第五幕 25話 信ずる賭け種



「セサーカ!」


 悲鳴に近い声で怒鳴りつけた。


「なぜ連れて来たの! なぜ逃げなかったの!」

「アヴィ様が望まなかったからです」


 命令に背いたことを何一つ悪いと思わぬ顔で応じる。



「アヴィはまだ――」

「お体はもう大丈夫だそうです」


 一瞥すらくれず、アヴィの背中に顔を向けたまま。


「それだけじゃ」

「敵の気配を受け、意識もはっきりされました。戦わなければと」

「そういうことじゃない!」


 平行線。交わることのない。

 激情にかられたルゥナの手をエシュメノが取った。



「ルゥナ、だめ」

「……」

「アヴィが来てくれて助かった。みんな」

「……ええ」


 防ぎきれない敵の攻勢。

 敗走するしかないと思ったところでの救援に、皆が安堵しなかったはずはない。

 ここでルゥナがアヴィを逃がすことに固執するようでは、ただでさえ敗戦に弱っている戦士たちの心が離れてしまう。


 戦える状態ではないから逃がそうとした。

 万全に、十分に戦えるのなら。戦わなければならない。

 アヴィが言ったように、彼女自身が最前線に立つことで皆の気持ちをまとめることも出来る。



 戦士たちへの求心力としてアヴィの力を利用してきた。

 アヴィが傷つき、倒れ。皆の心に不安が広がって。

 そこにこの新たな敵の攻勢。ここで敗れれば、たとえ生き延びたとしても次の戦いに強い心で向かえるはずがない。


 救いだ。

 敵が迫り、希望が折れようとしたところでの救援。

 憎むべき敵をまとめて串刺しにする氷の尖塔。突き上げた鋭い氷槍が血の川を作った。


 アヴィが復帰して、敵の前衛を壊滅させる。

 その姿は皆の希望となる。セサーカはルゥナの命令を無視したが、結果とすれば上々。この上ない。



「万全と、アヴィが言ったから? だから信じたなど」

「貴女は信じないのですか? ルゥナ様」


 強がりなのかそうでないのか。確かにアヴィにはウヤルカと違い肉体的な負傷は少なかったけれど。


「今は退くべき時です。ここで人間を撃退してもその先がない。もしここでアヴィを失えば……」


 ここでの一戦に勝利したとしても、その後に続かない。

 そんな戦いの為に、戦えるかどうかも怪しかったアヴィを危険に晒すなど。


「アヴィに何かあったらどうす――」

「死にます」


 ようやくセサーカがルゥナを見た。氷の尖塔の先端より鋭く冷たい目で。



「……?」

「私も死にます。アヴィ様が死ぬ時は私も」


 何を当たり前のことを、と言うように。


「清廊族も、全て死ぬべきです。そう、アヴィ様がいない世界なんて」

「せ、さ……」

「貴女は」



 すっと、手を上げた。

 下から、爪でなぞるようにルゥナの顎から下唇を撫でて、


「覚悟が足りないのでは?」

「……」

「アヴィ様が全てだと、貴女が教えて下さったはずですよ。ルゥナ様」



 ぞくりと震えた。


 覚悟が足りない。アヴィと共に戦う覚悟が。

 確かにそうかもしれない。一度の敗戦で弱気になり、どうにかアヴィを生き延びさせようと怯んだ気持ちになっていたのかも。



「アヴィ様が戦うと仰るんです。敵を、人間を皆殺しにすると」

「……」

「なら私はそのお手伝いをするだけ。貴女も、そうされないのですか?」


「……エシュメノ、敵を警戒して下さい。メメトハは、ニーレ。抱いて上げて下さい。少しは楽になるはずです」


 荒い息でひどい汗を掻いているメメトハは、このままでは歩くのも難しいほど疲労している。


「わかった」

「……情けない」


 素直にニーレに体を預けた。

 ニーレの持つ氷弓皎冽は共感の力がある。魔法がなくともその温もりで多少は回復させてくれるだろう。




「お前ぇ、寝てなくていいの?」

「オルガーラ、トワを守っていて」


 橋を歩いていくアヴィが、声をかけたオルガーラに視線を動かさずに言う。

 なぜトワを指定したのか。オルガーラとトワの関係の親密さは事実だけれど、今までそういったことに関心を示したことはない。



「敵の大将のやつなら、ボクがやってもいいよぉ」

「オルガーラ、ルゥナ様を守りなさい」


 トワから別の指示を受けると肩を竦めて、はぁいと答えた。


「……」


 一瞬の沈黙に、ちらりと走ったアヴィの瞳が重なる。

 ルゥナの視線と。まだ立ち込める水蒸気のせいではっきりとは見えなかった。



「……それで、人間」


 改めて、橋の中央に立ち声をかけた。静まり返っている敵軍に向けて。


「お前たちの中には、私と戦う気のある者はいないの?」


