第四幕 093話 荒天に煌めく_2



 目に映る世界が白く輝き、そして暗転した。闇に飲まれた。

 そこまでは覚えている。


 何があったのか。

 自分の身に何があったのかわからない。

 そもそも自分という枠のことさえ、今この時まで忘れていた。



 己、自我。

 自分はいったい何をしていたのだろうか。


 動こうとして、全身を隈なく覆うひりひりとした痛みが、自分の表面を教えてくれる。

 この痛みを感じるところまでが自分で、その外を舐めるように流れるものはそれ以外。



「う、ぶ……」


 ごぽりと泡を吐いた。


「ぶ、べっ」


 這いずる。

 真っ暗な中を、泥のように。


 腕を伸ばす。

 どろりと。



「……」


 意識をなくして、泥のように溶けていた。

 目を開けても何も見えない。

 ただ感じる。


「ゆ……き、りん……」


 泥の向こう側に感じる僅かな気配を。



 口と鼻の奥に流れ込んだ泥を飲み下す。

 どろりと喉から腹に落ちていく感触が気持ち悪い。

 熱い。臭い。


「ぐ、う……」


 痛みがひどくなった。

 そのおかげで頭がより明瞭になる。


「ぶっ、げほっ」


 顔を上げて咳き込んだ。

 呼吸を妨げていた泥を吐きだし、その勢いでまた全身がひどく痛む。



「……ユキリン、ゆき……」

「――」


 微かに震えた。それを目指して這い寄った。


「おんしが……助けてくれた、んか……」

「Qu、i……」


 微かな声。



 それほど遠くはなかった。

 だが、這いずるだけしかできずにやけに遠く感じる。

 左腕が千切れかけていた。


 肘の辺りからぶらりと。

 傷口は焼け爛れたのか血も流れてはいない。


 辿り着くまでにいくらか口に入った小さな塊は、砕けた白い鱗だったのかもしれない。

 ウヤルカもユキリンも、かろうじてまだ息をしていた。それももう長く続かないだろう。


 口に入る炭と泥を吐きだすことも出来ない。

 意識がなかった間に鼻や目からも入り込んでいて、目もまもともに見えない。かろうじて片目の視界があるか。



「……ばかじゃ、のう」


 ユキリンに触れて、身を委ねた。


「ウチ放って……おんしは、にげえ言うた……」

「Hyu……」

「……ああ、は、はっ……そう、じゃね……」


 馬鹿はお互いだと笑われた。

 だから笑う。

 姉妹なのだ。ウヤルカとユキリンは。



「……なんで」


 記憶が戻ってきて、疑念が過ぎる。


「ウチは……生きとる、んか」


 生きているはずがない。

 あの魔法を受けて生きていられるはずがない。


 いくらユキリンが咄嗟に防御の魔法を使ったとしても、まとめて焼き尽くされたはず。

 実際に大地は焼き消された。土が溶けて消えるような熱をウヤルカの潰れた目が見ていた。



「……白いひか、りと……なんかが、突きとおって……」


 目にしたものとは別に感じた何か。

 ぶつかる瞬間に何かが白い光を貫いていったような気配があった。



「……?」


 焼き尽くされた大地が、椀のように半丸に抉れていた。

 その底に漂っていたウヤルカとユキリン。

 他にも何かあった。



「槍、じゃ……ウチを、助けに……」


 がらりと、足元に転がる太い円錐のような金属。

 あの瞬間に誰かが投げ入れたのか。この槍を。


 全てを焼き尽くす魔法がウヤルカとユキリンを消し飛ばす直前に、この槍が貫いた。

 その一点から力が周囲に逃げて、かろうじてウヤルカ達が原型を留めることが出来たのだろう。ユキリンが魔法で冷気を放っていた感覚も思い出す。

 だとしても、死んだかと思ったが。



「う、ぐぅぅっ!」

「GyuIiiiiEe!」


 苦痛が強くなり、声が漏れる。

 ユキリンも同じく。


「くっそ、この……いたいじゃろう、がぁ」


 痛みで意識が飛びそうになる。

