第五幕 24話 氷の乙女
「地の利は向こうにあり、か」
水辺近くというだけでかなり脅威度が上がる。
氷雪系統の魔法を得意とする種族だ。ある程度の予想はしていたが。
川の水を巻き上げ、吹き付ける氷雪の威力がさらに凶悪になる。
視界も悪いし体の動きも鈍る。足場の悪さも無視できるものではない。
菫獅子騎士団の精鋭が、半数に満たない敵にこれほど苦戦するとは。ここまでとは想像していなかった。
「怯むな! 敵の息も続かん!」
「はい!」
数ではこちらが上。魔法を多用すれば何がどうだろうと体力を消耗する。
均衡しているのなら、いずれ傾く。総合力で勝るこちらが敗れることはない。
しかし、疑問にも思う。
これだけの戦いが出来るというのに、なぜこれまで百年以上に亘り蹂躙されてきたのか。
数の差はあったにせよ、一方的な侵略を容易く許すとは考えにくい。それだけの力のある軍だ。
先の戦で敗れ、戦力は落ちているはず。
だというのに菫獅子騎士団の一軍に対して、ある程度でも抗えるなど。
多少の抵抗はあっても一蹴出来るだろうという考えが甘かった。
「連中に後はない。巣穴を守ろうとする獣のようなものと思え。油断するな!」
背水の陣というが、それだろう。
川を挟み、後ろから援護の魔法を飛ばす魔法使いと、前衛として川のこちらで騎士と戦う戦士たち。
千に満たない数だが打ち破れない。騎士は皆、冒険者下位よりも強い力を有しているが、影陋族の戦士はそれをやや上回る。
一部、妙に強い者もいる。それにはベラスケスの直属の上級騎士が当たり、こちらも攻めきれない。
「勇者級が数匹、それに英雄級が二匹」
英雄級の戦力は並の一軍に匹敵する。勇者級の騎士を二名か三名をぶつける必要があった。
ベラスケスは英雄級、副将のカシミロもそれに準ずる力を持つ。直属の部下も勇者級が並ぶ。
これだけの戦力を揃えてなお、菫獅子騎士団の六軍の一つ。
敵はたかが影陋族の敗残兵と侮ったが、違った。
「ここにいるものが影陋族の戦力の全てだ! 全員、気を引き締めよ!」
喝を入れ直す。
逆に言うのなら、これを打ち破ればいよいよ影陋族に抵抗する力はないということ。
「人間どもの好きになどさぬ!」
吹雪に乗って女の声が響く。
また女か。氷乙女といい、連中の頭は女が多いらしい。
「皆、妾に続け!」
号令と共に詠唱が合わさる。
「カシミロ、ここだ」
慌てることはない。敵が仕掛けるタイミングを待っていた。
副将カシミロの腕が上げられ、一列になった部下百名が一斉に薬を口にする。
「「極冠の叢雲より、降れ玄翁の冽塊」」
吹雪を上回る雹弾の嵐。受ければ鉄の板でもひしゃげるほどの力で、無数の塊が。
一気に押し切ろうというのはわかる。このままではジリ貧なのだから。
並の軍であれば、まとめて放たれたその一撃で崩せただろうが。
「合わせよ!」
禁制の薬。とはいっても呪術薬ではない。
一時的に極端に集中力を増す薬で、効果が切れると激しい酩酊を起こす。しかし息を揃えるには有効。
「「緋焔の豪天より、炸け撃砕の隕星」」
掲げた魔術杖の上空から、赤熱した岩塊のような緋色の火球が降り注いだ。
「なんじゃ、と!」
もう遅い。
敵の放った雹弾はこちらの前衛を撃つだろう。
それは盾で受ける。いくらか被害が出るのは仕方がない。
その上空から放たれた緋焔の豪火球が敵の魔法使いを薙ぎ払う。
支援を失った前衛だけなら打ち破ることは難しくない。そもそもこちらの方が数は多いのだから。
「クジャのメメトハを、甘く見るな痴れ者がぁ‼」
勝ちを確信した。
ベラスケスも、カシミロも。
後ろの魔法使いを撃滅したら前衛を、と。次の指示を出そうと構えたところに、吹雪よりもさらに寒気を起こすほどの叫び声が響き渡る。
「ぬうぅあぁぁぁっっ! 昇れぇ!」
「馬鹿な!?」
カシミロが呻いたのも仕方がない。
雹弾の群れが向きを変えた。
一度放った魔法を、無理やり捻じ曲げる。
それ自体は不可能とは言わない。負担は大きいが出来る魔法使いもいた。
しかし、自分の魔法ではない。他者が放った魔法の雹弾までまとめて、降り注ぐ豪火球に向けて曲げた。
「信じられん生き物だな、あれらは」
ベラスケスも思わず声に出てしまった。
個別の意識があれば、他人の使う魔法に干渉など出来ない。いやあれは人ではなく別の生き物だが。
群体という生物がいる。
粘菌のように形を持たず、別の集まりとくっついたり離れたりしても生きていけるとか。
影陋族は同族意識が高いと言うが、そういう性質もあるのかもしれない。
「はあああぁぁっ!」
迎撃する。破滅を齎す豪火球を。
ぶつかり合った雹弾が破裂して、蒸発した霧と共にすさまじい衝撃を生じた。