「貴様などに将軍が……」

「構わん、面白い」


 敵軍の中から、ベラスケスと呼ばれていた男が進み出た。先ほどはオルガーラと互角以上の攻防をした敵の将官。



「挑まれたのは私だ。それとも何か、私より強者がここにいたか?」

「ベラスケス様……ですがこのような蛮族など」

「私は将であり、またお前たちと同じ菫獅子の騎士である」


 すらりと剣を抜いて宣言する。


「菫の獅子たちをこのように無惨に殺され、黙っていられると思うか」

「……」

「奴の首で、誇り高き菫獅子の同志の躯を弔う。我が手で」

「……ははっ」


 敵の方も腹は決まったらしい。

 計算もあっただろう。


 今のアヴィとセサーカの魔法でかなりの損害を出した。戦力が五分となるほどではないが、状況が一変している。

 残った部下の精神的な動揺もある。それを踏まえて、大将同士の一騎打ちと。



 先ほどの戦闘でも感じたが、随分と格式張った連中らしい。

 アヴィの挑発はそれを見越したものではないだろうが、うまく嵌まった。

 一対一ならば。

 アヴィが本当に万全の状態だと言うのなら負けない。きっと勝てるはず。




「セサーカ、もし」

「もしはありません」


 問うことさえ許さない。固い意志で。


「アヴィ様は勝利する。アヴィ様が死ぬ時は、残った敵を道連れに私たちも死ぬだけです」

「……わかりました」


 止められる様子ではない。アヴィもセサーカも。



「……」


 エシュメノと視線を交わして頷いた。万一の時は卑怯だろうが何だろうがアヴィを助ける。

 敵とて同じだろう。大将が危機と見れば絶対に。当然だが。


 今はまず、アヴィを信じて任せる。

 そうだ、ルゥナが一番にアヴィを信じなければいけない。

 彼女の力と勝利を信じて。



 実際に助かったのも間違いないのだ。

 戦士たちの被害は少なく、希望の火を胸に灯した。

 メメトハを筆頭に疲弊した魔法使いたちが息を整える時間も作れる。


 ここでアヴィが敵の大将を打ち倒せば、先の敗戦を払拭して戦士たちの心をさらに強くしてくれるだろう。

 賭けとすれば、悪くない。ここまでの状況を考えてみると挽回の好機。


(賭け……)


 歯軋りが止められなかった。

 何を賭けているのか。それはアヴィの命で、そこに自分の命を乗せただけ。

 こんなことをさせたいのではない。アヴィには、こんなことを。


 セサーカは何も言わず、杖を手にアヴィの背を見守る。

 恍惚とした瞳。

 色々と言いたいことはあるが、今はその時ではない。しかし――



「凄まじい魔法だったな」


 橋の手前まで進み出た敵、ベラスケス。

 左右に林立する氷の塔を見上げ、首を振った。


「私が、魔法の支援はないと言ったばかりに」

「関係ない」


 慰めではない。ただ事実として淡々と。



「魔法でなくとも死んだ。少し時間が違っても、魔法ではなくこの武器だったか。殴り殺したかも」

「……」

「人間は、皆殺し。そう決まってるの」

「戯言……というつもりでもないようだな」


 息を吐いて、片手で剣を真っ直ぐに構える。


「魔法使いではないのか?」

「関係ない。魔法でも武器でも、人間を殺す手段」


 アヴィの返答は敵の質問と少しずれているが、それこそアヴィに言わせれば関係ないのか。



「菫獅子騎士団六将が一人、ホセ・ベラスケスだ。剣を取れば六将最強のベラスケスと呼ばれる」

「……アヴィ。ただのアヴィ」

「ただのアヴィ、一度だけ問おう」


 ルゥナの目にはまるで隙の見えない立ち姿で、ベラスケスは殺意を抑えきれない目でアヴィに問いかけた。


「おとなしく従うのであれば、戦死した部下のことを忘れ貴様らの命だけは保証しよう。投降する意志はないか」


 確認というよりは、昂る自身の気持ちを少しでも平静に戻そうと言葉にしたのだろう。



「……」


 アヴィは反応せず、若干の沈黙の後にわずかに首を傾ける。


「水に流して……川に流して? ふふっ」


 部下の命と血をこの川に流して、降伏を促す言葉がおかしかったようだ。


 奪った命。奪われた命は返らない。

 今さらどこに交渉の余地などあるのか。



「そう、ね」


 小さく頷く。


「お前たちを殺してから考えるわ」

「身の程知らずの奴隷が!」


 橋の中央で、ベラスケスの刃とアヴィの鉄棍がぶつかった余波で、周囲の氷塔に亀裂が走った。



  ※   ※   ※ 

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