 今意識を失えば間違いなく死ぬ。ここまでだ。


 逆に言えば、痛いということは生きているということ。

 まだウヤルカもユキリンも痛みを感じる程度に肉体は生きている。



「……こ、りゃあ……なるほど、の」


 激しい痛みと共に酷い飢えを感じて、生きている理由を理解した。


「ルゥナのおかげ……っつうより、ルゥナのせいじゃ」


 心配性の彼女が、斥候に出るウヤルカに色々と持たせた為にこんなに痛い。



「泥水……混ざっとるに、効くもんじゃ、のぅ」


 腰の帯に繋げていた数本の治癒の魔法薬。偵察に出るというウヤルカに数本持たせた。いらないと言うのに。

 使わなければ後で返せと。それでルゥナの気が済むならと受け取ったわけだが。

 飲んでいる余裕は全くなかったが、傷口に掛けても効果がある。


「全部割れた、んじゃな……あん時に」


 魔法使いとは別の拳闘士に殴られた際、同じく帯に挟んでいた破夜蛙の空気袋が破裂した。ユキリンとぶつかり互いの体に降りかかっていたか。


 割れた瓶からさらに溢れた治癒薬が、このすり鉢状の焼け跡に雨と共に溜まったのだろう。

 致命傷だったはずだが、かろうじて命を繋いだ。ユキリンと共に。



「じゃけん、ども……腹、減るのぅ……」

「Quu……」


 体の足りないものを補おうと、体感できるだけの強さで体力が消耗させられる。

 これでは体力が足りない。命を長らえる前に力尽きてしまう。


 何かないか。

 手探りで泥の中を探った。片手しか満足に動かないけれど。



「……?」


 まるで吸い付くように、ころりと手に納まるものが。


「……そうじゃろ、なぁ」


 巡り合わせというものはある。ウヤルカの胸中のかさぶたを剥がして、そこを埋めるようなもの。



「……食ろうて、生きろっちゅうんじゃけぇ」


 黒い丸薬。

 まさに呪いのようにウヤルカの手に帰ってくる。


 一つは、アヴィに渡した。

 もう一つウヤルカの懐に潜ませていたものが。




 呪術師は言った。

 この薬はこうやって作るのだと、ウヤルカの目の前で自らの心臓を刳りだして。

 作ってあった最後の丸薬と、自らの心臓でさらに作った丸薬。


 ルゥナに言えば即座に捨てろと言われると思った。

 だからアヴィに相談した。一つだけ、人間どもの使った異様な薬を手に入れたと。

 製法も伝えた。人間の心臓から出来ていると言って、アヴィがそれを預かると言うので渡したけれど。


 生々しい方は、隠匿した。

 渡せなかったのは、こんなものをアヴィに触れさせたくなかったという気持ちもある。

 自分が使わねばならないかもしれないと。そう考えたことも間違いない。



「……じゃろう、なあ」


 こうして戻ってきたのは、そうなのだろう。

 あの呪術師がまるでウヤルカを待ちわびていたかのように迎えた時点で、決まっていたのかもしれない。


「……ユキリン」


 消耗しているのはウヤルカだけではない。

 ユキリンもまた、命に届くだけの酷い傷を癒しきるだけの体力がない。


「……おんしは、家族じゃけえ」

「Pia」


 共に、小さく頷く。


「ウチを……ウチは、おんしを信じとる」


 だから、なんて言わない。

 言う必要がない。


「ウチを……おんしの血肉にせえ」


 共に生きる為になら。

 何物をも食らう覚悟が必要なのだから。


 だけど。

 泥を啜り、同胞の血肉も食らって生きなければならないとしても。

 未来の世代の清廊族の子供たちには、そんな思いはさせたくない。


 その為にならウヤルカの血も肉も魂も、この戦いに捧げてもいい。

 未来の為になら。

 きっとアヴィとルゥナなら、そうした未来を築いてくれるだろう。


 信じて、自らの左腕を断った。



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