第五幕 34話 最強に列する剣



「……どうするんだい?」


 訊ねられた。


「僕はこの後、どうすればいい?」


 まだ、そういう体裁をとってくれるのか。

 手向けということなのか。救いようのない愚かな男に。



 何も成すことが出来ない。

 何も守ることが出来ない。

 己の矜持を貫くことさえできず惨めに死ぬ自分に。


「気を、遣うな……今さら……」

「そうは言われても、ね」


 見下ろしたまま、首にある黒い布切れを指した。



「僕は君の奴隷なんだからさ」

「は……はっ」


 笑った。

 こんなくだらない冗談で笑うとは、いよいよ最期らしい。



「お前は……」


 笑ったら体が少し楽になった。

 呼吸が落ち着き、言葉が素直に出てくる。


「もう、それに意味はない……の、だろう」

「……」

「効果はない……」


 否定の言葉はなかった。



「……気付いていたんだ」

「人を斬った時に、な」


 菫獅子騎士団の追手、そして戦乱のエトセンに入る時にも。


「主人の命令とか、命を守る為っていうのは?」

「最初に命じた。どんな場合でも決して人間を殺すな、と」


 その命令の効果がなくなっている。

 いかに自分を守る為だったとは言っても。



「お前は……もう、自由だ。シフィーク」

「……だね」


 ぷつりと、首にあった黒い首輪が切られた。

 いともあっさりと指で、崩れた黒い粒が風に乗って消えていく。



「……君のことは、色々あれだけど。そうだな」


 シフィークが抜いた剣が陽光を受けて煌めいた。

 卑奴隷として使役していた。恨まれて当然。


「剣を買ってくれた」

「……お前の剣、だろう」


 かつても似たようなやり取りをした。



 レカンの町で、灼爛やけただらが町を襲う中で見つけた剣。

 黒涎山から流れる川で拾ったという剣を、シフィークは自分のものだと露天商を殺す勢いで迫ったのだ。


 そういえば、その時は殺さなかった。殺せなかった。

 あの時点ではまだ、人を殺すなという命令は有効だったのだろう。

 だとすればそれより後、灼爛を討伐した辺りか。呪枷が効果を失ったのは。


 前代未聞だ。

 ナドニメが下手をしたのでなければ、呪枷が効力を失うなど聞いたことがない。

 主であるボルドが生きている限り、永久に続く呪いのはず。

 それがなぜ、と。今さら考えても意味もない。



「とにかくさ。僕は君に感謝しているんだ」

「……」

「友誼を覚えている、と言った方がいいかな」

「それこそ、笑い話にもならん」


 奴隷と主の関係で、何が友誼だ。

 呪枷が結ぶものはそんなものではない。もっと悪辣で陰惨なもの。


「ひとつくらい、何か言い残すことがあれば聞くよ」

「……」


 叶うのかどうかはともかく、なるほど。

 何かを託していいと許されるのなら。



「……あの、男を」


 焼ける町の中に翻る外套。

 赤紫に照らされたそれに、ぎらりと光る大剣。


 菫獅子騎士団団長、ラドバーグ候ニコディオ。

 大英雄。そして、エトセンの敵。


「……殺せ」

「わかった」

「それと」


 ニコディオを倒せば、菫獅子騎士団の指揮系統が崩れる。

 他の騎士団も海を渡ってくるようなら、統率を欠きこれだけの動乱を引き起こした菫獅子騎士団に対してどうするのか。


 内乱を起こした。

 エトセンの秩序を乱し非道な戦を仕掛けたとして、立場は安泰ではない。逆に討伐される対象になる可能性も。

 わずかでも、エトセン公ワットマが生きる道が残るかもしれない。



「それと」

「ひとつって言ったけど」

「アン・ボウダを殺してくれ……」


 横たわるボルドを見るシフィークの瞳が、すっと細められた。


「わかった、聞いたよ」

「……」

「……わかったよ」


 炎上するエトセンに秋の風が抜ける。

 涼しいが、乾いた風は戦火をさらに広げるだろう。


「友達の頼み、だからね」


 主からの命令ではなく、友の残した言葉だからと。

 数年前に若き勇者と呼ばれた男の顔は、かつての彼を知る者が見れば成長したと感じただろう。


 燃える町で、友の願いを受けた若獅子は異郷の菫獅子と対峙する。



  ※   ※   ※ 



 死んでも構わないというつもりだった。

 わずかに踏み込みが甘くなったのはいくつか理由がある。


 強力な魔法使いを配下に出来るのならそれもいいと。

 年若い娘に見えた。なおのこといい。



 それとは別に、ニコディオが斬りかかるのと同じタイミングで上から攻撃する者がいた。

 右手に大剣と左手に短剣。噂に聞くエトセン騎士団長ボルド・ガドランの戦い方。


 混乱の中、町に戻っていたとしても不思議はない。

 それが襲うとすれば、まず自分だろうと。



 菫獅子騎士団団長、ラドバーグ候ニコディオ。

 ボルド・ガドランが何より優先して狙う相手になるはずが、違うことに戸惑った。

 何なのかと思考が混乱し、魔法使いを警護していた女に防がれた。


 これもまた勇者級。

 この瞬間の動きだけをみれば英雄級の強者とも言えるほど。

 ニコディオを弾き返し、瞬速で反転してボルドも防いでそれと相打ちに。


 想定外の事態はここ最近ずっと続いていたが、中でも自分が目にした一番の驚愕だ。