「メメトハ!」
前線で戦っていた女が後ろの様子に声を上げた。
「構うでない、ルゥナ!」
防ぎ切ったわけではない。いくらかは影陋族の魔法使いに届いたが、思った以上に威力が減衰している。
「将軍、こちらも」
「両魔法大隊は休め。十分だ」
今の一撃はこちらも決定打のつもりで放った。連発は出来ない。
敵とて状況は同じ。ならば後は押し切るだけ。
「魔法大隊以外は全軍突撃だ! 今なら敵の魔法の支援はない!」
損害はさほど与えられなかったが隙は作った。敵が整え直す前に一気に圧し潰す。
「くっ」
「ルゥナ、エシュメノが前に!」
「いけません! 許しません!」
自分が先頭に立つと言おうとした小柄な少女に、指揮を執る女が二度怒鳴った。かなり厳しく。
「全員、対岸に下がりなさい! 命令です!」
「っ」
マシな判断だ。この攻勢に意固地になっても前衛が全滅する。
近接戦闘を得意としない魔法使いだけが残れば、後は残党狩りのようなものだ。追って殺すか捕らえるか。
川幅は、狭くはないが大河でもない。中央の石造りの橋ではなく飛び越えていく影陋族。
途中、足場のように氷も流れていた。
「こちらも」
「将軍、凍った足場であれは難しいかと思われます」
「そうだな。助走を着ければ飛び越えられよう」
ベラスケスくらいなら問題ないが、騎士全てが一足で飛び越えるには少し広い。
馬鹿正直に橋を渡れば、何か仕掛けがあるかもしれない。ならば。
「全員、飛び越えよ! 多少身を軽くして構わん。魔法大隊は残った荷物の回収を!」
「はっ」
一度全体が下がった。
川を飛び越えようと、少し距離を置いて。
向こうに飛び移った敵もまだ隊列が整っていない。ならばすぐに。
「おおぉっ」
声を上げ、一斉に駆け出す騎士たち。
単騎では敵の集中攻撃を受けるが、列を成し続けて渡れば一斉突撃と同じ。
次々に宙に身を躍らせ――
「「眩鏡の蒼穹を、貫け白光の氷尖」」
有り得ない。
ここまで総力を尽くしてきたはずの影陋族が、さらに戦力を隠していたなど。
ましてこの威力。先ほど放った全魔法使いと同等の力を、たった二匹の詠唱で。
英雄級の魔法使い、か。
そんなものを隠しておける余裕などなかったはず。
川に、赤い血が流れる。
大量の血が川面を真っ赤に染めて。
それは大地を敵の血で染めると謳う、菫獅子騎士団が掲げる旗幟のごとき有様。
直前の攻防で立ち込めた水蒸気の中、川から立ち上がった無数の尖塔が、精兵たる騎士たちを貫いた。
川を飛び越えようとした百を超える騎士が、その川から突き立った氷の槍に体を貫かれて。
「……ありがとう、セサーカ」
その向こうから漏れた声は、静かだけれど妙に凛と響く。
「私の知らないおとぎ話だった」
「このセサーカが貴女のお役に立てたのなら、それだけで幸せです」
ありがとう、と。
もう一度囁いて、橋の向こうで唇を交わす二つの影。
日差しが氷の塔に乱反射して、水蒸気に映る影がいくつも分かれて見えた。
「あ……びい……?」
「……もういいわ」
少し歩き、これまで指揮を執っていた女の肩に手を置いた。
「ここからは私がする」
そして、氷の尖塔が林立する間の石橋に歩を進めた。
「私がやらないといけないの」
下がっていろと言うように、橋からこちらに向かう。
堂々と、橋の中央を。
「人間を全部、殺す」
己の使命だと言って進む艶やかな黒髪の女と、それに付き従う魔法使い。
今の魔法はこの両者によるものか。気配からして、ストレートの長髪の女が強者。
手にしていた魔術杖を従者に渡した。
「邪魔をさせないで」
「わかりました、御随意に」
代わりに手にしたのは、黒い布で結ばれた二本の鉄棍。
魔法使い……ではないのか。
「お前たちの中で、一番強いのは誰?」
橋の左右に立ついくつもの氷の塔が、流れ落ちた血を凍らせる。
「誰でもいい、全部殺すの」
陽の光を受けて妖しく照らし出された女。
「これが、噂の……」
カシミロが唸った。
ベラスケスも同じ思いだ。
「……氷乙女、か」
手にしているのは大斧ではない。鉄棍だが、戦っていれば武器を失うことも持ち変えることもあるだろう。
変わらないもの。偽れぬもの。
凄まじい力と、影陋族からの強い信頼。無視できぬ存在感。
噂に違わぬと言っていい。
「絶世の美女。確かに」
感情の色も熱もない表情で、屠殺する家畜でも見るような瞳で橋からこちらを眺める女。
「これが本物の氷乙女だな」
凍り付いた血よりもさらに、深く赤く冷たい瞳で。
※ ※ ※
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