第六幕 016話 望む全てと阻むもの_1



「こんな所で時間を……」


 焦る。

 運悪く、東門を出ようとしたところに敵が来た。

 かなりの行軍速度で、これもまた相当な精兵。


 無視して進めば追撃を受けることになる。

 エトセンの町にも残っている戦士たちがいて、それだけではなく解放したばかりの同胞も。


 放っては置けない。易々と町に入れるわけには。

 すぐに片付けてしまえばと思ったが、思った以上に強かった。

 英雄級、勇者級が率いた練度の高い精兵の大軍。戦っている間にも増えていく。



 結局、城壁を盾に守勢に回るしかなかった。

 まともに戦っても勝算が五分というところ。捨て置ける相手ではない。


「ダァバが……」

「落ち着くのじゃ、ルゥナ」


 メメトハに叱責を受けた。

 夜も更け、敵の攻勢も一時緩んだところで。

 かなり急いで港町からここまで駆けてきたらしい。人間どもも疲労は少なくない。



「ダァバを討つのは必ずじゃ。だが今ここでこの町を人間どもに奪われては、こちらが分断される」

「……わかっています」


「トワの為だけに――」

「わかっています‼」


 強く怒鳴り返してしまった。

 メメトハの言葉が正しくて、



「あ、あの……」


 張りつめた空気の中、恐る恐ると言った声がかけられた。

 見れば、まだ首の傷痕が新しい清廊族の女性。


「……お疲れなのではないかと」

「……」


 手には、湯気を立てる椀が。

 解放した同胞で、戦えないながらルゥナ達の手伝いをしようと町に残された食材で炊き出しを。



「……すみません」


 これもまた、ルゥナが救い出したかった何か。

 人間の虜囚となり、悲嘆と絶望に暮れる清廊族を解放する。

 トワだけの為に捨ててしまっていいと、言っていいはずもない。


「ありがとう」

「いえ」


 椀を受け取り、一口啜った。



「すみません、メメトハ」

「構わぬ」


 ダァバを討ちたいのはメメトハも同じ。むしろそれに関してはルゥナ以上に強く思っているはず。

 しかし、ダァバを討つのは全ての清廊族の未来の為だ。

 奪われたトワだけの為に、多くの同胞を見捨てるわけにはいかない。



「言っていたであろう。奴自身が、炎ならばと」

「……」


 濁塑滔の力を得た清廊族の体。

 斬撃、打撃は意味がない。氷雪の魔法にも強い。

 それでも炎の魔法ならば有効だと、ダァバが言っていた。


「ラッケルタとネネランを軸として、それとこの――」

「ラーナタレア、でしたか」


 双対の魔術杖。

 メメトハとルゥナが手にする小振りな二つ。


「……女神の遺物なのですね」

「らしいの」



 敵から奪った武器で、必死に戦っていて気にしていなかった。

 しかし不定形の体を得たダァバにも苦痛を与えたのだから、何かあると。


 異常な強度、紡ぐ魔法の力強さ。

 冷静に考えてみれば答えは絞られる。


「人間に恩寵を授けたという」

「だく……不定形の魔物にも有効なわけじゃな」


 母さんの最期を思い出す。

 先ほどのことではなく、黒涎山で初めてアヴィと出会った時のことを。



 泉から光る水を注いで、母さんは死んだ。

 最後の想いだけを小さな石に残して。


 黒涎山の洞窟の底。

 泉の遥か上にわずかな亀裂があって、月明かりが漏れていた。

 長い年月、月明かりを溜めた清らかな泉に生息するという植物。神洙草。


 女神の涙とも言われる。

 あれもまた女神の遺物か。



「……」


 神洙草があれば、ダァバを倒すのに有効かもしれない。

 倒す手立てはある。最初に見た瞬間は無敵のように思える能力だったけれど。


 トワを……トワを見捨ててでも、時間を作れば。

 ダァバを倒す手段はきっと用意できる。簡単ではなくても、きっと。

 ヌカサジュの魔物レジッサだって何か知っているかもしれない。


 気持ちばかりが焦るのは、トワのことを想うからだ。

 ルゥナの私的な感情。

 清廊族全体のことではない。



「私は……」

「……」

「アウロワルリスで、私を庇って落ちるトワを助けられなかった。いえ」


 告解する。

 自らの罪を。


「私は……アヴィを裏切ってトワに惹かれる気持ちを隠したくて。手を伸ばさなかった」

「ルゥナよ」

「本当です。私は自分の罪悪感を誤魔化したかった」



 メメトハだって聞かされても困るだろう。

 先ほど椀をくれた女性も、困ったようにメメトハとルゥナを見比べたまま。


「今日だって私は……自分を誤魔化す為にダァバを追うと」

「トワの為じゃろう」

「私の為です」



 少し食べ物を口にして落ち着いたから。

 理屈に合わない自分の行動を、過ちを、メメトハに聞いてもらった。


「責めぬよ」

「……」

「妾がダァバを憎悪するのも大して変わらぬ。己の罪の意識からじゃ」


 血縁かもしれないダァバが清廊族を裏切り、今の悲劇をもたらした。

 メメトハの憎悪の強さは自責の念から。

 責任感の強いメメトハと、身勝手なルゥナは違う。




「私のは……ただの」

「――ただの、なんですか?」


 伏せかけた顔を上げると、ルゥナを睨みつける少女が。

 強い瞳でルゥナを責める。


「ただの? トワ姉様のことを必ず取り戻すんじゃないんですか?」

「イバ……」

「貴女は……っ!」


 ぐいと胸倉を掴まれ、椀を落とす。

 憎しみと悲しみとを混ぜこぜにした表情でルゥナを責めるイバ。



「トワ姉様は貴女を愛していました! 何がどうだろうと貴女のことばかりを」

「……」

「それを、ただの? 言うに事欠いて貴女は!」

「やめぬかイバ」


 見かねたメメトハが引き剥がす。

 イバの力はさほど強くはない。ルゥナ達と比べればという意味で、実際には熟練の戦士にも匹敵するけれど。



「好きなんじゃないんですか!? 必ず助けるって言ったでしょう、貴女が!」

「……」

「勝手なことを言うなら、最後までそれを貫きなさいよ! なんで……どうして、こんな」


 情けない。

 年若いイバに返す言葉もない。


 トワとの密かな関係に甘えておきながら、いったい自分はどうしたいのか。

 助けなければと言ったのも、アウロワルリスから落ちるトワに手を伸ばした振りをした時と同じ。

 自分に言い訳をする為だけ。


 情けない。

 悔しい。

 イバの方がずっと真っ直ぐにトワを好いている。



 自分の胸中の疚しさに負けて、ただ好きだという気持ちを真っ直ぐに言えない。

 ウヤルカならきっと、堂々と胸を張って言って退けたのだろう。


 ここにいない仲間を思い、唇を噛んだ。



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