 つい次の動きを考えあぐねてしまい、魔法使いには逃げられた。



 ボルド・ガドランと連れの男。

 今の魔法使いはボルドに狙われたのだとすれば、菫獅子騎士団から見れば敵ではないのか。


 いや、違う。

 そんな思考の迷いの間に逃げられ、息を吐く。


「……何者だ?」


 ボルドを看取った若者。



「僕?」


 他の誰に訊ねるというのか。どうも頭がズレた男だ。


「シフィーク……あんたを殺す男だよ。友の願いだからね」

「痴れ者が」


 長剣を構える若造。言うだけの強さはありそうだが。



「呪枷をつけておったな」

「そうだね」

「……」


 首輪のなくなった辺りを擦り、何でもないように。


 カナンラダ大陸の風習はわからない。

 ボルドの奴隷だったのだろうか。顔立ちは悪くないから男色の傾向だったのかもしれない。



「余が誰か、知っておるか?」

「侯爵閣下?」

「うむ」


 敬称をつける程度の常識は持ち合わせていた。


「我がラドバーグ侯爵家は代々、菫獅子騎士団を統べてきた」

「……」

「英雄と呼ばれる騎士を幾人も従える。それだけの力を持って」


 大英雄と称される。英雄級と列挙される中でもさらに一段上の。


「最強の英雄である余と戦うというか?」


 勝てる人間などいない。一対一でニコディオを倒せる人間など。

 六将最強のホセ・ベラスケスでさえ、百回やって百回とも結果が変わらぬほど。


 同じく称される者ならば、アルビスタ大公や国王。アトレ・ケノスで有名なのはムストーグ・キュスタ。

 単独で戦える人間などいない。



「一度だけ聞く。我が配下になるのなら命は助けてやろう」

「いらない」


 このやり取りの他に無駄な会話はなかった。


「ならば死ねぃ!」


 踏み込みで、地面が爆散した。

 振り抜くのに邪魔だった燃える建物ごと大剣で切り裂く。


「あ」


 受けた。長剣で、ニコディオの大剣を。


 その体ごと吹き飛ばした。

 勢いのまま建物に叩きつけると、その壁に放射状のヒビが入り、続けて砕け散る。



「受けよったか!」

「強いね、ほんと」


 壁に足を着けて受け流した。凄まじい勢いを。


 英雄級にもなれば体の頑強さも鋼鉄に比肩する。足腰のしなりも使えば今程度の衝撃は問題ないか。

 強い。

 ニコディオを評した若造の言葉をそのまま返したい。


 ベラスケスに匹敵する。あるいは上回るのではないか。

 砕けなかった剣も普通の品ではないだろう。伝説級の武器。



「ならば!」


 大剣を横に、地面を引き摺るように振り抜く。

 削られた石畳や落ちていた瓦礫が、ニコディオの大剣で砕けながら吹き飛んだ。

 崩れた足場のシフィークに向けて降り注ぐ石礫は、煉瓦造りの壁でも易々と貫通するほどの威力。



「いつか見たね」


 万全ではない態勢で、シフィークの長剣が閃いた。

 飛んでくる礫を悉く受け流し、受けきれないと見たものは反対の手で弾く。


 自分にぶつかる雨粒を全て防いでいるようなものだ。

 威力は雨粒のそれとは比較にならない。それを不完全な体勢で。



「こんな攻撃をしてた」


 無数の石礫を飛ばす敵と戦った過去を思い出すようにぼやきながら。


「甘いわぁ!」


 最後に飛んだのはニコディオ本人。


 見えていたのだろう。踏み込んだニコディオに対して最後の礫を打ち返した。

 それすら甘い。

 大剣を振り上げ、礫を肘で弾いた。



「貴様と遊ぶ時間などない!」


 大上段から叩き潰す。先ほどとは違い逃げ場のない地面に向けて。


「潰れよ!」


 容赦も油断もない一撃を。



「ふ」


 シフィークは只者ではない。それを剣で流して見せるとは。

 ニコディオの一撃がエトセンの大地に突き刺さり、地響きと共に大きな裂け目を作った。


「隙だら――」

「むうぅんっ!」


 腹を突こうとしたシフィークの左の貫手。

 他の者なら倒せただろう。それで。

 ニコディオの膝がその貫手を蹴り上げた。


「っ!?」


 その瞬間には既に大剣は再び振り上げられている。

 攻撃を失敗したシフィークが後ろに飛び退いたのを、片足の蹴りだけで追った。

 シフィークの体が建物を突き破って逃げるのを、さらにその壁の穴を大きく破って。


「諦めよ!」


 追いすがり、再び上段から。


「若造が‼」


 家が崩れるが構わない。それでニコディオが死ぬわけでもない。


 厨房らしい部屋で、再び振り下ろされる大剣。

 猛烈なそれを、さらに受け流すシフィークを見事というべきか。

 衝撃が家を打ち崩し、再び地面を大きく抉った。


 たたらを踏むシフィーク。

 その頭の真上に、今度は受け流すことなど出来ない角度で。



「死ぬがいい!」


 格が違う。

 田舎の若造風情が、世界最強の列に名を連ねるラドバーグ候ニコディオと戦うなど無謀なことだ。

 後悔する間もなく圧死するだろう。慈悲でもなんでもないが。


「どぉりゃあぁ!」


 両手で握ったニコディオの大剣が叩き落とされると、周囲の大地がまとめて落盤するように窪み、激震が町全体を襲った。


 逃げ込んだ家ごとシフィークを爆散させて、叩き潰した。



  ※   ※   ※ 

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