第六幕 009話 双対なる星振_1



 ダァバを倒せるかと聞かれたら、確信はなかった。

 だが倒すしかない。


 この裏切り者を殺すより他に道はなく、考えられる最高の呼吸で仕掛けた。考えての行動ではなかったけれど。



 ――濁塑滔を殺して、その力を奪ったのか。


 頭が真っ白になり、向かっていた。

 許せない言葉。

 つい先刻の母さんとの邂逅を思えば、この卑劣な男の口から発せられて許せる言葉ではない。



 ルゥナが気が付いた時には、既にアヴィが斬りかかっていた。

 防がれたが、その横からエシュメノの槍が届く。


 腕を走った血が、赤く見えなかった。

 だからルゥナは止まった。何かおかしい。


 流れ出したものがなぜだか愛を感じるものと錯覚して、怖気がルゥナの頭を冷ました。

 そもそも簡単に倒せる相手であるはずがない。たとえ不意を突いたとしても。



 メメトハは、ルゥナよりも冷静で、ルゥナよりも激しい憎悪を抱いていた。

 絶対に殺す。

 ここで必ず殺す。


 彼女はアヴィやエシュメノの邪魔にならぬ位置から、ダァバの命を断つ一撃を狙っている。

 ならば共に、と思った時に。

 アヴィの危機を感じた。


 捨て身のアヴィ。

 切り結び、動きが止まったアヴィの体に、汚らわしいダァバの手が伸びる。



「触れるな下衆!」


 叩き払った。


「私のアヴィに!」


 考えての行動ではない。

 ただアヴィを守ろうと咄嗟に、メメトハから渡された魔術杖――リュドミラという女が使っていた双対の片割れでダァバの手を打った。


 鞭打つようなそれは、ダァバに痛みを与えたらしい。



 そして、セサーカの魔法。

 清廊族でさえ命を吸われるような忌まわしい冬の言伝えだが、この場はそれでいい。

 忌み嫌われる魔法だとしてもダァバを討つ為なら。



 倒せないのではないかと思った。

 生き物の温もりを奪う忌み花だとしても、この男に今さら体温などないのではないか。


 同じ生き物などではない。

 もうずっと昔からこの奸悪な男は別種の存在。

 体温が失われても死なないとしても、臓腑を切り裂かれれば死ぬだろう。



 セサーカの魔法を受けて、ダァバの口元に浮かんだのはやはり嘲笑。

 痛みではない。


 それを殺そうとメメトハが光の刃を振り下ろした。


 固まった体なら、斬り裂ける。

 続けてルゥナも。


「終宵の脊梁より、分かて無窮の稜線!」



 止めを刺した。



 と、思ったが。

 やはり噴き出したそれは、妙に親愛を思い起こさせる何かに似ていて。


 だから、ぞわりと総毛立つ。

 全身の肌を舐め回すような不快感に、迷わず飛び退いた。

 全員が。




「かあ……」


 わかっている。

 アヴィが言いかけた言葉が何なのか、聞くまでもない。


 斬ったのに。

 凍らせて、断ち切ったのに。


 歯が音を鳴らして恐怖を伝えた。

 この男が。よりによって邪悪極まりないこの男が、その身に宿している力は。



「……母さんじゃ、ない」


 断じて違う。

 母さんは死んだ。アヴィを慈しみ、愛した母さんは死んだ。

 全ての想いと力をアヴィやルゥナ達に残して。



 溢れ出した黒い粘液に飲み込まれずに済んだのは、やはり母さんのおかげだ。


 さっき目にした母さんと同じものが、忌まわしい男の体から溢れ出す。

 その異常さが、全員に悪寒を走らせ、踏み込まずに逃げる行動を選ばせた。




「濁塑滔……」


 しかし、しかし。

 これほど腹立たしいことがあるだろうか。

 やるせない。悔しい。腹を煮やす感情が言葉に出来ない。



「別の……別の魔物です」

「……わかってる」

「母さんじゃない」

「わかってる!」


 アヴィが強く返した。

 わかっていても判断に迷った。既に間違えたとわかっている。


 撤退すべきだった。

 倒す手段が思いつかない。ならば今は即座に逃げて、これを倒す手立てを探さなければ。



 人間の、英雄級の魔法使いを数名。

 そんなものの協力を得られるわけがない。そもそも、それだけの数を揃えられるわけもない。


 メメトハとルゥナが持つ魔術杖、ラーナタレア。

 これを使っていたリュドミラという魔法使いならあるいは、単独でもどうにかなったかもしれない。

 あれは英雄級という力を逸脱していた。


 あの時は、炎と氷。

 相反する力で戦えたし、斬撃も打撃も有効だった。


 ダァバは違う。

 こちらの得意な氷雪系の魔法の効果は低く、体を斬っても死なない。

 相性が悪すぎる。



「我が主、そこまでお考えとは」

「まあね」


 計算づくだと言うのか。この状況が。

 当然のことだが清廊族の特徴はよく知っているだろう。


 春に倒しきれなかった。

 あそこで痛い目を見たダァバが、清廊族と戦うことを想定して準備を整えてきた。


 勝利を確信していたから、わざわざ飛行船を降りて挑発してきたのだ。

 春の意趣返し。

 同時に、なぜルゥナ達がここまで戦えるのかという疑問の確認。


 ダァバがこの地を支配しようと言うのなら、サジュでダァバを撃退した力の謎は気になって当然のこと。

 答えを見つけた。

 よりによって、その濁塑滔の力を身に宿して戻ってくるとは。




「こっちの大陸にもいたってわけだね」

「……」


 アヴィの体にへばりつく小さな濁塑滔。

 震えているように見える。怯えているように。


 混じりものの気配は、ニアミカルム山脈の魔物に恐慌を引き起こしたこともあった。

 同種の魔物で、清廊族との混じりもの。

 影響を受けない理由もない。



「ずいぶんと懐かれているじゃないか。ああ、清廊族には魔物を馴らすのがうまい奴がいるっけ」

「ううぅ!」


 ダァバの視線にエシュメノが唸る。

 いちいち言い方が神経を逆撫でする男だ。


 パニケヤやカチナが、この男に強い嫌悪を示していたことを思い出した。

 裏切り者というだけではない。性格の根っこが悪すぎる。


 不快。気に障る。気持ち悪い。

 ぬめる荒布で耳の後ろに触れられるような怖気。


 ルゥナだけではない。見聞きしている全員が同じ気分のはず。

 それぞれの表情が似たような――



「――」

「?」


 メメトハの目が、違う。

 表情はもちろん不快を訴えているが、それだけではない。

 ルゥナに向けて何かを伝えようとする目配せ。


 なんだ。

 何か策がある。手があるというのか。


 ダァバは余裕の顔を崩さない。

 嫌悪しながらも打つ手がないこちらの様子に、ひどく満足気な下劣な嗤い顔、

 品性の欠片もない。



「……」


 言葉を交わすわけにはいかない。悟られるわけにはいかない。

 この裏切り者に痛撃を加える手があるならば、それを――



  ※   ※   ※ 

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