第六幕 058話 虚の魔物



「こっちよ、ティシャ」

「よく覚えておられますね、ひい様」


 暗がりに明りを灯しながら進む小さな主。

 暗がりなんてものではない。明りがなければ真っ暗闇だ。

 主が足を止め、照らされた影が足元から壁まで大きく行く手を阻む。



「もう」


 両手を腰に当てて抗議の姿勢。


「またそれ。ひい様はやめてって言ってるでしょう」


 背丈が小さいことを気にしているのは知っていた。

 子供のように呼ばれて不満なこともわかるが、言うほど怒っていないことも長い付き合いだから伝わる。



「私にはいつまでもひい様はひい様です」


 癖でもあるし、何となく特別な感じがする。

 彼女をボウダ婦人とか団長閣下と呼ぶ人は多いけれど、ひい様と呼ぶのはティシャだけ。


「もうそんな年じゃないわ」

「私には、いつまで経ってもひい様ですから」

「はあ……」


 諦めたように項垂れた。

 エトセン騎士団の団長になってから十年。アンもいい加減行き遅れなどと言われる年齢。

 彼女は嫌かもしれないが、ティシャは彼女と特別な間柄であることが嬉しい。



 結婚して子を産み、再びアンの傍仕えとして復帰した。

 騎士団幹部から請われた。アンには同性の理解者が必要だと。

 それほどか細い性格ではないと知っていたが、やはりエトセン騎士団に所属する夫にも勧められた。


 ティシャは決して優秀な冒険者などではない。

 小器用なので雑事は苦手ではないが、アンのように無数の魔物を相手に戦える力はなかった。


 エトセンの騎士団長として慣れない立場をこなしてきたアン。

 今では相応の風格もあるが、ティシャの復帰を受けて、少し肩の力を抜こうと思ったらしい。

 休暇という名目で、十年ほど訪れなかったヘズに来たのだが。



「二人で魔境だなんて、本当にひい様は女性らしい浪漫がありません」

「冒険者ならこれを浪漫って言うのだわ」

「そんなだから、いつまで経ってもひい様です。縁談もふいにされて」


 むう、と。

 唇を尖らせた。


「副長みたいなことを言うのね、ティシャまで」

「……子供は、いいものですよ」



 ティシャには負い目がある。

 大恩あるアンを差し置いて自分だけが世間様並みの幸せを享受していると。


 夫は、決して突出した才覚があるわけではないが、優しい騎士だ。

 男児を授かり、今まで経験したことのない大変さと幸せを知った。

 両親も孫の誕生をたいそう喜び、アンに対して礼の言葉は尽きない。


 両親は普段はネードラハにいる。

 アンの生家に仕事を斡旋してもらっていた。今のティシャ一家の幸福は全てアンたちのお陰。



 これ以上の幸せなど望むべくもない。

 だが、自分ばかりがそれでは申し訳が立たない。アンにも、どうか。


 この手の話になるとアンが不機嫌になるのは知っている。

 彼女は極めて優秀な魔法使いであり、頭も悪くない。釣り合うだけの相手を認められないのだろう。


 ティシャのように、程よいと思える線がない。



「ひい様が、殿方よりも冒険が好きなことは存じています。私でよければお付き合いしますから」

「そう、ね」


 尖らせていた唇の形が、少しだけ柔らかくなった。

 騎士団長の椅子などで肩が凝っていたのも本当。

 昔のようにティシャと二人で探索などと、アンの気まぐれな我が侭に付き合うくらい喜んでしよう。


 魔境とは言っても、かつて一度は踏破した場所。

 ヘズの町で、始樹の迷宮からいまだ小さな魔物が湧き続けると聞いたアンが興味を示し、向かうことにしたのだが。




「……やっぱり」


 奥底。

 かつて千年級螻々房るるぼうを倒した場所から、さらに奥。


「騎士団の資料にあったの」


 自分の推測が正しかったと頷く。

 ティシャとアンが灯す光の魔法が照らし出す、巨大な甲殻を見上げて。



「虫の類の魔物は、王と女王のつがいになっていることが多いって」

「女王……」


 迷宮の壁――土なのか木の根なのかも判別しにくいそこに、一体化するように埋め込まれた巨体。

 巨大すぎて身動きが取れない。

 その尻の辺りに転がるぶよぶよした楕円は、卵なのだろう。


 螻々房の女王。

 砦の壁のような巨体。それをずっと小さくした魔物が数匹、転がる卵をさらに奥に運んでいく。



「……私が倒したのは王だったのね」


 その時はさらに奥があるとはわからなかった。

 残っていた女王は、その後もずっと卵を産み続けていたのか。


 ティシャは虫の生態に詳しくないが、この卵の中に新たな王、女王となり得るものもあるのかもしれない。


 ヘズの町近く。

 這っている小型の魔物とて、普通の町の住民には脅威に成り得る。巣が増えたりすれば、危険度は計り知れない。



