦しみを何倍にしても返さねばならないのだから。

まずは鼻を削ぐか、目をくり貫くか。やがて怨恨から狂喜へと感情が切り替わってきた時、

「おいあんた!!その剣は使っちゃ駄目だ!!」

聞いた事のない少年の声が後ろから聞こえてきた。この場所はすでに街から遠く離れた林の中だ。こんな所で一体誰が自分に話しかけてきているのだ?

気になって振り向いてみると何やら立派な衣装に身を包んだ蒼髪の少年がセンフィスに向かって強い眼差しを向けていた。






 「しょうねン・・・君はダレだ?」

「オレ?オレはヴァッツ。」

その名を聞いてふと我に返る。『ネ=ウィン』にいた頃何度も聞いた名前だ。『トリスト』の大将軍でありその力は何者も寄せ付けないという。

最初は同姓同名の別人かとも思ったがこの場にいきなり現れた事と身に付けている衣装から恐らく本物だと判断する。

「『トリスト』の大将軍ガなぜコンなところニ・・・マァいい。お前ヲ殺せば俺はダレよりもツヨイと証明されル!!」

既に自身の心身は黒剣の影響で人間らしさがどんどんと失われていっていたのだが手近な所に姿見などがあるわけもなく、

上半身が異常に膨張してまるで大猿のような姿になっていたセンフィスはその丸太のような腕から強力な剣閃を放った。

だが大将軍は想像以上に速く動いてそれをあっさりとかわす。それから少し困惑した表情をこちらに向けながら、

「やっぱり破壊するしかないのか・・・」

まるで誰かと会話しているかのように呟くと、


ぎゅきゅ~ききききゅっ・・・・・


いつの間に懐へ潜り込んだのか、ヴァッツはセンフィスの手にしていた黒剣の刀身を片手で握るとそのまま異音と共に粘土のように捻じ曲げ始めた。

一瞬夢じゃないかと疑ったがそれはみるみる形を変えて握っていたはずの柄の部分も彼に抜き取られると、

「よしっ!これでもう悪さは出来ないよね!」

少年の掌には先程まで立派な細工が施されていた黒剣が黒玉となって収まっていた。

彼は満足そうに笑顔を浮かべていたがセンフィスの切り札がわけの分からないうちに消え去ったのだ。意外すぎる出来事に感情がおいつかない。

「そんな・・・そ、んな・・・俺の黒剣が・・・」


どしゅんっ


やっと自身の分身とも言えた武器を喪失した事に気が付いたのも束の間。両足首と右腕を失いながらも暗殺者はセンフィスの背中に刃を突きたててきた。

武器が鋭いというのもあるだろうが彼の放った一撃はセンフィスの胸元から貫通して切っ先が飛び出している。

(・・・・・カーディアン・・・俺は・・・)

黒剣の力を失い人間の姿に戻っていた彼は亡き妻への想いを胸に大地に倒れていった。








「カーディアン。」

懐かしい声に呼ばれてはっと我に返るカーディアン。この声の主は間違いなく『ユリアン』だ。

「『ユリアン』様!!大変お久しぶりでございます!!」

自身の体の中にその魂が宿っていたのだけは知っていたがこうやって直接言葉を交わすのは本当に久しぶりだ。

更に目の前には彼の姿もしっかりと確認出来る。いつの間に体の再生を終えていたのだろう?しかしこれは僥倖だ。

やっと。やっと本腰を入れて『ユリアン教』の再興を果たす事が出来る。そう考えると眠っていた心が一瞬で踊りだすのを感じる。

「うむ。お前は死んだようだな。我々の旅もここまでだ。」

(・・・・・?)

一体何を言い出すのだろう?私が死んだ?しかし今こうやって神と相対して言葉を交わしているではないか。

こんな事は死人には不可能だと否定するも、彼は様々な力を持っている。もしかしたら自分も本当に死んで生き返らせてもらったとかだろうか?

『ユリアン』の言っている事がいまいち理解出来ないので頭の中が混乱状態に陥るが、

「まさかお前が死なないとこうやって直接やり取りが出来ないとはな。全く私という存在は何と不完全なのだ・・・」

目の前にいる神は少し寂しそうな表情を浮かべて呟くがカーディアンからすれば彼は全知全能だ。その発言はあまりにも自身を卑下しすぎている。

「いいえ。『ユリアン』様こそこの世界の救世主。自信をお持ち下さい。そしてこれからも我々を導いて下さい。」

本心から彼を称えるもその言葉を聞いても寂しく笑いかけてくれるだけだった。

「お前は本当に扱いやすい信者だった。しかも最後までそのような言葉を投げかけてくれるとは滑稽が過ぎるぞ。」

・・・・・

いいのだ。自分は幼い頃から見初められて彼の妾となり欲望の処理を任されてきた。

自分が知る世界は『ユリアン』が全てなのだ。そんな彼にどう言われようともそれは喜ぶべきなのだ。

「さて。そんなお前には最後の奇跡を与える。私の天族としての力、非常に微弱なものだがそれでも今のお前には必要だろう。」

折角お会いできたというのに今日の彼の言葉は意味の分からない内容が多い。

ただ、奇跡を与えると仰ってくれたのは聞き間違いではないはずだ。一体どんな奇跡なのだろう。


「『ユリアン教』の『ユリアン』が今後信者の前に姿を現す事はもうない。カーディアンよ。お前もこの先は好きに生きろ。これが神としての最後の命令だ。」


少し寂しそうにそういい残すと彼の姿はみるみるうちに消えていき、同時に周囲が光で満たされていく。




・・・・・体中に痛みはあるもののカーディアンはゆっくりと体を起こした。

そこは『リングストン』から与えられていた屋敷の中だ。確か少女が最初にやってきて、それから男達に拷問を受けたはずだ。

両手を見ると片方には手の甲を貫かれた痕が、もう片方の爪は剥がされた痕が残っている。

そして胸元。おびただしい出血の痕が衣服に染みとなって浮き上がっていた。


あの時確かに殺されたはずだ。


しかし蘇ったのだ。『ユリアン』様のお力で。やはりあの御方こそ我々の救世主だ。跪き祈りを奉げるも最後に彼がいっていた言葉も思い出す。


『ユリアン教』の『ユリアン』が今後信者の前に姿を現す事はもうない。


あれは夢だったのか。いや、夢なら自分が生き返るなんて事はないはずだ。

ならば・・・・・

もし本当に『ユリアン』がこの世を去ってしまったのならば自分はどうすればいいのだ?

少しずつ冷静さを取り戻したカーディアンは一先ずその事を頭の隅に仕舞ってセンフィスの姿から探す事にした。

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