「ティシャ。たぶん大した危険はないけれど、注意してみていて」

「はい」



 最後の抵抗で触手の攻撃があった。

 周囲にいた小型の魔物も、母を守ろうと群がってきたが、アンとティシャに対応できないものではなかった。




 女王を倒し、卵を追ってさらに奥に続く隙間を――


「?」

「どうかしたの?」


 なんだろうか。

 狭くなっていた隙間を切り開いたような跡が見える。かなり古い痕跡。


 始樹の地下迷宮。せり出した根がやや窮屈で、それを切り払ったような。

 まさか過去に誰かがここまで来たと言うのか。魔物を無視して奥に進んだとしても、理由がわからない。



「あら、これは」


 ティシャのことを気にしたアンだったが、何かを見つけて拾い上げた。

 照らされたそれは枝のよう。人の腕より少し細いくらいの。

 若木に見えるが。


「……始樹の若芽、かしら。枝分かれっていうか、株分けみたいな」

「聞いたことはありませんけど」

「杖を作る素材としては良さそう。最高かも」


 そう言ってティシャに渡す。

 持っておけということだろう。



「始樹の枝って、切るとすぐ腐っちゃうって言う話だったわね」

「そう聞きますね。だから町を作る時にも使われなかったと」

「きっと珍しい物よ。付き合わせた御礼にあげる」


 最高級の杖などティシャには必要ない。

 アンもまた、新たに作らなくとも十分な物を持っている。

 売ればそれなりの金額にはなるだろう。記念に残しておいてもいいから、有難く受け取る。


 ティシャが背負い袋に枝を括っている間に、アンはもう少し奥へと進む。

 そして見つけた。




「ここが」


 早足で追いついたティシャも、見上げて頷いた。


「巣、ですね」


 始樹の中心近いのだろう。樹木の根で出来た壁の中、根と根の隙間を埋めるように一面に広がる。

 八角形の筒を百と並べたような壁。


 大人の頭がすっぽり入るくらいの筒に、運ばれてきた卵が詰められていた。

 空いている部屋もある。卵から孵って迷宮に出て行ったのだろう。

 随分高い位置にも部屋があるが、虫たちは複数の足でうまく昇ってそこにも卵を収めていた。



「燃え広がると困るわね」

「ひい様がそう思って下さって助かります」


 始樹そのものを燃やすにはかなりの熱量が必要だ。それこそ英雄級の全力のような。

 だが、この巣に火が広がれば燃え移るかもしれない。

 さすがに地下迷宮で火災などに巻き込まれれば死ぬ。


「一つずつ潰していきましょう。面倒だけど」

「そうですね」



 後で思えば。

 ティシャが後に悔んだこと。



 全部、吹き飛ばしてしまえばよかった。

 この場所には魔物しかいない。


 冒険の時間は終わり。少しでもアンと二人の探索を続けようなどと欲を出さなければ。


 ティシャが欲を出さなければ。

 それは案外、アンも同じだったのかもしれない。


 惜しんだのは休暇の終わりだったのか、ティシャとの時間だったのか。エトセンに帰ればティシャは夫と子の待つ家に戻るから、それを嫌ったとも。




「巣の奥に、まだ……木のうろのような空洞があるようです、けど」



 壊した八角形の奥に、さらに空間が。

 遥か上から僅かに光が漏れてきている。

 隙間があるのか。亀裂のような。



「……」



 日中でなければ、きっと気付かなかった。

 気づかずに、蠢く虫の一匹だと思って殺していた。


 明らかに虫と違う。

 僅かに差す光を反射するそれに。


 金色の――



「子供……人間の子がいます」

「何を馬鹿な……」



 間違えたのはティシャだ。

 間違えた。

 間違えなければよかった。こんな魔物。



「う、あ……」



 腐り積もった泥や魔物の糞尿に塗れながら。

 ティシャが言ったからだろうか。子供は良い物だなどとアンに言ったから。


「……女神が、授けてくれたのかしら」


 アンの瞳に狂気の炎が灯ったことを、ティシャは気付かなかった。

 あまりの状況に。



私たち・・・に」



 私たち、とは?




 エトセンに戻ったアンは騎士団を引退した。

 かなり強引に、強硬に。

 母として生きるのだと。


 十年の間にある程度の態勢が整ったエトセン騎士団はそれを認め、アンはその子を連れて隠遁生活に入る。


 ティシャの悔恨。痛恨。

 自分が言ったのだ。親として子供に手がかかるのは悪いものではないと。

 アンの我が侭に戸惑いながら、彼女の決断を認めてしまった。納得してしまった。


 ティシャの手で、縊り殺しておけばよかった。

 あんな魔物。



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